石巻から戻り吉村県知事へ挨拶と提案す。
3月14日、つじ立ちを役所前で石巻へ。
途中、最上、NPOやまなみと日山山荘で取り組んでいる。1Day 温泉脱出作戦の現場へ。大露天風呂の後には結構な炊きだしも用意されていた。でもちょっと人が少なめ。残念ということで現地の状況を探ることに。
日ぶりの石巻。3月19日に訪れた際には車なんてとても通れなかった橋から船やがれきが撤去されて通れるようになっていた。駅前の役所。当日から、罹災証明書の発行がはじまり、役所の中に長蛇の列ができていた。
その後、渡波小学校へ。炊きだしを続けている青年海外協力隊チームに諸々伺う。避難所担当の石巻職員、北海道2名、鳥取県1名にお会いする。聞けば、避難所に寝袋で休んでいるとのこと。鳥取の場合、県と市町村職員が混成チームで派遣しているのだと伺った。それにより一緒に行ったチームでの交流もはじまり、戻ってからも職員間の交流がもてるのだという。
その後、NGOのベースキャンプへ。吉村氏、トール氏ら、おなじみのメンバーらと合流。専修大学 社協ボランティアセンターへ。20日に立ち上げたNGO連絡協議会は石巻災害復興支援委員会となり、毎日午後7時のミーティングは恒例。代表の伊藤さんの司会の下、冒頭で紹介を受け、県議への当選と今後の決意を述べる。街や民家の泥出しをおこなうマッドバスターズ、炊きだし隊、
リラクセーション、移送サービス、など、各チームからの活動報告の発表。課題などを共有。1点、炊きだし関連で、大分暖かくなってきて心配しているのが食中毒などの問題。冷蔵庫などがいるのではないかとのこと。
泥出し隊も感染症などの心配もでてくる。
それと最上町の温泉脱出作戦のバス。長期スタッフでリフレッシュ必要な人に利用を勧める。
本ミーティングの後に各テーマでのミーティング。その後 、ベースに戻り 就寝。
15日朝。午前7時にNGO ベースでのミーティング。渡波小。温泉行きバス。避難所スタッフの積極的な働きかけもあって39名2台で出発できた。その後、湊中学校。匠君らの炊きだし隊に合流。以前はどろとがれきだらけだったフロアを完璧に掃除されていた。なお、スタッフが掃除を続けていた。そこに湊中が母校で、鶴岡→石巻でずっと動き続けていた淳君が合流。 最近、この近所で被災した若手のみんなでバーベキューをやりながら話を聞くと、まずは仕事がなくて困っているという話がでていたとのこと。
準備を若干手伝ってその後、市役所に。 市長に挨拶の後、市の人事担当者、二次避難対応の職員へ行き、話を伺う。人事担当者から伺えば、石巻市役所では職員が48名、行方不明、死亡という状況になっている。他、被災で家を失った職員も多い。ほとんどがフロアに寝泊まりしている状況。
他県、他市町村からの派遣はとてもうれしい。現在20団体、250名ほどの方々に支援をいただいている。今現在も人手が足りない状況で、特に支所などの助けが必要だ と伺った。
隣県である山形県からおこなうとすれば と伺い、担当のH氏へ直接連絡をいただければいくらでも要請させてたいただく とのこと。
どうも伺ってみると、今、現地で活動している自治体の職員の皆さんは「宮城県から要請がないようだけれど、本当に現地にニーズがないのですか」と市に伺っていただき、人手不足に気がついたところから職員派遣が決定されているのだと伺った。要は積極的に現地に伺いをたてるか、それとも指示待ちをしているかの違いなのだと改めて気がついた。
その後、大街道小の炊きだしの現場などを見てから 帰路。そして僕らは高速で山形県庁に向かった。
3時半。突然だったが面会の時間がとれた吉村山形県知事へ、県議会選挙当選のご挨拶。そして早速だが石巻の職員派遣の現状のリストとともに、山形からの派遣について提案した。その後、災害対策本部 危機管理課へ。人事課の派遣担当のA氏、総務部次長M氏とお会いし、資料をお見せしながら県職員の現地への派遣を提案した。
石巻まで距離にして100キロ、時間にして2時間もあれば行ける距離。もっと隣県の山形から職員の派遣も積極的におこなえないものだろうか。確かに、県内にも避難所があり、その対応もしなければならないのはわかる。でも、被災地のめまぐるしくニーズが変わる避難所などの運営の経験を積んだ県職員の方々や自治体職員の方々が一人でも多くいることが、この山形の災害リスクを低くすることにつながるのだと僕は思っている。 できれば、山形県内からも一般ボランティアが行く主要な被災地に県職員もいるようなことができないだろうか。東北の復興をしっかりと支援していくための現場の情報をリサーチする役割を果たすし、現地にはいる県内ボランティアにとっても心強いのではないか。
と思うのだ。
担当の方には、石巻現地の人事担当のH氏の連絡先をお渡しし、まず連絡をとってほしいと伝えた。
その後帰路。8時半ごろ酒田の妻の実家へ。
今後の2次避難の対応についても「積極性」が試されているように思う。
被災地の隣県の山形県人として、何をすべきか。が今、問われている。
とにかく最善の策をしっかりとやっていきましょう。僕もがんばります。