ナチュラルステップ 人間の基本的なニーズ マンフレッド=マックスニーフ Max Neef 考。
今朝の会では、温海温泉を元気にしようと奮闘するhttp://blogs.yahoo.co.jp/momotosedesign/今朝の会では、温海温泉を元気にしようと奮闘するhttp://blogs.yahoo.co.jp/momotosedesign/
の講演を聴く。うむ。温海の逸材だ!なかなかやるのう。
その後、八文字屋前で街頭演説、風がいきなり冬の風で体が凍えた。
雇用の危機。派遣労働者の大量解雇がいわれているこの3月末。鶴岡の状況はどうなのか、300人とも500人ともいわれている。本来働き盛りの20代、30代の方々の暮らしをどうするか。とにかく仕事をつくらなくてはならない事は喫緊の深刻な課題だ。そして経済危機の時の住民サービスを考える中で、自治体は何をまず優先すべきか。と、そもそものところから考え始めている。
ダム問題を抱えている最上小国川にかかわる中で、ダム推進派の主張を聴いていると、「せっかくようやく俺らの町のバブルがくるんだから邪魔するな」というような声が聞こえてくる。そしてそれは、その動きをつくれば政治資金がもらえるさと考える政治家が結びついて政治的に大きな声になる。その波に、まさに政、官、業
学、が、呑まれてしまい、まさに、これまで、確実に、着実に長年経済を育んできた清流小国川でのアユ釣り客や松原鮎でにぎわってきた本来の流域経済は呑まれようとしている。根底に、「今更農業では食えない、漁業といってもそれだけでは食えない(内水面漁業のこと)」という声がある。でも、最上小国川なんか、鮎に惚れ込んで流域にIターンして、鮎だけでほぼ生計をたてている人がいるというのに。といいたくもなる。それにそうした清流が、そこを泳ぎ、魚をとる、どれだけ多くの子供たちの心に潤いを与えてきたのか。
この、「今ある自然資本が、生み出している経済が、失われてしまう事の損失」というものを全く無視して、こうした事業は進められてきたし、いまだに、そうした重要な経済が、政治の議論のテーブルにのっていない。
巨大ダム事業や原発などの公共事業の根底には、地域の経済という問題が必ず横たわっている。その「経済」をいかに考えていくか。
かれこれ15年ぐらいか。ダムや水問題に直面しながら、ずっと考え続けてきた。これまでは、どう考えても短絡的に環境破壊をおこない、せっかくそこにある自然資本を破壊してしまっていた。心洗われる清流がこの数十年でどれだけ失われてきたかを思うと心が痛い。清流を失った川には釣りにいかないしカヌーにもいかない。そしてダム湖にたまったヘドロは水質を悪化させ、生物多様性を蝕んでいく。結局、月山ダム下にあった旅館は工事が終わるとすぐに経営破綻してなくなってしまった。仕事がなくなったら、なくなったでそれまでとのギャップが激しくなる。ダムができたら維持費用は毎年10億以上かかる。一部は自治体負担。よっぽどのメリットがなかったらできないのだ。月山ダムの問題では、地元の本当の資源である地下水が、わざわざ放棄され、使えなくなっている。地域の資源がまさに台無しになっている。そして月山ダムの水道事業は、人口減少に突入した今、どう考えても持続不能の状況と言わざるを得ない。
最近、僕はこうした、持続不能な経済に陥ってしまおうとする大きな流れをいかに、本来の流れに再生させていくかの糸口を探り続けてきた。それに、これは月山ダムの水道事業が直面している難問であるが、「人口減少」時代へ大きく舵をきった社会でどうするのか。ということも。
そんな暗中模索の中で、スウェーデンの環境保護団体、ナチュラルステップに出会った。「持続可能な社会」への判断規準を定義づけ羅針盤とするコンセプト。 そのコンセプトというのは、まずは、科学の原則のような話からはじまる。
1) 物質とエネルギーはなくなることはない。
2) 物質とエネルギーは拡散する傾向がある。
3)物質は物質の濃度と構成だといえる
昨年の3月に鶴岡で講演された、ナチュラルステップの理事で、特に、この20年間、スウェーデンのエコ自治体運動に取り組んできたリーダーである、グンナルブルンディーン氏は、
「ガソリンタンクが空になったとしても、それがなくなったわけではなく、大気上に拡散されたのだということ。湯船にいっぱいの水にインクをたらすと、ずっと拡散をしてインクとしては使えなくなる。
この法則は自然の法則なので、これを議会が変えようとしても無理なことなのだ。
でも世界を見ているとこれが変えられると勘違いしている政治家もみられるようだが、、、。 と解説してくれた。
それをふまえた上での以下の4つがナチュラルステップのフレームワークだ。
1)地殻から掘り起こした物質の量が増え続けない
2)人間がつくりだした物質の量が増え続けない
3)物質循環の基盤となる自然が物理的に劣化しない。
4)人々が満たそうとする基本的なニーズを妨げることをしてはいけない。
そして、その4の基本的なニーズ(human fundamental needs )というのを概念化したのが、
マンフレッドマックスニーフというチリの経済学者だ。
彼の論考は次のようなものだ。
開発の目的は基本的な人間のニーズの満足であるに違いありません。(人間のニーズは人類のニーズだけではなく、また、存在のニーズでもあります)。 私たちは、「生計維持」がすべてのための不自由しないほどの収入、栄養、住宅、および仕事で満たさなければならない基本的な人間の欲求であることを決して否定するつもりではありません。
しかし、また、私たちは、保護、愛情、理解、参加、レジャー、創造、アイデンティティ、および自由がまた、基本的な人間のニーズであると考えます。
私たちの窮迫している開発モデルは生計維持に主に関係がありました。 しかし、そのようなモデルが経済効率の宗教と市場の魔法により支配されて、彼らは人類の大部分の災いを犠牲にしていくつかの満足を飽和状態にし過ぎました。しかし、基本的な人間のニーズは満たせているでしょうか? 」
と説いている(オルタナティブ ノーベル賞授賞式での講演にて)
生命維持(食、住宅、仕事)、保護、愛情、理解、参加、レジャー、創造、アイデンティティ、自由 という9つの基本的なニーズを満たすことを人間のニーズとして示したマックスニーフ。
彼は、13年にわたり第三世界の貧困社会の場に身をおいて、「裸足の経済学」としてリアルエコノミーを提唱した経済学者としてスウェーデンなどではよく知られる経済学者なのだと聴いた。
彼の説には、こうした説がある。
「GDPの成長は、経済発展の初期の段階では生活の質の向上をもたらすが、“しかし、ある一定の点(閾値)まで であり、それを越えると経済は成長しても生活の質は低下していく”(Manfred Max-Neef, 1995 Manfred Max-Neef(1995)“Economic Growth and Quality of Life : A Threshold Hypothetis”Ecological Economics 15 pp.115-118 )との「閾値 仮説」である。
日本のような成熟消費社会では、GDPが大きいといえども、自殺率が高かったり、1000兆円もの借金を抱えていたりする。「トリクルダウン」効果を助長するように規制緩和をおこなって、格差社会が広がった今、実際は、人々の幸福や満足との乖離は著しいのではないか。と問う声もある。これを言い当ててるのかもしれない。
今、まず、 僕らは、行政サービスのあり方、つまり公として何をすべきか。といった時の「地域経済」の考え方のひとつにこのマックスニーフの9つの基本的なニーズをきちんととらえ直してみたいと思うのだ
実際、今、欠けている事はなんだろう。そしてマックスニーフは、人間のニーズというのは原則的にこの9つで、これは文明や文化の違いがあっても変わらないのだという。サティスファイアーというそのニーズを満たすことができる手段はそれぞれだが、基本的にはこの9つが満たされるように、妨げる事のないように、することが肝要と説く。
これは社会的なセーフティネットを張っていこうとするときの指針にも役に立つかもしれない。ベースとしては生活保障をすべきその暮らしにこの9つが成立しているようにしたいということか。
実は、昨年5月の持続可能なスウェーデンエコ自治体会議ではこのマックスニーフの講演を聴く事ができた。改めてサスティナブルな社会変革の先進国であるスウェーデンで重要視され、ナチュラルステップとしてもフレームワークの柱の一つとして定めている彼の「リアルエコノミー」論に注目していきたいと思うし、関心のある方々と情報交換や講演録の整理をしていきたいと考えている。