3.11 東日本大震災より3年。持続可能な社会へ
小国川ダム問題と原発事故、津波災害 3.11
川の力が失われれば、真の漁業振興は成り立たない。
河道改修は、赤倉温泉街の再生の絶好の機会。
地域の価値を次世代に手渡すには、
ダムに依らない治水を叶えることだ。
311から3年。
原発事故や津波が「想定外」とされたが
自然災害は常に想定外が常識だ。
「想定外」とは「無責任」を表す言葉でしかない。
科学が政治によってねじ曲げられていたのだ。
原発安全神話のプロパガンダ
防潮堤が生命と財産を守るという常識
小国川ダムの周辺も全く同じ構造。
現場の真実を良くも知らないで
原発や防潮堤と同様の構造がまかりとおる
原発問題と同様。
原発政策に釘を刺す小出先生のような科学者が
ダム問題でも排除され続けている。
治水対策の本質的な議論もないままに、
全国屈指の清流環境が今、失われようとしている。
311は、いかに僕らの常識としていた社会が
持続不可能だということを
知らしめたのではないか。
2万人もの犠牲の無念を希望に変えるには
持続可能な社会へ
歩み出すことだ。
まずは、
科学を政治でねじ曲げてしまう構造こそ
変えていかねばならない。
自然と文明の調和とは、真の対話、真の議論からはじまる。
今、小国川ダムの周辺には、それが全く行われていない。
公権力の圧力と詭弁で真実が隠蔽され、
それを議論しようとしている科学が排除されているのだ。
故沼沢組合長には、
農林水産部長が「ダムありきの協議ではない」と協議に参加させながら、
「ダムに依らない治水を検討しない」と知事は発言している。
事実上、「漁業権の剥奪」をほのめかし「ダム容認させるための協議」への参加をさせたのだ。
驚くなかれ、25年1月から36回も農林水産部や県土整備部が漁協を訪れ説明したが、12月6日にはじめて「更新ができない可能性」が示されたのだと聞いた。そして「公益の担保を示せ」と迫られたと聞く。
明らかに精神的動揺を誘うやり方ではないか。
恐怖と不安の日々が漁協を襲ったことは言うまでもない。
しかし、漁協からは「ダムに依らない治水」を明確に求める回答書が提出されたのだ。
更新後も、なぜ、組合にではなく、組合長に免許が送られてきたのか。
「間違いがあったのではないか」と
沼澤組合長は不安を覚えていた。
本来的な公益といえる漁業振興を営み、治水対策を純粋に訴えてきた組合長を結果的に絶望に陥れてしまった。
この責任は大きい。
311から3年。政治や金でねじ曲げられない、科学を重視したい。
そして人の力では作り出せない生物多様性の奇跡を失わせる行為を止めなければならない。
次世代に手渡すべき、その地域に住み続けたいと思う根拠としての、「地域の価値」とは何か。
全国年間60万人ずつ人口減する社会の中で、
今、地域で何を残すのか。何をつくるのか。
もう一度、再確認する。持続可能な社会への定義を。
1)地殻から掘り出した物質の濃度が増え続けない。
2)人間が創り出した物質の濃度が増え続けない
3)自然が物理的に劣化しない。(生物多様性の尊重)
4)人々が抱く基本的なニーズを妨げない。
基本的なニーズ=生命維持、愛情、保護、理解、参加、創造、自由、休養、アイデンティティの9つ。(マンフレッドマックスニーフ)
今、この国はこの定義でいう「持続可能」へ進んでいるだろうか。
山形はどうか。鶴岡はどうか。
これは科学であり、政治や金でねじ曲げられない真理だ。
このことを判断基準にした政治を私は貫きたい。
だから、
原発ゼロを、防潮堤とは違う道を。
そして小国川には
ダムに依らない治水を
求め続ける。
真の自然と共生する社会を掲げ行動し続けてきた
デビッドブラウアー氏、山下弘文氏、姫野雅義氏、そして沼澤勝善氏
の志を胸に。
真の文明ハ山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さゞるべし 田中正造
3.11より3年 2014.3.11