荻生徂徠 鶴岡の行革 上杉鷹山
ちょっと雨がち、まだ暗い鶴岡、コモンズでストーブにあたりながら書いています。
おはようございます。
今朝の朝日新聞山形版に、鶴岡市の行政顧問制度について大きく特集されています。ぜひご覧ください。僕の質問で取り上げた、富山市17000円/月 の特別参与制度についても解説されています。
富山市では非常勤という立場、責任などを勘案した上で月給17000円というのを条例で定めている。大体月1回か2回の特別参与会議というのが開かれているそうであり、内容については、要旨は記者クラブに発表されるそうであります。それに比べると、鶴岡は、月給30万円。(議会の時に「以下」がついたが)月何日働くのかもわからない。条例で定めない。 ぜひ、この比較をしてみていただきたいと思います。
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さて、土曜日は、午後1時から3時まで、中央公民館で「藩校致道館と荻生徂徠」というテーマでフォーラムがおこなわれた。3方の先生方の話しはなかなか興味深い内容でした。
僕は以前より、致道館は「世直し」の教育の場であり、狙徠学は、「形式的、権威的」
な朱子学とは違い、「物事の本質をより求めた」学問だったといいうことだけの知識しかもちあわせていなかったので、「世直しとしての狙徠学は、どのように機能したのか」という問いと、また、米沢、上杉藩で、徹底した藩政改革をおこなった上杉鷹山
に、何か関係があるんじゃないか、と疑問をもちつづけており、「鷹山の統治と狙徠学の関係は?」と「質問カード」に書いてそのまんま、疑問を投げかけてみました。
すると、進行役の芳賀先生が、光栄にもその質問を取り上げてくださり、芳賀先生と松村先生がお答えになってくださったのでした。
当時の庄内藩の「世直し」にどのように機能したのか?は。「時間がないのでこの次」という話しになりましたが、芳賀先生も、松村先生も共通して、鷹山と狙徠学の関連については大いに関係がある。とどんどんお話になってくださったのでした。
松村先生(慶応大学教授)によれば、狙徠の側近のブレーンは平洲とされているが、実は、鷹山は、米沢にかかわるはじめと最後に、狙徠学に学んでいることを打ち明けているという。聞けば、藩政改革に携わったほとんどの人が、狙徠学に学んだ武士達だったとのこと。狙徠学が「世直し学」として鷹山の「桃源郷づくり」の根本思想だったということを明確に語られた。
これは僕にとって、すごい、大きな収穫だった。鷹山と狙徠学との関係。
聞けば、鷹山は隠れ狙徠派で、表面ではそれを絶対に証さなかったという。
庄内藩はそれに比べて裏表なく、まともに狙徠学として致道館で学んでいた。
では狙徠学とは何か?
芳賀先生は「現実をヒタモノに見よ! ありのままの真実を見よ、ダイレクトにそのままを見よ」ということ。や、「部下をとるときは、暴れ馬をとれ」「原典を読め、歴史に学べ。つまり本当にあったできごとの現場に学べ」という事。
そして、決して「絶対視」しないこと。勝手に決めつけないこと。世の中は流動的なのだから、「相対的」に眺めるのだということ。
資料によれば
狙徠学は、儒学を個人道徳の学ではなく、政治支配の学とする。そのため、被支配者に政治意識の覚醒を促す危険思想であるとされ、異学とされた。
狙徠は、画一的な人間のあり方を否定し、人間の多様性を尊重した。
すべての人が君子然とした道徳的人間になることを目指して励んだところで社会はうまくなりたたたず、「米は米なりに、豆は豆なりに」各人各様の材を発揮して、社会全体の一構成員としての役割をになってこそ、社会は成り立つと考える。
うむ。狙徠学。致道館。もっともっと、学んで参りたい。
公演後、芳賀先生と松村先生にごあいさつ。阿部久書店でみすずの全集を求めたら、「松村先生はよくいらっしゃる」との事。
「狙徠と改革の鍵」私も、当面のテーマとして探求して参りたいと思います。
狙徠学、致道館教育、お詳しい方、ぜひご指導のほど、よろしくお願い申しあげます。
その後、念願だった「蝉しぐれ」を見ました。志、愛、信念。美しい鶴岡、庄内、月山、清冽な水、美しい映像、よかったです。感謝。
さ、今日は朝市のよう。いってきます。
今日も一日よろしくお願いします。ところどころで街宣します。