8月6日を前に
今朝のつじ立ちは、平和の問題について訴えた。平和問題になると「地方議員がいくらいったって」とか「その件は国の政治の問題だろ」といって、意見書についても反論する某議員連もいるわけだけれど、この平和の問題こそ、私たちは地方自治体の議会としてきっちりと見解をもつべきだと思うし、はっきりと訴えるべきだと思っている。戦後60年、8月6日の広島の日がやってくる。なぜあの日を迎えなければいけなかったのか。いろいろ理由はあるだろうけれど、まずは、政治が官によって支配され、民の声が全く届かない形でおこなわれたということなのではないだろうか。
国の政治はあのとき大政翼賛会(1940(昭和15)年10月,近衛文麿*首相を中心につくった政府への全国民的協力組織。▽内閣総理大臣が総裁,各府県知事が支部長となり,すべての国民をこの中に組み入れて統制し,戦争に協力させていった。1945年6月に解散。 )によって、官によってすべての国民をコントロールしようとした。この組織により、産業報国会・大日本婦人会から隣組まで支配され、言論・思想など,あらゆる面を統制したのであり、報道もねじまげられ、政府にとって都合の悪いことは報道されないまま、戦争がどんどん進んでいった。その挙げ句が、広島、そして長崎なのだと思う。沖縄にしても、全国の主要都市の大空襲についてもこの異常な政治体制の末路なのだということだ。
今、どうだろう。戦争から60年たって、いろんなものが風化しようとしている。そして、あのときの真実をふまえない輩たちによって、戦争をもう一度ひきおこそうとする力がはたらいていまいか。まずは、私たちの税金でおこなわれている政治を、もっともっと、私たちの手にしなければいけないということ。だ。国政も県政も、もちろん市政も、どうだろう。私たちの声が届くものになっているだろうか。
あの時みたいに、官の都合の悪い声といって、排除されたり、報道のコントロールや、言論コントロールがされたりしていないだろうか。
今こそ、真実に耳を傾け、一歩、行動をおこさねばならない。