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「親愛なるデビッド・ブラウワー様 そして川を愛する皆様へ」パタゴニア社のカタログに掲載されたエッセイを再掲載。


http://www.patagonia.com/jp/patagonia.go?assetid=78639

 

親愛なるデビッド・ブラウワー様 そして川を愛する皆様へ

by 草島 進一
『Alpine 2012』カタログ掲載

 

1992年、リオで環境サミットがおこなわれたその年、私はカヌーの上にいました。そして大勢の仲間とともに300艇のカヌーで、完成間近の長良川河口堰に向かって「河口堰建設反対」 を叫んでいました。 貴方は長良川現地にいらして、全国から集まった1000人以上のアクティビストたちの先頭で行進していましたね。私は当時あの運動をきっかけに出会った仲間たちと、空と水の境目がわからなくなるような日本の数少ない清流でカヌーを漕ぐのが至福の時でした。

あれから20年。当時の長良川の運動は、堰は止められなかったものの、リーダー天野礼子氏の呼びかけと強烈なロビー活動により、日本の政治、官僚、建設業界、御用学者、報道機関が癒着した病気の構造が白日の下にさらされ、その結果いくつかのダムが止まり、河川法が変わって、環境と住民参加の重要な2項目が法律に加わりました。これで、2600基もの巨大ダムを作りつづけてきた土建国家は猛省し、変わるのかと思っていました。でも、実態はほとんど変わりませんでした。住民参加や環境も名ばかりで、ダムありきの委員会が跋扈し、ダム建設は進行していきました。

もちろん、志ある民は行動をつづけました。2010年に亡くなった姫野雅義氏は、2000年1月に吉野川可動堰の建設の是非をめぐる住民投票を実現。投票で住民が「NO」を突きつけ、事業を止めました。また同じ年、木頭村の藤田恵村長は細河内ダムの建設計画を、村を挙げてほぼ白紙撤回させました。2001年2月、田中康夫長野県知事(現衆議院議員)は、「脱ダム宣言」をおこないました。「数百億円を投じて建設されるコンクリートのダムは、看過し得ぬ負荷を地球環境へと与えてしまう・・・河川改修費用がダム建設より多額になろうとも、100年、200年先の我々の子孫に残す資産としての河川/湖沼の価値を重視したい・・・出来得るかぎり、コンクリートのダムを造るべきではない」という宣言と実際に4つのダムを止めた行動に、私たちは奮い立ちました。

40年間住民運動がつづいた川辺川。推進反対論者が徹底的に公開の場で議論する住民討論会で潮谷義子元知事が問題を明らかにし、2008年9月11日に蒲島熊本県知事が「いま、この時代に守られるべき生命と財産を踏まえたとき、球磨川の清流こそ、我々が守るべき宝」と表明して川辺川ダムを止めました。そして2009年9月、「コンクリートから人へ」を掲げた民主党への政権交代。当時の国土交通大臣の前原誠司氏は、「八つ場ダムと川辺川ダムの中止。そして全国のダムを一端凍結して再検証をおこなう」と画期的な表明をし、建設予定の83のダム建設に抵抗する私たちは万歳して涙を流しました。

けれどもそれから1年、私たちのあいだには失望が広がっています。ダムに依らない治水論の学者は検証委には入れず、ダム御用学者で構成される完全非公開の国のダム評価委員会は、次々と建設推進に「GO」を出し、反対する多くの住民やNGOの思いは完全に反故にされたのです。皮肉なことに、ダム検証がダム推進にお墨付きを与えています。全国に絶望が広がるなか、「もったいない」を掲げて2006年に当選した滋賀県の嘉田由紀子知事は3つのダムを止め、ダムに頼らない総合治水へと舵をきりました。基本高水論では埒が明かないと、どんな洪水でも非定量型治水流域政策局をつくり、大阪府、京都府、兵庫県など関西連合を導いています。

さて私はといえば、貴方の志を胸に、いま東北の山形の地で県議会議員として地元の月山ダム問題、最上小国川の問題に取り組んでいます。月山ダム建設の利水事業は止められませんでした。2001年のダム竣工により国内有数の地下水を保有する鶴岡市の水道水はダムの水に切り替わり、水道料金は2倍。住民は水質低下と不安定な水温に悩まされています。そしていま最上川の支流随一の清流、最上小国川には「治水専用穴あきダム(Dry Dam)」が計画され、反対運動を展開中です。現在では日本は人口減少社会に転じ、水が余って、貯水型ダムには歯止めがかかっています。国は貯水ダムの環境破壊はようやく認めたようですが、治水専用のいわゆる穴あきダムは環境に優しいと称して、普及させています。

本当にダムによる治水は可能なのか。2004年の新潟水害では、上流にダムのある五十嵐川で死者をともなう水害を引き起こしました。2011年和歌山では3つのダムが洪水で満杯になり、結局放水によって水害を大きくし、犠牲を出しました。原子力発電の安全神話が2011年3月11日に発生した東日本大震災による福島第一原子力発電所事故で崩壊したのと同じように、じつはダム安全神話は崩れているのです。また東日本大震災の津波災害ではいくつかの場所で、津波が数千億円で作った潮止め堤防を乗り越え、大勢の方々が命を失いました。それは基本高水水量を想定してつくるダムも同じです。想定以上の洪水がくると、人命を奪う凶器にさえなる。私たちは教訓とすべきです。元京大防災研究所長の今本博健氏は、「穴あきダムはダムの延命策としか思えない歴史的愚行」と評しています。

貴方が「地球を失ったらどんな経済も成立しない」と伝えていた環境の経済価値。私はその自然資本(Natural Capital)を論点にしようと、鮎釣りに3万人訪れる小国川の価値を年22億円の経済効果、そしてそれがダムで失われれば年10億の損失と試算し、県議会で議論中です。今年の「リオ+20サミット」の中心テーマになっているグリーンエコノミーの内の「生物多様性の経済価値(TEEB)」は、2010年の生物多様性サミットでも目標が定められましたが、実効力は乏しいままです。米国では、流域の地域経済のためには漁業を復活させたり、レジャーに使ったりしたほうがいいと1994年にダム建設を止め、いまや700ものダムを撤去したと聞いています。でも日本では、いまだ土建会社が儲かれば地域経済は潤うとする古い政治屋たちが跋扈しているのです。

でももう市民は気づいています。ポスト311の希望の社会づくりには、原発もダムもいりません。古い利権ムラを脱して、社会のビジネスモデルを変えるときなのです。私たちが行動するとき、貴方のスピリットがいつも胸にあります。いま行動のとき。子どもたちとともに川に遊び、本来の美しさに触れ、それを未来に手渡すアクションをするときです。