議論あってこそ。
朝日、天声人語より。
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近ごろの漫才には、「もうええわ」という言葉が頻発するそうだ。2人が掛け合い、話がかみ合わないと「もうええわ」。捨てぜりふを放って打ち切る。ここで客席はどっと笑うのだろう。
こちらは笑ってもいられない。長野県に公共事業を評価監視する委員会がある。煙たい意見を述べる委員らに、県は「もう結構」とばかり、任期半ばで辞職を勧告したという。うち1人の有識者は、意思確認もないまま解任されてしまった。
長野は昨夏、「脱ダム」を掲げた前知事から、ダムを是とする現職に代わった。県側は否定するが、勧告された委員らは「邪魔者の一掃か」と不信を募らせている。行政と漫才は違う。異なる意見に根気よく耳を傾けるのが、治の王道ではなかったか。
「議論の必要なし、問答無用。こういう笑いに浸り続けるのは危険なことじゃないですかねえ」。落語の桂歌丸師匠が以前、本紙に意見を寄せていた。結びには「笑いに限った話ではありませんよ」。異質なものを排除しがちな時代への警鐘に、わが意を得たものだ。
似たことは、国政にもある。安倍首相肝いりの、集団的自衛権をめぐる懇談会もそうだろう。メンバー13人をぐるり見渡せば、行使の容認に前向きな人ばかりだ。世論を分かつ大テーマなのに、異なる声を聞く耳はないらしい。
論敵について、勝海舟が言ったそうだ。「敵がないと、事が出来ぬ。国家というものは、みンながワイワイ反対して、それでいいのだ」。おおらかさと懐の深さは、今は昔の無い物ねだりだろうか。
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長野県の事については以下の記事も
長野県、脱ダム2委員に辞職勧告 「同意なき解任」騒然
2007年08月06日22時39分
長野県公共事業評価監視委員会の委員を務める金子勝・慶応大学教授と保母武彦・前島根大学副学長らに対し、県が任期半ばでの辞職を勧告したことから、委員会がもめにもめている。2人は田中康夫・前知事時代に任命され、公共事業には批判的。共に「多忙」「家が遠い」という勧告理由に反発、保母氏は勧告拒否で留任が決まったが、金子氏は意思確認のないまま名簿から削除された。金子氏は6日開催の委員会に乗り込み、会場は一時、騒然となった。(以上抜粋)
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絵に描いたもち敵なパブリックインボルブメント。
はなから答えがきまっている、ワークショップ。
セレモニーに陥る議会。
住民参加、協働とは名ばかりの事で、官僚のいいなり、行政のいいなりでほとんどが動かされていると思っていいだろう。まさに一握りの人たちによって情報統制、操作し、住民をコントロールする。
それに都合の悪いことを言う人を排除して、時には「ミスリードする」「いたずらに不安をあおるとかといって、非難してあいてにしない
そんなことがまかりとおっている。。常套文句とセオリーが見えている。
そのために、わけのわからないところに私たちの税金がつかわれ、妙な公共事業が次々とおこなわれた。
一体何十年こんなことが続いているのだろうか。先進国、民主主義の国が聞いてあきれる状況が、今、この国にはあるのだ。
一番身近な市政ですら、まだまだ政治が遠いのだ。
この状況をなんとか変えていきたいものだ。
長野はこんなんだが、昨年より諸々ご指導いただいている今本博健 京大教授が委員長だった、淀川流域委員会では、委員長に「宮本」さんがおなりになったとのことだ。
宮本さんは、長良川河口堰運動との対立をきっかけに、河川法の改正、それこそ本当の住民参加のあり方。住民が望む治水のあり方などを追い求めてこられた方である。
淀川水系流域委員会の今後のあり方に大いに注目、期待していきたいと思う。