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「押しつけ憲法論」こそ思考停止。9条発案は当時の幣原総理。


昨晩の報道ステーション、憲法特集はとても腑に落ちた。

●今の憲法は、「米国につくられたという押しつけ憲法論」は誤りであり、これこそ思考停止であるということ。

●押しつけ憲法論は主に戦時中に大臣を努めていた戦犯らによって主張されたものである。

特に9条の発案者は当時の総理だった。このことをマッカーサーの証言ももとに解説したものだった。

当時の総理の思いをたどっていくと、以下HPにあった。

憲法制定時の幣原総理が亡くなる寸前に戦争放棄条項制定の思いを語っていた。

http://www.benricho.org/kenpou/shidehara-9jyou.html より。

幣原総理
「僕は平和の鍵を握っていたのだ。何か僕は天命をさずかったような気がしていた。非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。だが今では正気の沙汰とは何かということである。武装宣言が正気の沙汰か。それこそ狂気の沙汰だという結論は、考えに考え抜いた結果もう出ている。要するに世界は今一人の狂人を必要としているということである。何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ。

(他日独立した場合、敵が口実をつけて侵略したら)その場合でもこの精神を貫くべきだと僕は信じている。そうでなければ今までの戦争の歴史を繰り返すだけである。然も次の戦争は今までとは訳が違う。僕は第九条を堅持することが日本の安全のためにも必要だと思う。」

 

まさにこれこそ、ガルトゥング博士と共鳴する積極的平和論ではないか。
こうした尊い志で生まれた9条。改めて認識し直すとともに、

僕も堅持したいと思う。そして、思考停止しているのはどっちだ!?とアベ政治に問うていきたい。