直江兼続 と庄内 講演会。「朝日軍道」は実に興味深い。
NHK大河ドラマの「直江兼続と庄内」という講演会があるという事で参加。
佐久間昇先生のお話からは、釧路市立博物館でおこなわれた市河文書公開の際に出会った2通の直江兼続書状の話。直江兼続の庄内の治世は、天正18(1590)から慶長(1601)
その際、秀吉の厳命により本格的検地をおこなったが、大変激しい反発、一揆にあった。
その際,地侍狩といって、庄内初の火刑などもおこなわれた。
また、鶴岡城の前身である大宝寺城の修復。また「朝日軍道」を開設した。というような兼続の諸行が紹介された。
身近なところでは、羽黒山の五重塔の手前、祓川にかかる祓橋の擬宝珠を直江兼続が寄進している。(写真)
「時には命を奪うような厳しい決断ができる。そして償いもする人だった。」と佐久間先生。
2幕は兼続が8千人もの人を使って切り開いた「朝日軍道」。について。長井の草岡から、朝日村の鱒淵まで、60km、幅7尺もの軍道。聞いていてびっくりしたが、大朝日岳山頂(1870m)以東岳山頂(1771)を縦走する軍道。木村先生曰く国内知られている軍道の内、最も険しい尾根続きの軍道とのこと。今も、そのいたるところで痕跡が見つかっているとのこと。当時の人たちが、どんな風にこの道を切り開き、そして実際にどのようにこの道を使ったのか。とても興味をかきたてられた。幻の軍道、「朝日軍道」。庄内側は特に藪ワラで先生方はまだ未踏とのこと。
朝日連邦 のもうひとつの歴史遺産といえるだろう。
今後も動きを注目していたい。