参加の保障ー神野直彦先生のお話から
今日から3月である。
公益文科大学大学院でおこなわれたシンポジウム「新しい地域像を求めて」に参加。
神野直彦先生の講演をひさびさに聴いた。現代社会の指針として、非常に興味深い要素満載。「日本の社会は安全、安心な社会ではなくなった。国民の生活が荒廃している。人を信用しない。」先生の話はまず、今の日本の姿をあぶりだすことからはじまった。競争社会、市場主義社会によって崩壊してしまったコミュニティを再構築するためのソーシャルキャピタルの重要性、
また、重化学工業を基軸とする産業構造から知識社会へと雇用構造も変わっているのだが、その際に、その新しい産業社会に参加するための知識などを、誰もが自由に無料で学ぶことができるなど、参加の保障を実現することが重要だということ。
また、「発展」というのは「ほどく」という意味であり、内在しているものを、花開かせて発展。
外からの圧力によって変形することは、「発展」とは言わない。
特に、民の草の根の力で必要なものをつくりあげていくことこそ本来の発展につながるのだ。ということ。
都市から遮断されている鶴岡だからこそ、地域住民が従来の生活様式を守るのでいいのだということ。
農業の問題は、農政が農業を工業化を考えたこと。市場の効率を求めたことが問題。
等々、いろいろ。「公益ビジネス」を掲げて取り組みをはじめた公益文科大学大学院の先生方の意見もなかなか興味深かった。
質問の機会があり。「国の政治が格差をますます拡大する方向で、希望が見えない今の状況の中、自治体の役割として、これだけはおさえておかねばならない事とは?と質問す。
「今まで家庭内でやってたこと を育児サービスでも労働サービスでもサービスできる給付をしっかりとだしていく。労働市場にも全ての人が参加できる。環境にも、ボランティア活動などを含めて社会システムに、誰もが、そうした、公として、すべての人が参加する条件を地方自治体が保障していくということを作っていくことが大切。
しかし今、国の政策が地方財政そのものの自由度を失わせる布石が打たれてしまっていて、しかも障害者自立支援法など、どんどんおしつけられていっていますから。
国がやらなければならなければならないことを放棄すれば、地方自治体は、肩代わりして負担していかざるをえない。
今は、地域社会で サービス給付にまわせるカネはもうない 。という状態になっているわけです。本当の分権改革を進めようと言うことにならず行革を進めることとなりかねない。
本当に日本の国民はサービスを望んでいないんでしょうか。このままいけば、サービスをどんどん減らすことになる。これは国民の選択ということですが、このままいけば、自治体がそういう役割を果たすことはできなくなり、格差は拡大する方向になっていくだろう。」
とお応えいただきました。
先生の最近の著作「「脱格差社会」への戦略」には、労働市場への参加、生活の「場」における生活形成への参加、公共政策の決定と執行への参加 の3点を挙げ、こうした、参加保障型への転換を とお示しになっている。参加の保障なく、民主主義が崩壊してしまえば、ますます不安、不満の社会になり、経済は疲弊してしまう。ということなのだろう。
先生の最近の著作を紹介しておきます。「希望の構想」(2006,11月発刊) 「脱格差社会」への戦略(06年12月)。