「持続可能な社会」の意識づけの必要性。
改めて、29日にあった公益文科大学の地球温暖化のフォーラムをふりかえってみる。
茅陽一先生のお話はとても参考になった。co2を地中に閉じ込める科学技術、原発に頼らざるを得ない日本の事情など、これまでの日本のエネルギー政策の象徴的な軸を開陳していただいた感がある。
しかしながら、私が全体的に感じたのは、「持続可能な社会」「持続可能な開発」の意識付けが希薄な感じがする。ということ。それから、どちらかというと、バックキャスティングというよりも、現状積み上げのフォアキャスティング的な考え方で25%は無理。というオンパレードになっていたのではないか、ということ。
午後の議論展開でも、エネルギーというと高エクセルギーの電力の事しかとらえられていなくて、低エクセルギーの熱利用については考察が及んでいなかった。住宅のエネルギー利用といった場合、エネルギー転換の先が太陽光発電しか触れられなかったことは、まさにそのエクセルギーの高低などの認識に疑問が残る。ISEPの飯田さんも最近特に指摘されているのだが、家庭のエネルギー利用の半分が温熱エネルギーなのだということ。半分というのは東京の話だから山形だともっとなのかと思う。
たとえば、スウェーデンのエネルギー転換政策のひとつの柱となっているのは、低エクセルギーの温熱利用のところだ。スウェーデンではこの20年で温熱利用において確実に脱石油を果たし、石油84%(1981)を7%(2004)にしている。その分を木質バイオマス29% 、余剰熱12%、ゴミ11%など、代替している。
あとは、原発についてだ。「持続可能な社会」からバックキャスティングして、、、といった時の「持続可能な社会」に、原発は認められない。なぜか。ナチュラルステップの掲げる持続可能な社会の4つのシステム条件の4つ、どれにも抵触するからだ。
1)地殻から掘り出した物質の量が増え続けない →ウラニウムは化石燃料。枯渇が懸念される
2)人間が創り出した物質の量が増え続けない → 放射性廃棄物、プルトニウムの問題。
3)自然が物理的な方法で劣化しない → 事故の際には放射能汚染が広がる。原子炉による海水高温化などの生物多様性への影響
4)人々が満たそうとする基本的なニーズを妨げない。 → 「被爆労働者」の実態を考えると、最たる人権問題が発生している。
これはgoogleで「被爆労働者」と検索してみていただきたい。動画で日本では放映できず、英国で放映されたドキュメンタリーを見ることができる。これは健全な社会のあり方とはいえない。先日鶴岡にいらした、行動するご住職、大河内さんからお教えいただき、改めて僕も気づかされた。http://angel.ap.teacup.com/hitococi/ すでに40万人以上の被爆労働者がいるとか。
原発を推進とする時、それに投資される分、自然エネルギーの開発が止まる。低炭素社会へのインフラ整備が遅れる。ずうっと、こんなことを繰り返してきたのが日本だ。
今、話題になっている地球温暖化対策基本法案でも、このあたりが問題の焦点になっている。
私は ISEP(環境エネルギー政策研究所)の「原発の推進は持続可能な社会を実現しない 地球温暖化対策基本法案への明記は中止を!」 に賛同する。
話の冒頭に戻るが、地域のエネルギー開発を考えた際、全体的に根本的な「持続可能な社会」「サスティナビリティ」のとらえ直しが必要なのだと考える。また、議論すべきは、特に冬、暖房に石油をどんどん使ってきた山形県の暮らしでは、暖房をどう切り替えるか、要するに低エクセルギーの温熱エネルギーの転換をどうするか。だ。ここにバイオマス利用もある、バイオガス利用もあるだろう。パッシブソーラーハウスもある。光、風力、水力、バイオマス そもそもの太陽エネルギーの利用をもっと質の高いところから低いところまで、考え利活用を進めることだ。
このあたりは、今後の庄内のエネルギー開発論を展開するとき、しっかりと認識し直していただきたいと思うのだ。