旧図書館の再活用ー解体していいのか?
朝日新聞山形版1月20日(日)より。
旧鶴岡図書館 どう再活用
藤沢周平も通ったといわれる旧鶴岡図書館。解体へ向けて準備作業も始まった=鶴岡公園で天井の飾り、半円形の入り口に大正モダンの薫りがする
1925年完成、大正モダンを今に伝える
●藤沢周平記念館建設でまもなく解体
鶴岡公園に建設される藤沢周平記念館のため、公園内にある旧鶴岡図書館の建物がまもなく解体される。目立たない木造建築だが、1925(大正14)年に完成した歴史ある建物。戦前、近くの旧制鶴岡中学(現・鶴岡南高)夜間部に学んだ藤沢周平も通ったといわれる。市教委は建物の部材などを保存、活用できないかどうか検討する。(清水弟)
「鶴岡市史」によると旧鶴岡図書館は木造平屋建てで、面積は32坪(約100平方メートル)。工費4745円で建設された。建設の前年に羽越線が全面開通し、鶴岡市制がスタートするなど政治、経済、文化の転機となった時期と重なる。図書館は、物産陳列所として建てられ、現在も郷土出身の人物資料が展示されている「大宝館」(1915年建設)の中にあったが、大宝館が手狭になったため、裏手に新築された。
旧鶴岡図書館は、大宝館と廊下でつながっていた。南側に男子閲覧室が約53平方メートルあり、女子閲覧室は北西側にわずか10平方メートルだけだった。
市文化財保護審議会委員で建築家の鎌田悌治さんによると、玄関ホールや男子閲覧室は赤松の板が張られた。軒先の瓦の文様も珍しく、大正モダンの薫りがある。
「半生の記」に藤沢周平は「一番うれしかったのは、鶴岡公園にある市の図書館に連れて行ってもらったことだ」と書いていて、時期的に旧鶴岡図書館のことらしい。
戦時中、物産を陳列できなくなった大宝館に図書館を移し、建物には東北の部隊が入った。戦後の51年から88年までは、大宝館が市立図書館となり、旧鶴岡図書館は書庫や公園管理事務所として利用された。
鶴岡には、1881年に造られた旧西田川郡役所、1896年に建てられた旧風間家住宅、1903年建築の鶴岡カトリック教会など国指定重要文化財の明治建築が多く残っているため、大正建築はあまり重視されてこなかった。
旧鶴岡図書館は設計者の名前もわからないが、窓ガラスは気泡入りで、変わったデザインの瓦や独特の柱材などが建設当時の様式を伝えている。市教委は25日、建設業者や鎌田さんも交えて現場で検討会を開く。保存すべき部材の選定など、解体作業の進め方を詰めることにしている。
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→この旧図書館については、以前も指摘した。
12月議会の討論の際もこの建物の移築や保存を提言している。大正14年建造。ハーフティンバー方式の屋根ぐみ。この記事によれば、藤沢周平さんも通われたゆかりの図書館ということである。
昨日もいろいろな人に「あげだ建物あの辺の景色さ、あうもんだがのぅ」とか、「あの大正の建物、なんとが残さいねもんだがのぅ」とかと言われた。それと「まだ、釣りバカ会館みでぇに、誰もわがんねぇ内に話し進めやがって、色々意見あるだろうにのぅ」という声をいろいろと頂いた。
おまけに審議会が「議事録もとってないから出せない」という状態であって、今まで途中でのパブリックコメントなどもとらなかった。こんなやり方で本当にいいのか。
確かにプロの視点というのは必要だとは思う。でも14万市民の税金を使ってやる公共事業だ。これがひとにぎりの人だけしか関われないでつくるというのはいかがなものか。まずは、この大正時代の歴史的建造物の解体。そしていろいろ理由づけされているけれど、なんとなくモダンな藤沢周平記念館。場所の事についても、いろいろ、ご意見を求めたい。
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