同感。
今朝の朝日の天声人語。昨日ふれた松岡氏の事がふれられていた。
死に対して、冥福はお祈りするが、肝心は、閣僚の見識を問うこと、一連の「犯罪行為」の疑惑に対してはっきりと答えをだすことだ。
官製談合、や業者間の談合、政治とカネの問題での癒着や不正には、犠牲者がいる。それは税金を支払っている国民だ。だから犯罪なのだ。
こうした犯罪行為について、きちんと答えをださず、ごまかしてばかりだとしたら、国民は大いに怒らなければならない。
これはこのコラムで指摘しているように、政治の、民主主義の本質のところだからだ。
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松岡利勝さんは、何も語らぬまま逝った。便箋(びんせん)1枚に記した国民と後援会あての遺書は「私自身の不明不徳」「ご迷惑」「お騒がせ」といったおわびで、一連の疑惑には触れていないという。言葉が命の政治家として、厳しいようだが最もふさわしくない身の処し方ではないか。
ナントカ還元水も、緑資源機構の談合事件も、政治の本質に触れる話だ。松岡さんは捜査対象ではなかったと安倍首相は語るが、参院選を前に幕引きを急げば、彼の死はあらゆる意味で無駄になる。
死をもっての清算を了とするような政治や社会は退化する。故人の断に粛然としながらも、62歳の男性を悼むことと、閣僚の見識を問うことはきっちりと分けたい。疑惑に正面から反論できないのなら、真実を語って辞めるか、辞めて真実を語るか。責任を果たす道はこれしかなかった。
松岡さんの後を追うように、今回の談合事件で家宅捜索を受けた元公団役員が身を投げた。闇の中で永遠に黙してしまうのは、社会正義に背を向けるも同じだ。
赤坂一帯は、江戸時代の武家屋敷により発展した。南町奉行、大岡越前守忠相(えちぜんのかみただすけ)の邸宅もあった。大岡裁きなら「死んで花実が咲くものか」と諭すところではないか。「生きて、語れ」と。