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川喜田二郎先生 月山移動大学での教え。


川喜田二郎先生の訃報。
1999年の夏。議員になってまだ右も左もわからなかった一年目の夏、第一回の月山炎のまつりを終えて直後に参加した「月山移動大学」。ほぼ2週間にわたって、テント生活を続けながら、地域の資源と向き合い、点メモを書き、ラベルに書いて、融合させる。まとめる時、グループの中であーでもないこーでもないと、ずいぶん悩み、決断する。数百のラベルをどんどんまとめていき、最終の数枚までまとめる。そのプロセスの中で、全体像がつかめてくる。そうしたKJ法を川喜田先生に直接ご教授いただく、貴重な機会だった。そのとき、僕らのチームは鶴岡周辺の「元気」を探し求めていた。その中で僕がフィールドワークで偶然出会ったのが、「梵字が流れてきた」という梵字川と、三森山のモリ供養だった。そのまつりでの大地や水、自然とつながる祈りの風景に向き合い、取材した。そのおかげでずっと通わせていただいている。
 先生は、当時80歳手前だったか。はじめ、「え、先生もテントに寝泊まりするんですか」と驚いた。どしゃぶりの中でも、日射の厳しい日差しの下でも常に明るい笑顔で前を向かれ、発想と決断を続けておられた。本音と建て前ではなく、現場主義で徹底して本質、真実を探る先生の姿勢にまず僕は心を動かされた。羽黒のキャンプ場。先生や参加した仲間とキャンプで一緒に寝泊まりや食事をしながら、地域の資源に向き合い、この地域の「価値」について徹底的に議論をし、考え続け、過ごしたあの日々は今も鮮明に覚えている。庄内全域から集まった、真実に真摯に向き合おうとする優れた行政マンたちとの出会いも貴重だった。
 最終となった移動大学を、月山の地でおこなっていただいた川喜田先生に改めて感謝申し上げたいし、今、もう一度、あのときみんなでKJ法で作り上げた「鶴岡の構想」をかみしめ、そしてあれから10年たった今を踏まえ、もう一度いかに組み立て直すかを考えたいと思うのだ。そして、立場や多様な価値観を活かしつつ、日々寝食をともにし、時に夜通しで徹底的に議論し考えを融合させ、最終の判断までに至る、KJ法の真の姿勢を今こそ、再び活かさねばならないと考える。月山ー庄内の精神文化や自然資本の営みにじっくりと向き合っておられた、先生の志にも応え、先生も納得するようないいまちをつくらねば。と改めて思う。
「真心と風土、それを大事にすること。」その後、鶴岡にいらしたときのOB会でお話いただいた時の言葉だ。
謹んでご冥福をお祈りします。先生もこの鶴岡のゆくえを、どうぞ見守っていてください。