グリーンニューディール 考
isep の竹村 さんがいらっしゃるとの事で山形のフォーラムへ。自然エネルギーの実態。グリーン電力証書の事。大変興味深く拝聴。竹村さんは「神戸」の時、元社民党国会議員、現 広島市長の秋葉さんの政策秘書として現地入りされていたそうでなんだか意気投合。
最近、先般の経営品質賞の関係のフォーラムでも予期せず触れる機会をいただいたのだが、僕の最近の関心事はグリーンニューディールにある。持続可能な社会を育みつつ雇用問題の解決する新たなディール
そんな事をずっと考えながら記事や論文を最近は見ているのだが、
グリーンニューディールについて以下の貴重な論文に出会った。
http://allatanys.jp/B001/UGC020001820090123COK00217.html
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安井 至 前国際連合大学副学長、東京大学名誉教授
日本版グリーン・ニューディール(1/2)
読売新聞の社説(1/26)をはじめとして、各紙がこの話題を取り上げている。環境省の第1次案を麻生首相が「シャビー」(みすぼらしい?)と一喝したらしいが、今後どうなるのか。
最大かつ本質的な問題は、何がグリーンなのか、また、ニューディールと単なる公共投資とはどこがどう違うのか、という定義が無いまま議論が進んでいることにある。
一方、オバマ新大統領のグリーン・ニューディール政策は、かなり戦略性が高い。それは、エネルギー安全保障とビッグ3の復活による雇用回復という非常に大きな国家的要請に対して、もっとも有効な政策は何か、という戦略的検討に基づいているからである。逆に言えば、米国にとってこの2つの問題は、国家的危機なのである。
○「何が国家的危機か」の議論が出発点
日本版を考えるにあたって、もっとも重要な出発点は、現在の日本における国家的な危機は何か、という議論であり、議論の結果生み出される合意である。私見だが、世界全体の状況と日本の状況を俯瞰的に見れば、グローバルレベルなら気候変動/エネルギー供給/鉱物資源限界の危機があり、国内では、地域における生活の未来像が見えないという危機がある。いずれも広義の環境問題+経済問題である。
そして、このような状況の中で、日本という国は、何を目指してどのような国造りを行うか、ということが「グリーンの」根本的な課題である。
公共投資とニューディールはどこが違うのか。キーワードは「目先の利益」である。ディールの語源はトランプゲームにあり、ニューディールとは、手持ちのカードをすべて捨てて、新たにカードを配り直すことである。すなわち、既存の利権構造を無視して、将来本当に必要な対象について、公共投資を行うことがニューディール政策である。
真の日本版ニューディール政策ができるかどうか、それは、省庁の壁、さらには、既存の産業構造、族議員の利権などを一旦頭から消し去って、真っ白な紙に新しい日本の未来像を描くこと、これが最初に求められるステップである。
そして、その未来像の実現に向けて、現時点で何に投資をすべきか、が課題である。当然のことながら、非常に多くの投資の対象が出てくることになる。
○目先の利益に囚われず、「雇用」創出するアイディアを
その中で、雇用の創出に特に効果的な課題を選択し実施することが、まさに日本版グリーン・ニューディール政策の中身になる。
ところが、メディアの議論も、何か上滑りである。グリーンの意味はもともと「環境」だが、この政策が本当に目先の環境問題の解決につながるのか、といった程度の問題意識しかないように思える。
日本版グリーン・ニューディール政策は、3月中に内容が固まるとのことである。2月16日まで、環境省は良いアイディアを募集している。
http://www.env.go.jp/guide/info/gnd/
オバマ新大統領は、米国国民に新たな「責任」を求めた。「責任」「義務」という言葉が、なぜか新鮮に聞こえる時代になってしまったことを実感した。日本国民の現時点の責任は、日本の未来像を考え、「目前の利益」に囚われない新しいアイディアを出すことである。他人のアイディアを批判するだけでは、責任を果たしたことには決してならない。
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グリーンニューディールを正しく理解する上でとてもわかりやすい論考であり、おおいに広めたいと思ってとりあげる。
この安井先生の論の「ニュー」の意味というところが実に明快だ。次世代への新しいシステム構築をいかにやっていくか。
それには「しがらみ」の政治ではだめなのだということだと強く感じる。
isepの日本の新エネルギー事情もしかり、既存勢力のしがらみ、抵抗勢力によって、日本の新エネルギー事情は世界と「逆行」しているのだとの指摘があった。
こうした問題も、ダム問題同様、正しい真実をみんなで知る事がはじまりなのだろう。