カテゴリー: 日記
天神祭
天神祭。鶴岡の伝統のお祭り。このところ、毎年月山炎のまつりを運営する仲間達とアフリカのジャンベ隊で参加している。リーダーは河北町谷地在住で毎年アフリカに通ってはアーティストらと親交をおこなっているテル君。今年はニュージーランドの先住民族、マオリの文化でもあるポイをやっている若者達。アフリカの太鼓もいろいろあって、ドゥンドゥンとかケンケニといったばちでたたくものと、手でたたくジャンベ、アンサンブルを毎年微妙に替えている。シンプルだけれど、見ていてなんとなく楽しい、自由な開放的な「まつり」にできたらという想いでやっている。来年に向けての参加者、募集!
いい循環。
堀江貴文氏の講演を聴いた。鶴岡駅のネットコミセンでおこなわれた、夕学五十講でである。講演の内容は、ベンチャーで起業する際の基本精神のような感じでもあったが、いろいろなディティールでの示唆に満ちていた。なぜ起業か? だまされたまま生きたくないから。ー国の借金も相当額。年金制度も破綻に向かっている。銀行に貯金したところで、その貯金するという行為が奨励された日本だが、実は貯金した金は、銀行の意志にそった投資に使われ、相当の悪循環をうみだしてはいまいか。私たちはごまかされていまいか。今、確実なのは、自分で投資すること。最も有効な投資とは、自分で起業することなのだ。ということ。「いい循環をつくりたいんです。」と何度か言われていたことがすごく耳に残った。
夕学五十講をネットワークで鶴岡でもみれる企画はなかなかいいと思っている。市の予算としてはこの講座を開設するにあたってなお、参考として以下の夕学楽屋BLOGはまたまた興味深い。
http://www.keiomcc.jp/sekigaku-blog/
5月21,22 「変える」勉強会。
5月21日晴天。お昼過ぎから消防演習4時まで。 終わってすぐに公益文科大学大学院のコミュニティビジネス講座へ。加藤哲夫さんとひさびさに再会。「市民的公共性」としての1)私・発の想い、2)円卓会議の文化3)資源の持ち寄り これがコミュニティビジネスやNPOの原則。 役所になかなかないブレーンストーミングの文化、異質なもののとらえ方、などなど、参加できた時間はとても短かったがとても有意義な時間をいただいた。コミュニティビジネスは社会問題の解決のための市民事業であり、新しい経済につながるものと考えている。ひとつでも事例を鶴岡でつくりあげたいものだ。
5月22日は早朝より東京、ビッグサイトでおこなわれたローカルマニフェスト推進議員連盟の総会へ。460名ぐらいの参加者。マニフェスト型の選挙も社会を変えるしくみ。講演では100ます計算で有名な尾道市の陰山校長の「学力低下問題への?」といったものや北川、西尾氏の現在の日本の政治の常識について?をなげかけるものなど、様々示唆にとんだ話を聞くことができた。要は、官僚に白紙委任するような政治をやめること。はっきりとビジョンを示し、市民への情報公開を徹底させ、地方自治体のなかで市民の参加や議論を喚起しながら行政運営をしていくこと。鶴岡もそうあらねば。
塩谷地区のお墓
今日の午前中は塩谷地区の住民から「墓をなんとか修復できないか」との依頼をうけて視察。14,15日に、日本財団のコーディネートでボランティアを100名近く投入して家の解体作業のお手伝いや片づけ作業をおこなう。それの下準備としての作業内容を確認するワンステップだ。
ニートとひきこもり
ニートとひきこもり講演会が酒田でおこなわれた。参加者 約30名。
ニュースタート代表の二上さんの話に熱心に聞き入った。
ニートのほとんどが、次の未来が見えないところに起因している。サポートする側がやることは、要するに本人の自分がみえるように、リードしてやること。
それから家庭内で何とかしようと思ってもなかなか、解決にいたるのは難しい。要するに環境をかえる。社会的なサポートとして何をやるかを考える時期にきているということ。
また、参加者にむけて、「皆さんいったい、いくつの職業がうかびますか」と問いかけた。今、厚生労働省の職業分類ではいくつあるかというと、3万5千もある。
いろんな生き方はあるんだということ。親の職業イメージがせますぎるところにも原因はあるのかもしれないということ。
これまで、なるべくいい学校、安定した仕事ということにのせようとだいたい の親はしてきたと思う。だいたいそうやってやってきた。
でも現実には崩壊している。たいていは、その道ではなく、外にでていく。
不登校のこどもには学校にもどそうとするけれど、不登校 学校にもどれた例は25%
75%の人は学校にもどれなかった。もどされようとしてかなり傷ついた。
要するに、はみでた子ははみでたなりの生き方をすればいい。
それから、会話についてだが、暗い話は、やりたくない。親には。だから、はなせることがあったとき、しゃべる。はなすべきことが何もない。時は、呆然とする。親には彼らは、希望を語りたい。でもそれがなければ、話すことができない。
本人は一生懸命かんがえても答えが出てこない。そこに、「どうするんだ」といわれると、かちんとくる。
などなど、諸々示唆に富んだ話を聞かせていただいた。
ニュースタートは、ひきこもりやニートの子供達を受け入れて今まで700名社会復帰させている団体だ。千葉県行徳に本部があり、宿泊施設があって、そこで集団生活をしたり、様々な社会復帰にむけたプログラムをおこなっているNPO。
http://www.new-start-jp.org/
中越元気村ではこの団体とパートナーシップを組み、ニート、ひきこもりの子たちを受け入れ、一緒に作業をしたりしてきた。二上さん曰く「30人ぐらい参加して、5名は完全に変わった。」こうした体験は宝物だ。との事。
聞いていて思ったのは、こうしたニート、ひきこもりといった人間再生の場として、まさに死と再生の場でもある出羽三山、月山をもつ庄内をいかすことはできまいかという事だ。
講演会が終わって、二上さんを囲んでファミレスで懇親会。3名で囲んで話しをしたが、その一人は、どうも自信なげな28歳。それじゃ、元気村で作業するか。ということになり、次の日の中越の出発に合流することに。
ひとつの出会い。
今日は、一日中、原稿書きと片づけ。晩に明日、酒田で講演するNPO ニュースタートの二上さんと懇談。「雑居福祉村」の構想は相当おもしろい。イタリアでは、精神病院を廃止したのだとか。そして何をやったか、農園でひきとって、青空の下で療養することにしたのだそう。そこに雑居福祉村の構想の原点がある。ニュースタートは現在専従スタッフ50名をかかえ、今までニートやひきこもりといわれてきた人たちを700名も再生させてきた実績をもつNPO だ。明日はその講演会。サポートをする。
学校の耐震診断
新潟中越地震:
学校施設の2割、避難所に使えず 文科省
昨年10月の新潟県中越地震で、避難所として指定されていた学校のうち、約2割が地震被害のため使用できなかったことが、文部科学省の調べで分かった。耐震診断や耐震補強を実施している校舎、体育館は約1割にとどまり、同省は全国の都道府県教委などに耐震性向上に努めるよう改めて通知した。
調査は日本建築学会に依頼し、中越地方を中心とする24市町村の公立小中学校250校を対象とした。地震被害のため校舎や体育館の全部か一部を避難所として使用できなかった学校数は58校(23%)で、建物自体が被害を受けたのが21校、天井材、照明器具の落下などで使用できなかったのが31校だった。
現行の耐震基準ができた81年以前の建設は、校舎で143校(57%)、体育館で116校(46%)あった。うち、校舎で耐震診断を実施していたのは34校、耐震補強は11校にとどまった。体育館では、耐震診断を実施していたのが27校、耐震補強が9校だった。毎日新聞30日朝刊より
→実際、僕らが当初から密着した小千谷高校の体育館も、余震のたびに天井の素材が落下することで、体育館の中に運動会テントをたてていたことがあります。先日調べましたが鶴岡市内の学校の耐震補強もおろか、耐震診断も進んでいないとの事でした。
今年から文部科学省での補助メニューが代わり、これまでは耐震のための建て直しに補助ということだったものが、中越地震の事もふまえ、補強も視野に入れるとの事。
いつ起きるともわからない災害への備えとして、こうしたことこそ優先順位を高くしないといけないと思います。
106人。
106名の犠牲者。尼崎JR列車事故は最悪の事態。当初に置き石かもと語るJRの発言は事故調査委員会にくつがえされた。報道ステーションを見ていて、運転手の同僚などのインタビューから、JR内部の運転手への処遇などについて報道していた。ミスをすると上司に囲まれて、反省文を書き続けなくてはいけないことだとか、今回の事故が起こった路線は、1秒毎に管理されていたこととか。過密ダイヤで乗り換えを考えた末の事とはいうものの、運転手に神業を常に要求しているように思えた。「JRの商業主義の犠牲者だと思う」と運転手の知人は漏らしたということだが、巨大組織の中でおこなわれている「非常識」についてきちんと検証されるべきだ。
心のバランス。
列車事故。 月曜日の午前中に発生し、当初10数名の犠牲者という報道が、この3日間で死者100名を超えるおそれも、という報道に変わっている。犠牲者の方のご冥福をお祈りします。事故というのは本当に一瞬にして起きる。オーバーランした後の心理的な圧力。運転手の身になにかが起きたのかもしれない。列車や運転手や飛行機のパイロットに間違いは許されない。「絶対に」許されない。と、いったとき、「失敗はあるさ、人間だもの」という甘さを完全に排除しなくてはいけない。ある意味で人である事を超えるといったらいいか、職業的に「絶対失敗しない」を日々更新していかないといけない。
今回の事件のニュースを繰り返し見せられるたび、ずっと昔に羽田空港であった「逆噴射」事件を思い出したし、また、こんな事も思い出した。大学時代、多摩川のほとりにすんでいた。河原を散歩していたとき、「ガッタン、ごっとん、●●駅 通過。とびらひらきまーす」と、大きな声でいいながら自転車で走っている50代の男性がいた。目はうつろで、どうも周囲の人の存在に気がついていないかのように自転車でふらりふらりと走っていた。「あの人おかしい」と周りの人はさけて通っていた。電車マニアなのか、それとも元車掌か運転手か、正確なことはわからないけれど、口調は、駅の構内で聞くプロのそれそのものだった。僕は心のバランスをくずされた方だと感じ、「大変な、特殊な職業だよな」と思ったものだ。
間違うことを許されない、プレッシャーがある仕事であればあるほど、精神的なバランスをたもてるように、カウンセリングのしくみがあったり、頭や体の休ませ方に工夫があっていいと思うのだけれど、JRの場合はどうだったのだろう。
今度、酒田に 「ひきこもり」や「ニート」の人に対してサポートしているNpoの代表がやってくる。この問題こそ、僕にとっておおきな課題だ。
温海温泉の朝市
今朝、中越からもどった。明け方に温海までようやくたどりついて、正面湯へ。あがって近くの朝市にいってみる。7年前に立て替え、移設した温泉神社のまわりに十数件あるお店には、民芸品から日本一の塩辛、温泉であたためた牛乳。まさに一店につきそれぞれ逸品があって、お母さんたちが活発によびかける。なかなかの活気。「毎朝大変じゃないの」と聞いたら、「毎朝、朝から4時間ぐらい。そんなにもうかるわけじゃないけれど、楽しいし、健康にもいいのよ。老人クラブいくよりも全然こっちのほうがいいじゃない」といわれて納得。いい笑顔のおかあさんたちにあえて寝ぼけまなこの僕も随分しゃっきりした。
春はあけぼの かもしれない。朝のあつみ温泉は 元気だ。