敬天愛人ーーー合併2年の市政施行記念日にて
朝、八文字屋前演説。9月議会のご報告。
午後は、酒田希望ホールでの京セラ社長稲森和夫氏の講演会に行きました。
4時から鶴岡市市制施行記念式典があったため中座しなければならず残念でしたが、貴重なお話をうかがいました。関係者の皆さんに感謝します。
稲森さんには次のようなお話を承りました。
一つは、よいことを想い、よいことを実行する。そうすれば、運命は変えることができる。その因果の法則ということ。
もう一つは、宇宙には全てのものを愛し、良い想念を抱けば通じる。宇宙にはそうした意志があるということ。
残念ながら中座したため、「南洲翁」とのご縁などについては聞くことができませんでしたが、この2つの事については、しっかり受け止めることができました。
「人生の中で、困難に直面したときも、また、良きことに直面したときも、どちらにしても試練なのです。それをありがたく受け止め、万全を期して事にあたることにしてきました」
「よき想いをもってよい事を実行する。そうしたら運命をも変えることができるのです。」
と稲森さんは語ります。
これらの言葉はすごく私の心にひびきました。私自身、神戸で一歩「動いた」ことによって人生が全く変わってしまったからです。私は、神戸の経験を生かして中越で元気村を運営するとき、そして、被災地に入るとき、まさに笑顔を一つつくるために、「動けば変わる」といった想いで私たちは行動してきました。その信念と行動力が活動のベースです。心身ともにコミットできる仲間と方策を練り、実行する。本当の笑顔が一つつくれたら、被災者にもボランティアにもそれはどんどん伝播していく。そんな現場をいくつも体験をしてきました。まだまだ至らないところばかりではありますが。
また「宇宙には意志がある」とは、私が敬愛する作家ケネスブラウアーが書いた「宇宙船とカヌー」の中で登場する宇宙科学学者、フリーマンダイソンがのべていた言葉でもあります。「はあ?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、水について言っても、地下水の事を考えてみてください。自然のフィルターを通じて水が浄化され、私たちは飲むことができます。土の中の微生物たちは、毒を発生するのではなく、動物や植物の命を育むのによい浄化をしているのです。それひとつとっても、地球は神秘に満ちていると思いますし、稲森さんも語った「宇宙の意志」をとらえることができるのではないでしょうか。
それと「宇宙と通じる」ということでえすが、私は、そうした不思議を感じることが特に神戸以降あったように思えます。良いことを思って行動すれば、思いも寄らなかった事を授かったり、恩師といえる方々や本当にコミットできる仲間との、運命的な出会いをいただいたりする。そして新しい動きが始まる。
被災地の救援活動も、ダム反対運動も、ビーチクリーンアップも、そして今の議員としての活動も、全く同じ信念をもって、行動しています。活動自体はなかなか厳しいときもあるし、誤解されることもある。ひとりぼっちの時もある。
でも僕はそうした想いで行動するとき、必ず宇宙の意志に通ずる力のようなものに支えられている気がしておりますし、その意志に背かない行動をやっていきたいと思っています。私はこうした中で活かされてきました。
皆さんの中にも、きっとそのような方がいらっしゃると思います。
残念ながら私は、未だ伴侶には恵まれていないし、今大成功しているわけではありませんが、、、、まだまだ修行が足りぬのでしょう。
その後、合併して2周年を迎えた鶴岡の式典に参加し、その後事務所にもどって一人。
稲盛さんの話を噛みしめつつ、南洲翁遺訓を声をだして読んでみました。
道は天地自然の道なるゆえ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ。
人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くし人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。
命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。此の仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。
いくつか、実に深く心に響く言葉を、改めて受け止めました。
今年、鹿児島の武中と二中の交流事業の席上で、当時、南洲翁に惹かれ、その当時丸々一ヶ月もかけて鹿児島に出向き、こうした教えを実際に南洲翁から受けていた当時の藩主の事を想いました。
そのとき、藩主の方々はただ、勉学をしたかったわけではなかったはずです。西郷さんの教えや哲学や行動をこの地、庄内にいかに活かして、激動の時代を乗り切ろうかと考えていたのではないでしょうか。私は、当時の藩主の方々の、信念と行動力とはなんだったのか。ということを今、もう一度考えています。
新鶴岡市になって2年。先日、議会の討論でおこなったとおり、課題は山積しています。良いことを想い、良いことを行動する。その中で自然につながる人の輪を大事にしたい。そしてその現場から生まれてくる新しい芽を大事に育まねばと思っています。
右肩あがり、計画経済の時代は終わりました。右肩さがりの今、まちづくりに王道はありません。行政が情報を握り、市民との情報格差の中で、住民をコントロールする時代は終わりました。おかしいことは正し、多くの市民の方々とともに、本音の議論を積み重ねていかなくてはなりません。
だからこそ、まずは、情報の公開、情報の共有がまずベースなのだと考えます。
慶応大研究所へ、市税が年間3億も投入されている事については、これだけ巨額な市税投入がおこなわれているにしては、まず、全く住民への説明が足りません。「合併2年」の市の広報にも説明がほとんどありません。また、市政施行記念式典のあいさつの際も、合併して最優先で合併特例債を使い、巨額な市税が投入され続けているこの研究所についてほとんど触れられませんでした。
私は、本当に理解している市民がどれだけいるのか。大いに疑問です。
国際的な研究ならば、それこそ国の予算を使うべきで、ただでも18年度からの増税で家計が厳しい市民の多い地方都市で、更には実質公債費比率19.2%の財政事情の中で果たしてやっていい投資事業なのか。更に疑問が募ります。
「知的産業の集積」と聞こえはいいですが、この地域の資源と結びついていなければ、何の役にもたたないし、今回の「蜘蛛の糸」の研究がいい例ですが、地元に産業は興りません。
今、総合計画の審議会がおこなわ