金八先生と、茨木のり子さんの詩
先般。「3年B組金八先生」初回スペシャル。鶴岡にゆかりのある、茨木のり子さんの詩が取り上げられていました。「ぎらりと光るダイヤのような日」という詩。改めて心に響きました。あらためてこの場にてかみしめたいと思います。
「ぎらりと光るダイヤのような日」
短い生涯
とてもとても短い生涯
六十年か七十年の
お百姓はどれほど田植えをするのだろう
コックはパイをどれ位焼くのだろう
教師は同じことをどれ位しゃべるのだろう
子供たちは地球の住人になるために
文法や算数や魚の生態なんかを
しこたまつめこまれる
それから品種の改良や
りふじんな権力との闘いや
不正な裁判の攻撃や
泣きたいような雑用や
ばかな戦争の後仕末をして
研究や精進や結婚などがあって
小さな赤ん坊が生れたりすると
考えたりもっと違った自分になりたい
欲望などはもはや費沢品になってしまう
世界に別れを告げる日に
ひとは一生をふりかえって
じぶんが本当に生きた日が
あまりにすくなかったことに驚くだろう
指折り数えるほどしかない
その日々 の中の一つには
恋人との最初の一瞥の
するどい閃光などもまじっているだろう
〈本当に生きた日〉 は人によって
たしかに違う
ぎらりと光るダイヤのような日は
銃殺の朝であったり
アトリエの夜であったり
果樹園のまひるであったり
未明のスクラムであったりするのだ
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本当に生きた日。
ぎらりと光るダイヤのような日。
とは。と問いかけられたら。みなさんは?
「今」が太いと感じる瞬間!
確かにありますよね。それが人生であるか、ないか。は大きいし、その、千差万別、まさにひとりひとり、みんな違う、その瞬間を大事にしたいものですね。
人のことを言うじゃなく、過去を振り返らずに。結局、僕らには「今」という時しかないんだから。
金八先生ですが、今、おこなわれている教育再生会議の方向性にくさびを打つかのような意図も感じる、実にいいドラマと思いました。