川辺川の多様な市民活動
東北自然保護の集いが10月30、31日と羽黒でおこなわれた。空港に熊本、川辺川の運動を展開しているゲストのつる詳子さんを迎えに行く。いでは記念館での講演。つるさんは自然観察指導員から川辺川の運動に参画した女性で、川辺川の運動の柱といっていい。一時間の講演の中で、球磨川の荒瀬ダムをはじめとするダムができる前、それこそ、アユで川が黒くなるほどアユが遡り、三千名もアユで生計を立てる漁師さんがいた。そして、洪水を水害とせずに大水として、住民は受け入れていた。というのも、大水がくると水で家が浸かる心配もあるにはあったが、それをしのげば、大量のアユの恵みに預かれる。つまり、大水によって大量のアユを網でかけることができたそうなのだ。思わず、新潟でおきた2004年の水害の際に、一階部分が完全に水没して大損害をうけた「コロナ」の工場のとなりに「水屋」という家屋があり、そこにいる子供に聞くと「水が玄関までしかこなかった」といっていた。これも洪水を受け入れる知恵だと思って感動したのだが、そのことを思い出した。
球磨川では、特に豊穣の川とともに暮らす川の民が多くいたのだろう。でも荒瀬ダム、市房ダムとつくったおかげで、かえって急激に水がくるようになり、危険になった。そして大水として受け止めれなくなった。
流域の人たちのほとんどは、ダムは百害あって一利なしだということをひしひしと感じている。 だから、川辺川ダムの問題には大きな反発があった。ということ。
それから。川辺川ダムについては、今の熊本知事、樺島知事の白紙撤回表明で建設が白紙状態になっているのだが、実は、前の潮谷知事が、賛成、反対の側の双方の主張を公開の場で議論させ合う、公開討論会をおこなったことがとても幸いしているとの事だ。それによって、真実があぶりだされ、推進側の説明の中でおかしなことが次々とでてきたのだそうだ。知事は、中立の立場を貫き、県民、住民の推進側と反対側で九回もの公開討論会をおこなった。このことは山形でも学ぶべきことだろう。
つるさんはダム反対運動にかかわったきっかけをこう話した。「私は薬剤師をやっていて、人間の健康を考えた時、血液の循環がきちんといっているかどうかが鍵と学んできました。その循環がスムーズにおこなわれなくなると病気だったらりガンだったりということは、川だっておなじ。循環を妨げるものをつくってしまう事の気持ち悪さということをなんだか皮膚感覚で感じてしまって、これは止めなければならないと思った。」と。会場、うむと頷く方々が数多くいらっしゃった。
前半はCOP10から今朝もどってきたばかりの自然保護協会の横山さんからの報告。
「いでは」から宿坊「宮田坊」に移って精進料理を囲んで情報交換。つるさんからも表だけではない運動の裏面のこともいろいろと伺い実にいい示唆をいただいた。
このところご無沙汰しており、以前近藤等則氏のライブの際などに大変お世話になった宮田さんの訃報をはじめて伺う。羽黒の議員としてもご活躍なさっていた。宮田さん 改めてご冥福をお祈り申し上げます。
僕はその後深夜バスで東京へ。