持続可能な鶴岡ブログ

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1.17阪神淡路大震災より11年。


犠牲者数。6432人
阪神淡路大震災。希望の灯り。追悼と震災を伝える。

1995年1月17日午前5時46分 阪神淡路大震災

震災が奪ったもの 命 仕事 団欒 街並み 思い出

…たった1秒先が予知できない人間の限界…

震災が残してくれたもの やさしさ 思いやり 絆 仲間

この灯りは 奪われた すべてのいのちと

生き残った わたしたちの思いを むすびつなぐ
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僕はこの10年、神戸でこの日を迎えていたが、今日は鶴岡で希望の灯りを灯し、黙祷した。

僕は「神戸」を、6432名の犠牲を。
そして神戸元気村に集ったあの生き生きとした顔を。つくりだした笑顔を。「ボランティア元年」を生み出した神戸の経験を、今、活かせているのか。改めて問いかけられる。そもそもボランティア元年という言葉は、朝日新聞アエラの記者だったS氏が元気村の取材を通じて生み出した言葉だった。「ボランティア元年」「神戸から未来が見える」元気村の本部の写真とともに当時の「アエラ」には掲載されている。

北淡町では黙祷の後、「上を向いて歩こう」が合唱されていた。95年2月6日。東灘と灘区の境目の石屋川公園の神戸元気村、畳7畳でステージを組んで、国道2号線に向けて、元気村ライブ初日。はじめに歌ったのが「上を向いて歩こう」だった。

今日、僕は鶴岡にて、神戸を想う。そしていかに鶴岡に活かすのか。じっくりと考え、新たなるつながりをつくりだすための1日にしたいと思う。
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volunteer
元気村 

笑顔を一つつくるために、動く。つなぐ。
眠らなくても平気な自分があった。
太い「今」という時があった。
とにかく笑顔をつくりだすのだ。とそのエネルギーに。

一人、一人、集まってきた。
昨日まで全く知らないどうしだったのに、
今、同じ思いをもって一緒に
汗を流し、真剣に、作業をしている。
笑顔に会えて、涙を流す。
だんだんその輪は広がって、
みんなに元気が 満ちていく。


金がしばりつけていた、
ゆがみやひずみから解き放たれて
自分が生かされた。生きた。一瞬を
かいま見る。
自由な笑顔に満たされる。

つながりは、全国へ。そして世界へ。
ひとりぼっちで。
でも真剣に今をみつめている人の元へ届く。
なんとか助けたいという思いをもっている
人へ。
間違いを、誤りを正そうとしている
人へ

今、動いて、つながれば。
過去は遠くに過ぎ去って
一皮むけた自分がやってくる。

そして、新たな一歩を
踏み出したみんながやってくる。

昨日までは思いも寄らなかった
広告代理店では思いつかない
ゼロから1が
生まれる。

自分の根っこが見えてくる。
社会の本当が見えてくる。
未来への光が見えてくる。

そのどこまでも透明なエネルギー

僕らのエネルギーは、
権力よりも真実につく

このエネルギーこそが

現場を知らない評論家たちが
でっちあげる虚構のマトリクスを

この 大人しい顔をして
実はひずんだ世の中を。

一部の人の金儲けのために
コントロールされた世界を

戦争にひっぱって行く
狂った思いを。

ハコモノ体質で、冷たい
行政姿勢を。

井戸まで潰してダム水を強要する
理不尽を

物欲で心が病んだ社会を

正すのだ。


動き出せ。
動き出せ。

今、動き出せ。  1.17 2006
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新たな一歩。

●鶴岡を拠点に、災害ボランティアチーム、元気をつくりだす文化拠点として「月山元気村」を立ち上げる。参加者の呼びかけを開始。機能として神戸、重油災害、中越などの教訓を活かし、全国の災害ネットワークをつなぐ。継続した中越支援をおこなう。米国CARDとの連携。防災、耐震などの民間ネットワーク拠点とする。
●水はライフラインの根っこ。水問題への取り組み強化。
●地域に根ざし、コモンズ(絆)の再構築。
●雪害防止のための調査
●米国災害NPO、CARDの資料映像整理。とネットワークの再構築。

◇復興でなく再生。
本当のしあわせとは何か。豊かさとはなにか。ハコモノでなく精神的豊かさを享受できる新しい社会の再生こそ課題。鶴岡の改革、再生を考える。
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◇神戸 再考。神戸新聞http://www.kobe-np.co.jp/
神戸新聞よりクリッピング。神戸元気村の時、僕らは孤独死防止のために、ベルボックスというプロジェクトをやってきた。孤独死は復興住宅でも増えているようだ。
地域のきづな、コモンズをいかにつくるか。きづなの再構築、補完をどうするか。まだまだ課題のようだ。神戸新聞調べのこのデータは貴重。敬意。
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●神戸
復興住宅の孤独死 6年間で396名。昨年だけで69名復興住宅独居死69人 05年、見守り進むも横ばい
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2006/01/15

 阪神・淡路大震災の災害復興住宅で亡くなった一人暮らしの「独居死」が、昨年一年間で計六十九人に上ったことが十四日、分かった。うち、六十五歳以上は約74%(五十一人)を占め、総数は過去三年間、ほぼ横ばいの状態。死後、比較的短期間で発見されるなど、公的な支援者らによる見守り活動の効果は表れつつあるが、入居者の高齢化がさらに進み、コミュニティーづくりは難しさを増している。

 兵庫県警が「変死者」として検視したデータを参考に、神戸新聞社が一人暮らしの入居者について死亡状況をまとめた。

 仮設住宅が解消した二〇〇〇年一月以降、六年間で復興住宅での独居死者数は計三百九十六人となった。

 昨年の六十九人の内訳は、男性が三十八人、女性が三十一人。死因別では病死が五十七人(約83%)と大半を占め、これに自殺の七人(10%)が続き、残りは事故死などだった。

 発見までの経過期間は、二十四時間以内=三十四人(49%)▽二—十日=二十四人(35%)▽十一—二十日=七人(10%)▽発見後死亡=四人(6%)—の順。

 最長は十九日間だったが、前年までの五年間では一カ月以上経過した例が十三件あり、全体として経過期間は