風邪ひきにつき。
うむ。この3日ほど風邪らしく熱がでて調子がいまひとつ。中越行きも3日間見送って事務所と実家を行き来しつつ回復のための調整といったところ。
3月議会もようやく24日で終了。反対討論、一般質問は後にアップするが、やはり今回もバイオベンチャーへの投資について、きちんと市民に説明するように問うた。しかしながら、またもおぼろげな答えしかかえってこず、戦略マップどころの話ではなかった。60億円の枠組みを超えてその研究所から生まれたバイオベンチャー企業をコーディネーターとして、さらに今年と来年14億つぎ込んでインキュベーション施設をつくるというものだ。
さてまずは、たまっていた日記から。
26日、行革関連のネットワークで知った「マニュフェスト」についての学習会へ。北川 元三重県知事をはじめ、とても刺激的な会だった。
その後、徳島市議、村上君に「中越の現状と地域防災の話を」との事で、東京から飛行機で徳島へ。軽く夕食をすませた後、第十堰の運動の拠点としてみんなでつくったというリバーハウスへ。ほとんど地元材をみんなで切り出してきてハンドメイドしたといわれた施設の立派さにびっくり。その日は、長年専従スタッフをやってくれた方の送別会ということで、我々の水の運動の恩師ともいえる姫野さんをはじめ、多くの生き生きとした笑顔に会うことができた。
吉野川の川の学校のプログラム他、参考にしたいことだらけだった。
次の日、村上君の新居の近く、町内会の自治会館のようなところで30名ぐらいの方にいらしていただいて、お話をした。皆さん本当に真剣に聞いてくださり、また、南海地震のための備えとして、何をしておけばならないかということについて、熱心な質問もいただいた。とても充実した会だったと思う。
30日は長浜市に行く。バイオ大学への市の対応について伺うためである。
年度末のいそがしい時ではあったが、担当職員の方にいろいろ伺うことができた。長浜バイオ大学についての市の支援としては開学の時の14億円程度の出資のみということである。あとは、独立した私立大学として歩んでいるだけである。このバイオ大学に関連するものとして、この地でもサイエンスパークの構想がもたれており、それ用の土地が造成され、インキュベーション施設がかんがえられていた。
つづきは後日。