能登地震 ルポ第一弾
能登ルポ第一弾まとめました。
元気村ネットワークのページを更新しました。http://www.gassan.jp/genkimura/index.html
ご覧ください。
本日は鶴岡身内の法事など。
——————————————–元中越元気村 草島進一より現地 第一報 +。
3月28日、29日、30日と能登地震現地のリサーチをおこなった。
28日午前2時に鶴岡出発。午前9時には穴水、10時には輪島。災害対策本部 輪島市長にご挨拶。輪島市内よりも門前地区の方がひどいと伺い門前に向かう。輪島から約30分ぐらいか。
門前は総持寺を中心とした門前町。メインストリートにもかなり倒壊家屋が目立った。ボランティアセンターを訪問の後、最もひどい被災箇所は「道下地区」(とうげちく)ということでその界隈を歩いて回る。震度7の神戸を思わせる光景が広がっていた。
28日は、大型の避難所をまわった。
被災規模が大きい道下付近には、諸岡公民館と、門前西小学校がある。
諸岡公民館はかなりメディアで登場し、炊き出し隊も住民で結成している充実さ。
門前西小学校の方は、小学校の体育館に195名が雑魚寝状態だった。
夜は、鶴岡4名(巖見、村井、佐々木、草島)で夕飯。
その後 分かれて僕は門前に。
西小学校、夜9時をまわっていたが、ちょっと失礼して中を静かに拝見。ほとんど就寝状態。たまたまそこにおいでになった女性に「着替えスペース」にテントはいかが?と尋ねる。「ちょうど今日、自衛隊のお風呂がはじまったんですけれど、なかなか着替えの場所がなくて大変でした」との事。
それはいいということになり、「明日やってみますか」ということに。
27日。朝6時半。 門前西小学校に行く。白山市の給水車が来て、飲料水や水洗簡易トイレなどへの水の補給のバケツリレーがはじまって、その輪にはいる。
地域の人たちが15人ぐらい輪をつくって20分ぐらいバケツリレーが続いた。
簡易水洗トイレも結構水を喰うもんだ。お父さん方がどんどんでてきてすばらしい連携プレイ。地区の力は強いと感じた。
その後、8時からのボランティアセンターのミーティングへ。
ニーズ調査班のサポートをやることにして、その後3件のニーズ調査をおこなう。
その後、道下地区のニーズがあったので、その調査を含み、西小の体育館にテントをもって巖見さんと訪れ設営。「着替え中」の表示板を段ボールでつくって下げる。
区長さんが初っぱなの着替えをし、「これはいいねえ。それにあたたかいもんだねえ」と一言。
設営をしている途中に神戸黒田さんがいらっしゃり再会。「これはいいわねえ」と一言。黒田さんのアドバイスもあってテントの入り口を「高齢者がつまづかないように」入り口の下の部分にテープを貼る。
なかなかやはりいい。
テントプロジェクトは神戸の「避難所のプライバシー確保やエコノミー症候群対策」で中越に僕らが展開したプロジェクト。中越では600張りのテントを集め、どんどん手渡していった。
そろそろ「体育館に雑魚寝」という災害時の風景を変えたいという気持ちも込めたプロジェクトだった。今回はそのさわりといったところか。まず、快く受け止めてくれて喜んで頂いて良かった。
それから、近所のニーズ調査へ。大正時代の洋館を思わせる家。一見頑丈だが、中へはいってみると壁が落ちたりして部屋は荷物が散乱。調査をしてボランティアセンターに戻って7名を要請。
8名、金沢からバスできたボランティアが行けるということになり現地へ。現場にはいったのが午後1時。そこからわいわい作業をやりながら、ほぼ1時間でほとんど片づいた。目を丸くし、いかにもうれしそうなお母さんが、ポリタンクの水を使ってコーヒーをいれてくれた。
休憩後1時間作業。水も近所の避難所にくみに行って提供。
お母さんはなんべんもありがとうを連発。「いい仕事をした」と満面の8人。良かった。赤紙、黄色紙はこの家には貼られていなかったが、
金沢からのバスの面々に混じって、輪島市の高校生が参加してくれていた。聞いてみると「自分の家はどうにもならない」からボランティアに来た。と言う。
「えっ」
そこにいるみんながびっくり。
被災した自分の家を放っておいてボランティアに来たという見上げた高校生は井戸一輝君という。家族はお爺さんとひい爺さんとお母さんと、弟、妹、の6名。家は赤紙が張られ、避難所に避難していると聞く。当面一緒に活動するか。と呼びかけてその後、行動をともにする。
その後、 N財団の黒沢さん、元元気村の袖岡さんらと合流。
29日、神戸からの足湯隊が避難所に入る予定とのこと。
codeの吉椿氏に我々が着替え用のテントを設置した西小学校へ足湯を入れることを提案。
28日は輪島市内で打ち合わせをかねて夕食。その後門前に行き、自衛隊の基地のそばで車中泊。
29日朝6時より西小学校へ。code吉椿氏と神戸大、大阪大、京都大、長岡技大の学生と大阪大学渥美先生らと小学校内の教室にて打ち合わせ。午前10時より足湯隊がはじまる。大好評!学生達も足湯でマッサージをしながら、お年寄りからどんどん話をうかがっていた。お年寄りの満面の笑顔がぱあっとひろがっている。すばらしい!
足湯隊の動きをつくるなかで、避難所担当の輪島市職員浦口さんにいろいろお話を伺うことができた。
西小学校に避難している人は、道下よりも海側にある鹿磯地区の方と、さらに山の方にはいった六郎木の方々。約195名。避難所の中は9班にわかれていて
六郎木12 1班25 2班16 3班17 4班22 5班24 6班17 7班21
8班15(名)全体え105世帯、238人。朝、昼、夜などの配給はこうした単位で大きな容器で配給され、分配をするしくみになっている。
浦口さんは、商工観光課の職員だった。そしてなんとこの日、これから「辞令交付なんだ」とおっしゃる。その日に退職なのだとのこと。 当日の事を伺ったが、「雪割り草まつり」の日だったんだ。とのこと。昨日、高校生の一輝くんにも聞いたが、「雪割り草まつり」が相当命を救ったのではないかとのことだった。町民の多くが旧門前町の雪割り草まつりの準備で追われていた時の地震ということもあって、家にいる人たちが少なかった。これが幸いしているのだろうと。
12時をまわって一息。その後、界隈で一軒しか開いていないコンビニで弁当やお握りを買って、日本財団黒沢氏、袖岡氏、日本JC 桑原氏、黒田さんらと合流。情報交換。黒沢氏らは、JCとともに崩れた瓦やブロック塀などが道路をじゃましている場所などで、それ らを解体して、片づける作業などを展開している。若干取材。一輝はその現場でハンマーを振るっていた。
学生らと道下地区、諸岡公民館を視察。諸岡公民館。中越で川口にはいっていたと聞く岡本氏が現場監督的に動いている。
その後、一人になり、気になっていた避難所の中で道路が寸断されて孤立集落になっている深見の方々が避難しているとうかがった「河岸公民館」を訪れる。
その日は警察を先導されて山道をとおって7名の方々が村にもどり、1時間ほど滞在。車や大切なものだけをもって戻ってきたと聞いた。この避難所は天気のいい昼でも多くの方々がいる。ほとんど家に戻れていないからだ。後に財団の黒沢さんを伴って再度訪れる。近くには藁葺き屋根が凄い阿岸本誓寺がある。
その後、役所にいって情報収集。特に福祉関連。高齢者や要介護者へ、民生委員と支援員とで見守る地域見守りネットワークの実態を輪島市門前総合支所健康福祉課の佐藤課長に伺う。辞令交付で引き継ぎと災害対応で忙しいところ大変詳細なる説明いただいた。地図上でどこに、災害弱者となりうる要介護者や障がい者がいらっしゃるかが一目瞭然の地図。これを本人と行政と社会福祉協議会が共有する優れた仕組み。災害弱者対応としてこの地図やネットワークが生きているとうかがった。
その後。総持寺で復興を祈り帰路へ。
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4月1日
現地 天気は良好。code吉椿氏によれば、31日は阿岸公民館で足湯をやったとこと(さすが!)
他の作業もはかどっているとの事。
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現地を訪れる方は諸岡公民館、西小学校を目指して行くこと。
詳細は090-4388-3872 草島まで連絡を。