月山 開山祭。
毎年7月1日は日常の諸々を排して山にいます。月山開山祭。今年はあいにくの雨だったのだけれど、クロユリやヒナウスユキソウなど可憐な高山植物にも会え、そして多くの月山を慕う方々とともに月山頂上で開山を祝いました。頂上には昨年に完成したバイオトイレがお目見えしており、それを動かすための風力と太陽光のハイブリッド発電機もありました。仕上がったばかりの今年の月山炎のまつりのポスターやちらしを持参。頂上小屋でおうかがいしたお話によれば西川側からの登山客に比べると庄内からの登山者はその3分の1なのだとか。玄関口としての鶴岡の役割が問われてくるなーと感じました。山道を歩きながら、これから僕は何をなすべきか、自問自答。常に原点を忘れず、行動し考える。僕の原点とは何か。まずは水。だ。
いろいろこの間考えて、ある時patagoniaから依頼を受けて書いた一文を思い出した。
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patagonia カタログ1999春。
「ネオ川の民宣言」
2620カ所。日本にはダム(提高15m以上のダム)がこんなにある。そして今もなお
300箇所以上のダム建設が進んでいる。ダム先進国だったアメリカでは、建設コスト
に見合う経済効果が乏しい点や生態系へ悪影響、ダム誘発災害などを理由に1994年、
開墾局で「ダムの時代の終焉」宣言がおこなわれ、先進国各国ではダム建設をほぼ止
めている。それなのにである。その上日本企業はアジア各地でダム建設を我が者顔で
進めている。
かつて日本は、3万本近い清流をもつ「川の国」だった。川はアユ、サケをはじめた
くさんの川魚を育て、森のエキスを運ぶその豊かな水は稲作を潤し、海をも育てた。
人はその恩恵を授かって生きてきた。そして川は物資を運び、旅をする交通の要だっ
た。心を洗い、多くの恵みをもたらし、ときに洪水時には人命を奪う川を人は神とし
て祭り、祈りを捧げ、長年つきあってきたのだ。
だがここ100年足らずで日本の川事情は一変した。建設省、ゼネコンと電力会社、そ
して政治家の癒着構造は、水源の確保や洪水の防止、電力供給を掲げ、あらゆる谷間
にダムをつくった。川は濁り、魚や川漁師、子供たちの姿は川から消え、村はダム湖
の下に次々と水没した。芭蕉や蕪村が愛し、様々な文化を育んだ豊かな清流は荒涼と
した沈黙の水路とダム湖にとってかわった。
水は足りている。洪水には代替えプランがある。最後の清流を守るべくカヌーデモを
展開した長良川の運動はついに19のダムを止めた。この官僚大国でも市民が次々と
立ち上がり勝利しはじめている。子守歌の里、五木村が沈む川辺川ダムを、吉野川の
河口堰を、他すべてのダムを今、僕らの手で止め、川を自由にしたい。カヌーで、釣
り竿をもって、川に繰り出そう。こども達を川に放とう。川に遊び、川の声を聞き、
そして僕らの声をあげよう!日本人は川を愛し、川と共に生きてきた「川の民」なの
だから。
WaterWatchNetwork Stern草島
月山の登山道で8合目に向かうとき、雨で山道が小川のようになっていた。透明な清流だった。これが海にいくまでこの清流をとどめていればいい。心を癒し、育むどこまでも透明な川を。そしてこの山の扇状地が蓄える澄み切った地下水の文化を。僕は忘れないし、これを、そしてこれとつながって生きる文化を、守り次の世代に送りたい。