東日本大震災から2ヶ月 出羽三山の懐 山形より、人間の復興、日本の再生に向けて
5月11日、東日本大震災から2ヶ月がたった。
死者、14981人、行方不明者9853人 避難者11万5098人。(11日現在)
3月11日鶴岡での揺れ、信じられなかった津波の映像。次の日。名取市へ。閖上地域の避難所での炊きだし。その後の石巻。そして選挙戦。多くの市民の方々に支えられての勝利。
僕にとってもこの2ヶ月はとても太い毎日だった。
被災地現地には未だ12万人もの方々が避難所で不自由な思いをされている。
プライバシーが確保できない雑魚寝状態の避難所に寝泊まりし、がれきの撤去、家の片付けをしつつも、なかなか未だ先行きが見えない不安な暮らしが続いている。
津波被害で生活の基盤の全てを失ってしまった方々に対し、何ができるか。ボランティアが駆けつけ、温かいご飯や美味しいものをつくる。家族だけでは手がつかないがれきの撤去や泥出しを手伝う。心配や不安で心が安まらない人の話をじっくりと聞いてあげる。歌を一緒に歌う。家の再建のお手伝いをする。仮設住宅の引っ越しを手伝う。神戸で僕らがやれていたこと。今回はじまった新たな取り組み 僕自身も全ては把握しきれていないが、多くの方々が被災地に一つの笑顔をつくるために動き続けている。
石巻では、3月20日に立ちあげた石巻NPO連絡調整会議が、石巻災害復興支援協議会http://gambappe.ecom-plat.jp/となり、100を超えるNGOと社会福祉協議会、行政が毎日午後7時からミーティングを繰り返し、次々と新しい取り組みを見せている。炊きだしチームは各NGOが調整しあい、日々1万食以上の炊きだしを続けてきた。泥出しチーム「マッドバスターズ」は人海戦術でがれきと泥だらけだった体育館をピカピカにし、通れなかった生活道路を車が通れるようにし。最近は半島で散乱した数千もの途方もない数の養殖用のブイを300人のボランティアとともに片付けた。この他に「心や体のケアチーム」「子ども支援チーム」など、これまではあまり実現できなかったNGO同士の連携プレイができて、新たなプロジェクトがどんどんおこなわれている。まさに石巻モデルといっていいだろう。
今、被災地で最も高いニーズは、仕事づくりだ。今週、山形から、被災者が仕事として泥出し作業に携われるキャッシュフォーワークをおこなっているivyの安達さんから話しをうかがった。石巻、気仙沼で20人ずつ、現地の人を採用して現地の人がコーディネーターになり作業にあたっている。更に、被災地で電気が当面復旧できないところにソーラーパネルをつけて行くプロジェクトを、ISEP「つながりぬくもりプロジェクト」とネットワークしながら、地元の方をアルバイトとして採用しながらおこなっている、天童のソーラーワールド竹内さんにお会いした。夜はろうそくの灯りだけで暮らしていた避難所で独立電源で電気がともった時の被災者の拍手や笑顔がたまらない。と言う。まさにこれもキャッシュフォーワークの事例の一つであり、NGOと心をあわせて一緒に連携して、これまでの企業の発想を超えて取り組むことにより新しいネットワーク、プロジェクトができるその先例だと感じている。
漁業の再生、農業の再生など、新しい発想でしくみをつくりながら、仕事を作る試みは今どんどん生まれている
先日、岩手県、住田町で取り組んでいる木造の仮設住宅の現場も見てきた。山形の森林資源を活かしてこうした取り組みだってできるのではないか。
隣県の強みを活かして、山形から何ができるか。もう一度、考えていきたい。
5月8日、出羽三山神社で、月山卯年ご縁年の祈念大祭と東日本大震災の復興祈願祭がおこなわれた。
卯年生まれの知事も初参加されていた。
石巻周辺の方々にも、出羽三山にゆかりの有る方は多い。石巻市内に羽黒という地名があったり、湯殿山神社また、今回の津波で壊滅した地域に出羽三山月山大神宮もあった。心のよりどころとしての出羽三山。そして、今、これから1ヶ月ぐらいは、羽黒も湯殿山周辺もブナの森が、春の再生の新緑のパワーで満たされる時期でもある。出羽三山の力、自然の力も 被災者の方々の再生の力に役立てていきたいと思う。
そして、エネルギーについて。原子力発電が如何に持続可能な社会に反しているか。僕らは今回の事故で相当学んだのではないか。安全神話は完全に崩壊した。省エネと自然エネルギーの政策について、これは政治がきちんと舵を切って、被災地や東北の経済復興のためにも大きく力を入れていくことだ。菅総理の浜岡原発停止の決断と発言は大きな一歩だ。山形でもこれまではなかなか日の目を浴びてこなかった、自然エネルギーについて、また、無暖房住宅など徹底した省エネ住宅のあり方について。真の持続可能な社会のあり方を学び直し、エネルギーシフトを果たしていかねばならない。
改めてこの出羽三山の懐、山形から、東北の真の人間の復興のために、「ボランティア元年」という言葉をつくりだした阪神淡路大震災から16年の市民社会のあり方を一歩でも進化させるために。力を尽くしていきたい。