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改めて、鶴岡の水問題を問う。その1、2007年の論文より。


暑い日が続きますね。こんな暑い日になると、蛇口からひんやり、おいしい水がでてきていた一昔前の水道を僕は思い出します。日曜日のパル、一昨日、昨日と街頭で、改めて水問題のお話をさせていただきました。私の政治に関わる大きな原点の一つであり、これこそ、これまでの政治が引き起こしてしまった、鶴岡の大問題だと考えています。
改めて、鶴岡の水問題ですが、まずは全体象を把握していただくために、長年、ダムと広域水道問題に取り組み、「水道がつぶれかかっている」築地書館 などの著者であるジャーナリスト保屋野初子さんと2,007年に、共著で発表した書籍に載った文章を掲載しておきたいと思います。
  この状況は、この時より3年を経過し、更に深刻さを増しているといっていいと思います。これは、八ッ場ダムの問題でも指摘されている「利水」面の問題です。鶴岡の水道問題を考える上での基本的な問題として、改めて共有したいと思います。

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ダムの化身、「広域水道」に呑み込まれた
山形県鶴岡市水道のいきさつとゆくえ
草島進一(鶴岡市議会議員)
保屋野初子(環境ジャーナリスト)

鶴岡市の水道事情・2007年

鶴岡市内の生協店舗や大手スーパーのほとんどに専用のボトルで水を購入できる水自販機が置いてある。混んでいる時は、空のボトルを2つ、3つ抱えた主婦が、自販機に列をなしている。一方、旧市街にある小料理屋の女将さんは、「毎日6缶の水を地下水の自販機から買って運んで来るのよ」と訴える。こちらの自販機とは、鶴岡市水道の水源が地下水からダム水に切り替わった翌年の2002年4月、市がそれまでくみ上げていた水源井戸の近くに「井戸水販売所」をつくり、10リットル100円で売り始めたものだ。女将は「鶴岡本来の食の美味しさを保つには、今の水道水では絶対にダメ。だから毎日通って水をもってくるしかない」と話す。
 
2001年10月1日は鶴岡市民にとって忘れることができない日だ。その日から、水をめぐる鶴岡市民の生活は一変した。朝日村に完成したばかりの月山ダムの水を受け入れた最初の冬、市民のほとんどがまず「氷のように冷たい水道水」に悩まされた。「風呂を沸かすのに倍ぐらい時間がかかるようになった」「朝、冷たくて顔も洗えない」といった声があちこちから届いた。実際に蛇口の水の水温を計ると2℃、3℃。地下水源だったときは年間ほぼ13℃で一定。冬はぬくく、夏はひんやり。その水とはまったく別物の水道に変わってしまったことを市民は実感した。
同時に市民は、水道料金の大幅値上げにも遭遇していた。地下水源の水道時代は、月20立方メートルで2037円。それが1998年の前倒し30パーセント値上げで2457円に、そして広域水道受水時の2001年に3439円となり、さらに2004年に3727円となった。5年間で約2倍(1.83倍)に水道料金がはね上がったのである。

月山ダム計画と庄内南部の広域水道
庄内南部に月山ダム建設の動きが高まったのは、かれこれ40年前の1967年のこと。もともと治水目的のダムに、鶴岡市はじめ周辺町村の水道用水も貯める多目的ダム計画としてはっきりしたのは1977年だった。異例なことに、厚生省環境衛生局みずからが「山形県庄内地区広域水道計画調査」を行っている。これはちょうど水道法が改正され国の「広域水道」政策が制度化された誕生時期であり、庄内南部だけでなく山形県全体がそのモデルにされたものと推定できる。
この「調査計画」によって、現在の鶴岡市民を苦しませる水道問題を招くこととなった数字が固定化された。ダムからの「取水11万8000トン」「一日最大給水量10万9700トン」という計画値である。1市6町1村のダムからの給水対象のうち最大の鶴岡市は、ダムからの最終的な1日最大給水量は66.18%パーセントにあたる7万2602トンと割り振られた。この量は、今日に至るまで破られない過去最大記録、1997年の実績5万1000トンより2万トン以上も上回るものだった。
 当時、その過大な数値の根拠を厚生省と山形県は、目標達成年の2005年に鶴岡市の給水人口が11万5000人、1人1日あたりの最大水使用量はなんと716リットル(!)になる、という“予測”に置いたのだ。そのために鶴岡市だけで月山ダムから7万2602トンを取水する必要があると。ここで、その計画値がどれほどのものだったかを理解するため、客観的な実績数値を挙げておこう。2006年の旧鶴岡市域の人口は9万7664人、1日あたり水使用量実績3万6200トン、一人一日あたり370リットル。1日あたり最大水使用量は46865リットル。一人あたりで480リットルである。計画値は、開発したいダムのサイズから逆算したとしか考えられない。
  
 問題は、1980年に鶴岡市議会が、この過大計画値に対し、過大であることを心配しながらも満場一致で受け入れたことだ。今になって市財政に災禍を招いている財政負担が、最大の懸念材料だったのだ。1980年当時、国、県から提示されていたダム建設費用は780億円、その7.56パーセントにあたる58億円が水道にかかる1市6町村の負担分だった。さらに導水管や浄水場を含めた用水供給事業に230億円かかると見積もられた。結果的に、ダムが完成し広域水道がスタートする時点でダム建設費総額は1780億円に膨れ上がり、水道分も510億円となった。当初予定の2倍以上である。懸念は的中した。

市民による見直し運動の展開
 鶴岡市民は、ただ大人しくこの理不尽な水道計画を受け入れてきたわけではない。1999年3月の「どうなる?月山ダムの水道料金、水はおいしいの?」という国・県・市の担当者と反論者との5時間にもわたる討論会を起点に、何度も集会を開いて見直しを呼びかけたものの埒が明かないため、2000年には「鶴岡水道住民投票の会」が10月、「広域水道受水の是非を問う 住民投票」のための直接請求署名活動を展開した。月山ダム計画見直しを訴えて市議会議員になっていた筆者の一人(草島)も、この運動に中心的にかかわった。
署名期間中には、市の与党自民党議員が受任者名簿を情報公開させ受任者に圧力をかけて辞退させる事件や、「月山ダムの水はおいしい」「署名をするな」といった街宣活動をするといった執拗な妨害があったが、市民は1万4725通(有権者の14.4パーセント)の署名を集め、住民投票条例の設置の是非を問う議案が鶴岡市議会で審議するに至った。しかし、賛成7対反対28で否決され、住民投票にまでたどり着けなかった。この