教育基本法
教育基本法改正をめぐる議論。「愛国心」問題で諸々メディアをにぎわせている。
今、「世界」7月号でも特集が組まれていてずいぶんと参考になる。
その中の苅谷剛彦氏の一文になるほどと思った。以下、引用。
「どのような内容のものであれ、教育基本法に、徳目や倫理規定のようなものを書き込むことには反対である。教育とは、次の時代の社会の成員を作り出す根幹の部分で、どのような時代にあっても、価値観や世界観の形成に関わってしまう権力性をもつ。そも、露骨に子供の内心に強制的に働くよりも、もっと微妙にソフトに、子供も自らを「主体的」に突き動かしていくように作用する権力である。教育というものには、こうした権力性が不可避的に備わっている。そのことに自覚的であるなら、個人の精神に作用する価値判断を法律に持ち込むことはおかしい。法と道徳との混同がみられるからである。ーーー略ーー
人の生き方に直接関わる倫理的、道徳的判断を、法律としては定めないほうがよい、ちうのが個人的見解である。
僕も同感だ。そして氏の論文「抱き合わせ改正にどう対処するか」は実にこの基本法改正のウラがよく読みとれる。真に教育改革のための基本法改正なのか?ということだ。
氏は、教育振興基本計画と基本法改正とを抱き合わせではなく、切り離して、教育財政の切り崩しに対処するための教育振興基本計画の法制化、基本法は現行法の維持を主張する。
また、
今国会でおこなわれていた教育基本法改正論議にたいして、田中康夫長野県知事は
「国会では、教育基本法論議が活発化し、「愛国心」や「伝統と文化を尊重し,我が国と郷土を愛する」といった表記をめぐって政党間で争われています。しかし、「愛」を筆頭に、こうした文言が法律に馴染むとは思えませんし、日本の「伝統」ではこんなのは「野暮」と呼びます。教育と文化が不可分であるとすれば、そもそも日本文化に対する中途半端な知識や貧弱な理解を露呈しているだけです。論議中の「国」は為政者のことにすぎません。」
「むしろ、思い込みや思いつきの権威主義的な強要に対する批判的姿勢の育成の方が、今日の教育において、有意義です。今の基本法論議からこれが欠落している点に気づかず、政治的課題を教育へ解消しようとするオッペケペーぶりが問題なのです。」と論評している。
ふむふむ。
実際のくらし、現場に即して、考えること。イデオロギーでなく、二元論でなく、こうした問題こそ、「誰か」に任せておくのではなく、みんなで、多様性をもちながら考え、議論することがまず大事な事だと僕は思う。矛盾、理不尽はどこにあり、何を選択すべきか。みんなで考えましょう。