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大義 


朝、役所前。新しく作成したボード(今度お披露目します)を持って街頭演説する。
午後天気が良く、急きょ「庄内版武士道の鍛錬日」と相成った。いただきものの、「竹の庄内竿」実に良し、、、。

深夜、城山三郎さんのテレビの追悼特集の再放送をつい見入った。

「大義」が掲げられ、突き進んでいった戦争の組織の現場での虚構。怒りを発端として、組織と人間を見つめ作品を発表していった生涯。

インタビューでの言葉が弾けた。

「世の中に大義などない。一人一人が手作りで生き方を見つめることだ」

戦争で、巨大公共事業の現場で、こうした「大義」がお役所で唱えられ突き進む現場がある。実際、山形県政や、鶴岡市政の諸行を見ても、「大義」が掲げられて事業をおこなったが、実はそんなに住民の笑顔につながって居ないことがありはしまいか。

「戦争の時は「欲しがりません、勝つまでは」と民は言われて、相当な我慢をし、治安維持法で言論統制がしかれ、それに逆らうものは罰せられ、迫害された。でも、番組の中でも証言者が語っていたけれど、将校だとか、士官は白い米を食べていた。
 
ミャンマーの軍事独裁政権などがピックアップされているけれど、情報を隠蔽する中で、軍部や官僚など一握りの人たちは、都合のいい大義を並べ、裕福な暮らしをし、民は疲弊する。ミャンマーの市民は、僧侶は今、立ち上がり、真の民主主義のための闘争を行っている。

公共事業も、「生命と財産を守る」とか「陸の孤島を脱却する]などという大義を振って、ダムや道路を造り続けてきた。
 しかし、その為に失われていったものがある。結局、長い目で見た経済ではあまり貢献しなかったものもある。でもそれを指摘する声はいつも少数派だ。
 
「負けるとわかっていて突き進んでいった戦争」と同じようなことが、公共事業でもおこなわれてきたのだと思う。

城山さんは、晩年、個人情報保護法に対して真っ向から反対を述べ、ロビー活動に奔走する。治安維持法がしかれた戦中の過ちを繰り返さぬようにと。

「世の中に大義などない。一人一人が手作りで生き方を見つめることだ」

鋭くも優しい目をした、「信念と行動」の、城山さんの言葉也。これぞ真実也。