日本の河川の民主主義
1991年。東京でデモがあった。当時、全国に残るダムのない一本の美しい大河、長良川を守ろう。河口堰建設反対!を訴えるものだった。写真は東京デモの宣伝看板。当時26歳の僕が生まれてはじめて参加した初めてのデモだった。天野礼子さんや椎名誠さん、野田知佑さん、夢枕獏さん、立松和平さん、近藤正臣さん、CWニコルさんらがよびかけていた。僕らはその後、毎年、時には年に数回、長良川現地の河川敷でカヌーデモや大規模集会に結集した。カヌーデモの仲間で長良川や気田川、那珂川を毎週のように下るのが当時の唯一の楽しみだった。 長良川の河口堰は建設されたけれど、この長良川の闘いを教訓に1997年、河川法が変わった。住民参加と環境が加わった。住民投票運動で吉野川の河口堰建設は住民が止めた。いくつかのダム建設は止まった。このときも一人一人の市民の力は微力だったかもしれないが、一つの社会現象をつくりだし、良心のある官僚の心を動かし、頑固な国の政策を変えたのだ。
しかしながら河川には、原発推進の原発ムラがあるように河川ムラがあるようで、川の民主主義を未だ羽交い締めする。多数工作により科学的真実が未だにねじまがっていて、真実の言葉を排除してしまう政治がまかりとおっている。手遅れになる前に真実を多数化しなければならない。戦後70年の立憲デモクラシーも、平和主義も、今大きなピンチを迎えている。今、空気に流されず、真実を見、信念をもって行動すること。か。
ちなみにキャンプが得意なカヌーデモ仲間は95年阪神淡路大震災の現場にも当初に駆けつけてくれ、実に頼りがいがあった。災害の立て直しも世直しも同じなのだ。今もかけがえのない仲間だ。写真は今も行動を続けている仲間がUPしてくれた。僕もがんばろう。
2.22誕生日にあたりーー地球の声、宇宙の声に応えた政治を目指して
神戸元気村の代表、山田和尚、バウさんを送る会が母校明治大学の近く、山の上ホテルであり参加。神戸や被災地救援、平和活動、ストップフロン問題、などに共に取り組んだ有志。音楽家、イベントクリエイター、小説家、そして元総理まで、多彩な顔ぶれが集まりバウさんの49日で天に召される集いを行いました。奇しくもその日は私の誕生日でもありました。私は、3年間活動した神戸を離れる際にみんなからプレゼントされたパドルに、バウさんが書いてくれた一言を紹介しました。改めてシェアします。
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ほかのものに頼ってはいけない
三次元にいる自分自身をよりどころにして
地球と宇宙の真理につくしなさい。
まずは、うごき出せ
神々とともに
光とともに
仲間とともに
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神戸でバウさんと出会い、あの場に残り行動をしなかったら、今の僕はありません。神戸にはいって3日後「ここに残る」と決めた瞬間から全てがはじまりました。その日から何か水を得た魚のように体が軽くなり、1週間ぐらいほどんど寝なくても全く平気な、「今」という時を懸命に生きる、自分がありました。目の前には太い「今」しかない。毎日、毎日それからは、日々それまでの1週間分ぐらいに匹敵する仕事が待っていましたが。朝携帯で起こされ気がつくと明け方みたいな、、、。僕という人間を受け止めてくれたバウさんがいたからそれはできたのです。いろんな場面で向き合って、魂に響く言葉をくれたバウさん。魂の恩師にあらためて感謝します。ありがとうございました。
そして今、私は地方政治の場にいます。 「愛を真ん中に動くこと」とともに、「地球を守ること」を熱く実践をもって教えてくれたバウさんの志を胸に、地球や宇宙の声に応える政治をやっていきます。
森を守り、川を守り、水を守り、魚たちや動物たちをまもり、そして、平和を守り、市民社会を育み、未来を開いていきます。
バウさん、次は僕らの番です。
どうか天から見ていてください。 ありがとうございました。
2015.2.22 50歳の誕生日に 草島進一
最上小国川をカヌーで下る。
毎年お邪魔していた、高寺八講を今年はちょっと失礼させていただき、以前からカヌーチーム3人で予定していた最上小国川へ。
山形県でほとんど唯一といっていい、天然河川 最上小国川。
今、淡水域の生態系は、全てレッドデータであり、現存するすべてを世界遺産として登録してもいいと僕は思っている。
一歩、踏み込んで考えていただきたい。また、私たちはこの山形の貴重な宝物を失おうとしているということを。