黒川能 soft power
2月1日。朝のつじ立ちから1日をはじめる。
一本「動物虐待」についての電話をいただく。茅原でブリーダーが飼育していた30頭もの犬が餓死したとの事。
午後、大学関連施設などについて意見交換。
毎年、2月1日は黒川能を楽しみにしている。2月1日、2日間、夜通しでおこなわれる黒川能。混雑が落ち着く時間を待って下座へいく。狂言、能を交互に「禰宜山伏」「石橋」「棒縛」「胡蝶」などを観る。気がついたら深夜2時をまわっていた。白々と明けるまでこの能はおこなわれる。
500年以上続くといわれているこの文化。エネルギー、凄いの一言だし、これを守り続ける集落の人達の信念、団結力。本質的な、強烈なまつりの美しいパワーを感じた。
能の方は方言で演じられる言葉を理解することは難しいが、面、衣装、仕草。せりふ。一場面、一場面、一心に奉納の舞台を演じる一人一人をみていると、山伏修行の時、勤行を唱える如く、いつもは忘れていたけれども、何か、古くから遺伝子に組み込まれていたような時間の流れを感じるような瞬間がある。
それに、ここに観ているものは、まつりとしての本当の美しさということか。このまつりには演じる人だけでも大地踏みを演じる小さな子供から白髪の大先達まで参加をする。準備で豆腐を焼く、雪かきをする、扇をかつぎ、春日神社の階段を駆け上る時は若い衆がめいっぱいの力を出す。資金を寄付する、などと集落の多くの人が多様なかたちで参画をしている。
自然の恵み、神に感謝し、一心に演じられる能。一挙ににぎやかになる狂言。神が宿るゆるやかな時間の流れ中で、まつりにコミットしながら、集落のきずな、団結力が保たれて、幸せに満ちている。
観客の僕らはその中のひとつまみの時間を共有し、高揚するのだが、こうしたまつりこそ、カネ、モノにしばられた呪縛を溶かし、触れることのできる本物の美しさであり、ソフトパワーなのではないか。
このまつりは、この集落や鶴岡を超え、まぎれもない偉大なる宝ものだ。民がつくりあげるこうしたソフトパワーやクリエイティブこそ、この混迷の時代の闇を照らす光なのではないだろうか。
様々なご苦労があると思うが、この透明で偉大なエネルギーの場を生み出しつづけている、黒川の皆さんに拍手を送りたいし感謝したい。