月山 開山祭。
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いろいろこの間考えて、ある時patagoniaから依頼を受けて書いた一文を思い出した。
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patagonia カタログ1999春。
「ネオ川の民宣言」
2620カ所。日本にはダム(提高15m以上のダム)がこんなにある。そして今もなお
300箇所以上のダム建設が進んでいる。ダム先進国だったアメリカでは、建設コスト
に見合う経済効果が乏しい点や生態系へ悪影響、ダム誘発災害などを理由に1994年、
開墾局で「ダムの時代の終焉」宣言がおこなわれ、先進国各国ではダム建設をほぼ止
めている。それなのにである。その上日本企業はアジア各地でダム建設を我が者顔で
進めている。
かつて日本は、3万本近い清流をもつ「川の国」だった。川はアユ、サケをはじめた
くさんの川魚を育て、森のエキスを運ぶその豊かな水は稲作を潤し、海をも育てた。
人はその恩恵を授かって生きてきた。そして川は物資を運び、旅をする交通の要だっ
た。心を洗い、多くの恵みをもたらし、ときに洪水時には人命を奪う川を人は神とし
て祭り、祈りを捧げ、長年つきあってきたのだ。
だがここ100年足らずで日本の川事情は一変した。建設省、ゼネコンと電力会社、そ
して政治家の癒着構造は、水源の確保や洪水の防止、電力供給を掲げ、あらゆる谷間
にダムをつくった。川は濁り、魚や川漁師、子供たちの姿は川から消え、村はダム湖
の下に次々と水没した。芭蕉や蕪村が愛し、様々な文化を育んだ豊かな清流は荒涼と
した沈黙の水路とダム湖にとってかわった。
水は足りている。洪水には代替えプランがある。最後の清流を守るべくカヌーデモを
展開した長良川の運動はついに19のダムを止めた。この官僚大国でも市民が次々と
立ち上がり勝利しはじめている。子守歌の里、五木村が沈む川辺川ダムを、吉野川の
河口堰を、他すべてのダムを今、僕らの手で止め、川を自由にしたい。カヌーで、釣
り竿をもって、川に繰り出そう。こども達を川に放とう。川に遊び、川の声を聞き、
そして僕らの声をあげよう!日本人は川を愛し、川と共に生きてきた「川の民」なの
だから。
WaterWatchNetwork Stern草島
月山の登山道で8合目に向かうとき、雨で山道が小川のようになっていた。透明な清流だった。これが海にいくまでこの清流をとどめていればいい。心を癒し、育むどこまでも透明な川を。そしてこの山の扇状地が蓄える澄み切った地下水の文化を。僕は忘れないし、これを、そしてこれとつながって生きる文化を、守り次の世代に送りたい。