鹿児島 武中 と 鶴岡二中との 盟約後援会総会
毎年おこなわれている鶴岡第二中学校と鹿児島、武中の盟約後援会の総会へ。やっぱり当時の鈴木正治先生の話になる。
当時、盟約締結までの間、どのような思いで鹿児島に通い、筋道をつけていったか。身銭をきって、何人の方を鹿児島まで連れて行ったか。今日も、懇親会の場で、鈴木先生の思い出を涙をためて語ってくださる方がいらした。僕もおもわず先生の姿を思い出してじんわりときた。中学一年と二年の時、先生に大変お世話になった。羽織袴を着て、登壇し、凛として南州翁の話をされる先生の姿、そして、その空気感のようなものが今でも焼き付いている。当時のPTAも、故郷、で熱心に南州翁を学び、伝える姿から「松山南州」と先生を呼んでいたそうだ。 鈴木先生は、何をもって、そんなにも南州翁の教えに惹かれていったのか。話によれば、何か壁にぶちあたると、ひょいと鹿児島に飛んでいくなどということもよくあったらしい。
思えば、明治維新後、明治3年には、庄内藩の藩主、酒井忠篤は、七六名の藩士とともに当時何日もかけて南州翁に会いに行き、一年間滞在する中で、直接お教えをいただいている。その後、その教えは明治22年、南洲翁遺訓として庄内藩より発刊された。「敬天愛人」を貫いた南州翁。
改めてその教えをかみしめたい。
ところで、鈴木先生には、今の政治がどう映っているのだろう。