熊本地震救援活動報告 益城町 4月24日4月25日
5月24日から25日まで 一般社団法人OPENJAPANの一員として熊本県益城町に滞在し車中泊避難者にテントを提供して移り住んでいただくテントプロジェクトのコーディネートをおこないました。24日現地調査、支援Pミーティング、深夜早朝避難所、車中泊状況の調査。荷受け。25日調査とテント設置、手渡し というスケジュールでした。
25日早朝、OPENJAPAN 吉村氏らが発災直後から取り組んでいる 倒壊家屋からの車救出、思い出の貴重品救出作戦を展開する益城町文化会館周辺の現場を案内していただきました。震源に近く最も倒壊家屋の多い現場です。
一度目の地震では助かったが、二度目の地震で家屋が倒壊して亡くなられたご家族の家もありました。
現在、現地で最も高いニーズは、倒壊家屋の中から車や通帳、印鑑、補聴器、アルバム、位牌、金庫など、ご家族にとって思いでの詰まった物や貴重な物を取り出す作業です。こうした物を取り出すことさえできれば、避難者は被災地を離れることができます。阪神淡路大震災の「神戸元気村」でも2月半ばぐらいから1ヶ月ほどこうした作業を実際におこなっていました。しかしながら、この作業はその危険性からその後災害時の度に立ち上がる社会福祉協議会を中心とする災害ボランティアセンターの枠から外れる作業でもありました。中越地震などでも課題となり、日本財団黒沢さんと吉村氏らが立ち上げた、ユンボ、ユニック、チェンソーなど重機を動かせる技術系のボランティアチームのネットワークDRT-JAPANが今回も当初から車の救出をはじめ、大活躍しています。
神戸元気村を副代表として共に動かし、OPENJAPANの理事である吉村誠司君はこの活動の中核として活動しています。現在、益城町の災害ボランティアセンターとも連携がとれはじめ、現場の監督と危険な作業をDRTがおこない、一般ボランティアがその指示を受け、安全を確保しながら作業がおこなわれていました。
さて、私達のテントプロジェクトは、避難所のプライバシーの無い暮らしからの開放と車中泊の対策として、アウトドアメーカー(コールマン社)に100張りのテント提供を呼びかけ、現地での手渡しをおこなったものです。このテントのプロジェクトは2004年の中越地震の際にはじめておこなったものです。中越地震では1週間で2名の方がエコノミークラス症候群で亡くなり、結局7名の方の死亡が確認されています。当時私達は600張りのテントを集め、小千谷高校のグランドに50張りほど建て、そしてどんどん配っていきました。それ以降、新潟のスノーピーク社、コールマン社などと連携して、中越沖地震、などでテントのプロジェクトをおこなってきました。
24日の夜に避難所やコンビニの駐車場で車中泊をされている方々の様子を拝見しました。また早朝に益城町総合体育館の様子を見に行きました。体育館の中はびっしりと廊下まで人であふれかえっていました。薄い発砲スチロールは配布されていたようですが、その発砲スチロール板に毛布というのが基本でそれにくるまってお休みになられておられました。お年寄りも、また、赤ちゃんを抱いた若いご夫婦も全くプライバシーのないところで雑魚寝状態でした。
プライバシー対策としての仕切りやテントなど早急な対策の必要性を改めて強く感じました。
今般は、貴重品の掘り出し作業で出会った車中泊の方からテントに移っていただきました。
倒壊家屋のそばでずっと車中泊されておられたご夫婦。犬が家におり、地震後興奮して鳴きやまないのでどうしても避難所にはいけない。かろうじて助かった軽ワゴンに貴重な荷物を入れ、それにお二人で寝泊まりされていました。
テントを建てて、
この笑顔! 今日から足を伸ばして寝れますーと満面の笑顔でした。
赤ちゃんと幼児と3人で家の近くの駐車場で車中泊されていたお母さん(なんと東根市出身)
また、地震後家が倒壊し、友人から借りた軽ワゴンで娘さんと一緒に車中泊されておられた88歳のおばあさん。
文化会館の脇にたてたテントに荷物と一緒に移っていただき、ゆっくり休んでいただきました。「今日から足を伸ばして眠れます ありがたいです」とお言葉をいただきました。また、益城町杉堂で有機農業を営んでいる西田さんは今般被災され、車中泊中とのことを、知り会いから連絡をいただき、テントをとりに来ていただきました。
テントは、私が滞在している間、車中泊で緊急要請があった西原村の方々に20張り。南阿蘇の方で本田技研の体育館に一時的に避難されている方々に30張り、熊本市内で車中泊されている方に10張り届けることができました。
テントについては、今般登山家の野口健さんが24日、500張りほど益城町の総合運動場に建てたことが大きく報道されていました。それもよしです。私達はできるだけ避難所とは他の場所に車中泊されている一人一人に手渡していこうと決めてテントを提供しています。
中越大震災から一緒に活動したスノーピーク社はこれまで800張り以上のテントを提供。コールマン社は600張り、モンベルも相当数無償貸与。これまで、すべてメーカーが無償寄付の形で配布されています。
私はこの間、国会議員の方々に「そろそろテントを政府調達の救援物資に」と呼びかけています。
現地状況からテントプロジェクトの模様の記録映像
中越元気村でのテントプロジェクト映像
https://www.youtube.com/watch?v=8_mnHxk_6H0
滞在期間中、NPO同士や内閣府、社協との情報交換の場である支援P(災害ボランティア活動支援プロジェクト会議 )のミーティングに参加、情報交換をおこないました。これも東日本大震災の石巻で生まれた文化といえるかもしれません。(当時2011.3.2021、当初の司会役を務めていました)専門性の高いNGO、NPOの腕のみせどころでもあります。また益城町災害ボランティアセンターの本部長とも意見交換、受け入れの状況を確認しました。当面被災知での最も高いニーズは冒頭に掲げた倒壊家屋からの「貴重品の掘り出し」作業となると思います。安全な作業を通じていい連携がおこなわれるといいと思います。
地元のJCの皆さん
OPENJAPANチームの代表、タケさんとトムさん
西宮の石井さんとも再会 益城町災害ボランティアセンターにプレハブ設置の手配を進めていました。
熊本地震支援。加藤清正公とのご縁のある熊本。私にとっては地下水の保全対策で幾度となく訪れている熊本へ。鶴岡から何ができるか。しっかりと考えみんなで行動していきたいものです。
OPENJAPANでは、被災者に車を無償提供するカーレンタル、カーシェアリング事業も展開中。熊本地震で最善策を展開していきます。www.openjapan.net HPもご覧下さい。
また、私は昨年11月に防災士の資格を得ました。阪神大震災、中越水害、中越大震災、東日本大震災や今般の現場経験とネットワークを鶴岡の地域防災の向上に役立てたいと考えています。