みどりの政治宣言 中村敦夫元参議委員議員
本日は、全国の市民派議員らと環境市民派のみどりの政治を議論中。以前、中村敦夫参議員議員を代表とした「 みどりの会議」があり、私もその意思と行動に賛同し、恊働体制をとっていた。そこでは敦夫さんが、以下、「みどりの政治宣言」を発表している。
当時、全国の理不尽な公共事業の問題の受け皿になって御尽力されていた敦夫さんは、月山ダムへの水源きりかえ問題の際の住民投票運動の時、2002年に鶴岡で講演をいただいた。
改めて今、噛み締めてみたい
みどりの流れ 中村敦夫
太古の時代、人間は自然の猛威を畏れ、恵みを乞うために祈った。 やがて、知恵と技術が発達すると、自然との折合いをつける道を発見した。 しかし、現代に至り、わたしたち人間は自然を征服しようという衝動にかられ、地球に対する破壊活動に熱中している。 大空に穴をあけ、大気を汚し、山々を掘りくずし、川や海に毒物を投げ込んでいる。 その結果起きる危険について、多くの人々はほとんど関心を払わない。 こうした愚かな行為と無関心は、金(かね)を神と仰ぎ、「無限の経済成長神話」を奉ずる狂気によって加速されてきた。 経済成長神話は、人間の物欲があたかも無限であるかのように錯覚をふりまき、貪欲を奨励してきた。 そのため、節度なき資源収奪と開発がくりかえされ、社会には、過度な競争による道徳の崩壊が進んでいる。 ところで、経済の基礎は自然そのものである。 自然が有限であるならば、無限の経済成長など理論的にも現実的にもあり得ない。わたしたちは今まさに、その「ありえない」局面に遭遇している。 とは言え、境域は永遠に続くものではない。 人間は自らの立場と能力の限界をわきまえなければ、必ず滅びる。 金が神ではないのと同様、人間も万能者にはなり得ない。自然を人智であやつろうとする挑戦は、身のほど知らずの妄想であり、必然的に自然からの報復を受ける。 樹齢三千年の巨木の前では、人間の一生など虚しいひとときに過ぎない。 ましてや、数十億年の地球の寿命と較べれば、人類の存続期間など、まばたきにも例えることができない。 人間は、他の生きとし生けるもの、そして地球上のすべてのものと連関して存在している。それらは精密で、かつ大胆な変化の一瞬の過程を生きているのである。 だからこそ、与えられた環境に感謝し、生命を尊重しなければならない。この環境に護られてこそ、同時代の人々や生物が愛し合い、助けあうことができる。
わたしたちはすでに、地球の限界について認識し、社会やライフ・スタイルの転換が必要だと考えている。 しかしながら、金の亡者たちは今なお、地球上のさまざまな生命を奪い続けようと走り廻っている。わたしたちは、彼らの暴走をくい止めなければならない。 そのためには、「経済」という概念のコペルニクス的転換が必要である。 経済とは、政府や企業、投資家などの従属物であってはならない。 そして、経済成長に依存しなくとも、ゆったりとした生活を享受できる社会の仕組みを創りたいと思う。 今や、世界のいたるところで、わたしたちと志を共有する「みどりの人々」が結集しつつある。 この流れは、みずみずしい理念のほ芳香を漂わせながら、新しい政治の季節の到来を告げている。