新潟水害の現場ー2中之島町より
中の島町。
今朝より、町民文化センターのとなりにある木造の体育館に、本格的に中之島町の水害ボランティアセンターがたちあがり、朝からニーズ調査として被災地を歩いた。
決壊し、泥流が町をのみこみ、車や家を押し流した現場。
決壊個所から周囲約百メートル。約30件は泥に押し流され、ほとんど家々は崩壊に近い状況。そして昨日も雨のため午後5時には避難勧告がでて現場にいることを許されなかった住民の人たちにとってもひさびさに天候が回復した今朝から本格的な復旧作業といったところだ。
中之島町は、町役場自体が水没したため、災害対策本部は、町民文化センター内に設けられている。そのセンターから、1キロもいかないところに最もひどい現場があるため、ボランティアは徒歩で現場へ行く。幹線道路沿いの被害のひどい場所には自衛隊が200人ぐらい、重機などを使いながら復旧作業をおこなっていた。そして路地に入ると、まだ水が完全に引かない中。また泥が厚さ約50センチも堆積している中、泥の中で、全身どろだらけになりながら、住民の格闘がおこなわれていた。親戚縁者、知人友人総結集で作業していたところはあったが、人手はいくらあっても足りない。「ボランティアさんかい、何人でもいい、早く送ってくれ」と家々で呼び止められる。バケツリレーで泥を家からかきだす。水没し、泥まみれになったたたみや家財道具を家からだす。土のう袋にいれて使い物にならなくなった財産をどんどん外につみあげていく。場所によってその様子もかなり異なるけれど、ほとんどの家々で、いつ終るともしれない途方もないように思える作業に挑んでいた。
今日は、ボランティアの人数が千人を越えた。みんな戻ってくることには全身泥だらけになりながら、奮闘。高校生から、60代、と思しき老若男女、志で集まった皆さんの大健闘。
「いやあ、とにかく現場はひどかったですね。精いっぱいやったけど、いつまでかかることやら」
これは現場からもどってくるボランティアのホンネだ。とにかく現場に立つと、その深刻さがずしりとくる。でも、着実に、みんなの力が現状をいい方向に変えている。
神戸のときもそうだったけれど、被災者の方には、これから、いろんなものがふりかかっていく。自分の家に住めるようになるのか。住めたとしても、家財道具は全部ゴミと化してしまった。それをどうするのか。水没した車はどうするのか、家族はこのまま作業が続いても大丈夫なのか、火曜日から会社だけれど、仕事ができる状態なのか。商店は再会できるのか、被災地の現場の住民だけの特別の時間が流れ始めている。土手の川の向こうには、全く別のフツー時が流れていることを思うと孤独感や、絶望感がつよくなっていくのではないだろうか。
中部水害の3倍ともいえるこの水害は、かなりの長期戦といえる。まずは全国からの愛をゆっくりと、この近くて遠い被災地に、送り続けることが必要だ。
私のホームページに現場の画像をアップデートしています。
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