WaterWatchNetwork 出羽の国から水を考える。設立して19年。
出羽の国から水を考える。WaterWatchNetwork 有志3人ではじめた、鶴岡の水資源を保全する活動から19年。また3.14を迎えた。
この日は、国際河川ネットワーク International Rivers が定めた国際河川アクションデイ。
1998年3月14日。赤川でカヌーを行い、鶴岡市の地下水資源についての学習会を、水文学を専門とする桑原英夫先生を招いて出羽庄内国際村でおこなった。僕はその年の2月に鶴岡にもどったばかりだった。その後、日本海重油災害事故の際の教訓からその年の4月22日のアースデイに湯野浜海水浴場で調査型のクリーンアップをおこなった。
7月には、Juceeの日米コミュニティエクスチェンジのプログラムで米国のNGO、国際河川ネットワークに1ヶ月半ほどインターンしてダム問題を学んだ。その間に、デビッドブラウアー氏に出会い、帰国してからは、ブラウアー氏のブループラネット賞受賞の際のNGO集会をアレンジ。10月、山下弘文氏、天野礼子氏、FOE japan 岡野弘幹氏らとデビッドブラウアー、ケネスブラウアー氏を囲み「地球のヒーロートーク」を開催した。
そして地元で国土交通省、県、市水道部などに掛け合い、99年3月14日は初の月山ダムと水を巡るシンポジウム 「どうなる月山ダムの水道水。水はおいしいの?」を開催した。
それから鶴岡市の財産である地下水100%の水道水を如何に守るか。
地下水源を如何に保全するか。を中心に市議会と市民活動を両輪で進めた。
2000年10月には住民投票を求める直接請求署名運動。1万4千を超える署名を集めたが、残念ながら住民投票を実現することはできなかった。
その後、28本あった水源用の井戸つぶしを阻止する運動。残念ながら21本の井戸は埋め戻されてしまった。7本の井戸は今も現存している。
広域水道に切り替わってからトリハロメタン値の上昇を指摘し、それを下げるために県議会に請願をあげ、その中で岐阜県の広域水道のトリハロ対策を提言。結果次亜塩素酸注入の位置や、調整を変えることで、トリハロメタン値を下げることができた。
2008年、スウェーデンで持続可能な自治体連合の視察(鎌仲ひとみ監督同行)第1回エコ自治体国際会議に参加した際、ヘルシンボリ市の地下水100%で塩素フリーの水道事業を視察。
県議会で、鶴岡市の広域水道の責任水量の見直しを求め続ける。
これまでこんな活動をしてきた。今日改めて国際河川アクションデイ。
最上小国川のダムを止める運動。そして月山ダムと広域水道事業で失われている地下水100%を取り戻す運動。
更には水道民営化の動きから鶴岡の水道を守る運動。19年
WaterWatchNetworkとして、改めて鶴岡の水道事業、水資源に向き合い しっかりと取り組んでいきたいと思う。
本日の晩、久々に来鶴された友人らと市内の居酒屋でお話する機会があった。そこに居合わせた方から「昔の鶴岡の水道はいっけのー」とお話を掛けていただいた。しばし、今の水がどこから来て、いくら分ぐらい県から買う水が余っているか。地下水源はどうなっているか。など水道談義となった。「水足りない」の市の広報は、まるで「計画停電」と同じだったのう。」など、とてもいい指摘もいただいた。お店の方は、料理に使う水はスーパーでくみに行くRO水。そして直接飲む水は市内でミネラルウォーターをつくる赤川縁のB社の水をペットボトルで買っているとのこと。ということは、、、同じ水源、水質の水を数百倍の値段で買っていることになる。以前から指摘していた矛盾がここに現実にあることを実感し、とてもやるせない気持ちを覚えた。更に今国会に提案された民営化(コンセッション)を促す水道法改正の動きにどう向き合うか。如何に地域の水道を持続可能なかたちで守り、おいしい水を実現させていくか。など地域を守る為の水政策は、重要な課題を抱える時だと感じている。1998年2月、神戸の震災ボランティアからこの鶴岡に戻ってきた原点に返る。それから向き合ってきた水道問題は、実は、当初から人口減少を真正面からとらえ議論し続けてきた。初っぱなに人口が2007年から急激に減り始めることを図示して質問をはじめている。やはり水、水道事業は住民、市民の命を育む社会的共通資本であり地方自治の根のように感じている。
私は、まずは市民の皆様に昭和8年からの鶴岡水道の歴史を踏まえ、また、激動期といえる2000年前後や、この19年の営みを整理しまとめつつ、未来に向けての行動を起こしていきたいと思う。
一つの決意を持って臨む20年目だ。