須田郡司・鎌田東二 写真展とライブ!
11月12日(日)【荒魂ースサノヲの雄叫び】大成功!
公演アーカイブ映像 4K
別角度から HD
舞踏:森繁哉
脚本・歌・石笛・横笛・法螺貝:鎌田東二
テナーサックス 尺八 :松本健一
ジャンベ:佐藤暁子
ブルースハープ・ディジュリドゥ:草島進一
伝説の野外フェス「月山炎のまつり」(1999−2007)以来の歌声が、久々に鶴岡に響きました!ご来場いただいた皆様、ありがとうございました!
鎌田東二先生 絶体絶命・遺言ライブ 2023年7月8日 大阪・中津@Vi code
月山賛歌2023 11/5のトークのエンディングより。
須田郡司、鎌田東二 写真展は5日から12日までの6日間、200人以上の方々にご覧いただきました。ありがとうございました。
須田郡司さんの巨岩の写真は、週刊現代 2023.11.4号「奇岩伝説」としてカラー8P 大特集されました。GOOD タイミング!
須田さんによる解説映像
須田・鎌田 写真展 オープニングトーク11/5 ゲスト草島進一
「災害多発時代の備えと対策」2023.11.7 @鶴岡アートフォーラム 鎌田東二×須田郡司×草島進一
1998年より20年来、ご指導を頂いている 鎌田先生との出会いと、私、草島進一の原点をお話させていただきました。
お詫び 草島プレゼン中 「T・K・B」は、トイレ・キッチン・ベッド(テント)の誤りです。訂正します。
須田・鎌田 写真展 トーク 11/12 ゲスト 森繁哉
災害と芸能「荒ぶる災害の時代に備えて」
鎌田東二 京大名誉教授 松尾芭蕉の奥の細道 の「奧」は、湯殿山である。
須田・鎌田 東北フィールドワーク 11月6日ー11日
草島進一 撮影映像
東北フィールドワーク 11月6日〜11日
鎌田東二先生 撮影映像
第5日 戸来村キリストの墓、大湯環状列石 2023年11月10日
第6日(最終日)田沢湖御座石神社、鏡石、十六羅漢、丸池、ライブリハ 11月11日
10月12日 演目
「荒魂~スサノヲの雄叫び」
2023年11月12日 鶴岡アートフォーラム公演
出演者:
舞踏:森繁哉
脚本・歌・石笛・横笛・法螺貝:鎌田東二
テナーサックス 尺八 :松本健一
ジャンベ:佐藤暁子
ブルースハープ・ディジュリドゥ:草島進一
第一章 悲と旅 約10分 詩の朗詠:「悲の岬」1・2 +歌12 サウンド
「悲の岬1」
月光は黄泉路を越えてきた。満月を串刺しにしたまま血を舐めている処刑台の山猫は何に向かって吼え ているのか。月夜に還ってゆく何処の島がある。故郷への道は塞がれたまま魂の難民は国境線で不安と 恐怖の夜に怯える。全世界を覆う電脳もこの怖れの暗渠をほぐすことはできない。絶対零度の深海闇夜。 癒しなどどこにもないのだ。救いがあるとすれば無力に震える独りの夜を無為に過ごすのを見届ける自己 があることのみ。深遠を呼び覚ますモノが存在するとしたら黄泉路を越えて自己を突き通す無限遠点の まなざしと意思を植えつけたこと。超越の波動が悲の受精卵を苦の岬から突き落とす。満月に向かって 悲しく聳え立つ母之理主よ応答せよ応答せよ応答せよ!
歌1:「探すために生きてきた」
探すために生きてきた 道を求めて生きてきた 夢を求めて生きてきた 愛を求めて生きてきた
12345678910 果てしない 12345678910 切りがない 12345678910 とめどない 12345678910 道がない
探すために生きてきた 探し求めて生きてきた 時を求めて生きてきた 闇を潜って生きてきた
12345678910 果てしない 12345678910 切りがない 12345678910 とめどない 12345678910 終わらない
探すために生きてきた 探し求めて生きてきた
路を求めて生きてきた 夢を求めて生きてきた
12345678910 果てしない 12345678910 ときがない 12345678910 あてがない 12345678910 みちがない
探すために生きてきた 探し求めて生きてきた 夢を求めて生きてきた 闇を潜って生きてきた 探すために生きてきた 探し求めて生きてきた 夢を求めて生きてきた 闇を潜って生きてきた
歌2:「泥の鳥ブルース」
身を切るような鋭さを自分に向ける 身を断つような悲しさに我を失う 俺にかまうな 捨て置け あめつちよ
遠さにあこがれる自分にあきれる 近くにいる君を傷つける自分を恥じる 俺は荒ぶる泥の神 ちちははよ
生れてきてから愛されたことがない 死のうとしても死ねない自分を哄う 俺は飛べない泥の鳥 しらとりよ
恋をしても飛べない自分を呪う 怒りの火山に身をゆだねて死にたい 俺は廃墟のガラクタだ 富士やまよ
生れてきてから自分を壊したことがない 一度たりと自分を超えたことがない 俺は飛びたい泥の鳥 始祖鳥よ
生れてきてから自分を壊したことがない 生れてきてから愛されたことがない Ahu Ahu
詩の朗詠:「悲の岬2」
愛を求めて生きてきた 愛を求めて生きてきた
深い夜の瞳の底でアンテナは疼いた。音信絶対不能の音源を逆探知したが事切れてしまった悲劇的な 預言者を弔う。耳孔の奥でトマトが潰れマグネシウムの閃光が散らばった。神父は手旗信号を使って必 死の面持ちで十字を切ったが誰も気にせず通り過ぎた。夜空を染める無関心と迸る涙のような流星。帰 って来い。暗号解読が遅れたため避雷針が裂けて粉々に砕けた。もう一歩も先に進めない。三歩退いて 倒立したまま巫女は緋袴を翻して昏睡した。懐かしさこそ誘惑の手口なのに。忘れるな。未来を覗く窓が 指揮棒で激しく割られていた。空に向かって牛乳を撒き散らした。ハレルヤを叫びながら白色驟雨に撃た れ南十字星に内臓を鷲摑みされたまま遠くの遠くまで嘆きの河を渡って往く。その日始祖鳥は翔ぶ空を 切なく探した。
第二章 スサノヲの雄叫び (詩の朗読を中心に + サウンドインプロビゼーション) 約20分
死
すべては妣の死から始まった いのちの女神 イザナミの妣の死から
ゆくりなくも 天上の神々は使命した このくらげなすただよへるくにを修理固成せよ と
ゆえに イザナギ イザナミは めおととなって みとのまぐはひにより 国生みをした
ひるこ
水蛭子
あはしま
淡島
あはじのほのさわけのしま
淡道穂狭 別 島を皮切りに
い よ ふたなのしま
伊予の二名島
あ め の お し こ ろ わけ みつごのしま
天之忍許呂別てふ隠岐の三子島
つくしのしま
筑紫島を産んだ 伊予と筑紫は 身一つにして面四つの島 だった
おほやまととよあきつしま
そのあとに 天御虚空豊秋津根別てふ大倭豊秋津島を 産んだ
これら 最初に生まれた八つの島々を合わせて 大八島国 と名付けた
あ め ひ と つばしら い き のしま
つづいて 天比登都柱てふ伊伎島
あ め の さ で よ り ひ め つ しま
天之狭手依比売てふ津島
さどのしま
佐度島を 産み
あまつ み そ ら とよあき つ ね わけ
おも
そして大妣イザナミは この大八島という大きな八つの島々のまわりに さらにまたたくさんの小さな島々を産んだのだった
そして 石の神 風の神 海の神 木の神 山の神 野の神 など
ありとあらゆる 山川草木 海 山 風 土の
天地の間にある神々を産み
最後に 火之迦具土神を 産んだ
そのため みほとが焼かれ 病み衰えて 黄泉の国に神去った
大妣イザナミは最初にヒルコ 最後にカグツチを産み その病み衰えたからだから 鉱物や土や水の神々をこの世にもたらして 黄泉の国に去っていったのだった
いのちの大妣イザナミは 産みに産んだそのはてに 死に至ったのだ すべてはここから始まった
悲
水に始まり火に終わる大妣イザナミのはたらきのおおいさに涙する
大妣の悲 それは 夫イザナミの無理解と非道な仕打ち 見ないでと頼んだ わがからだを見られてしまった その辱と 穢れたものを見るかのような夫のまなざし
いのちの行く末をおおらかに見とどけることができたなら 死もまた穢れなどではなく いのちの変容のかたちなのだと やさしく受け止めるまなざしが生まれていたら 吾が悲しみと痛みはこれほどのものではなかった
大妣はそう感じていたはずだ そのことに 父イザナギは気づかなかった
彼は わが身が穢れに触れたと思い 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で
ひ の かぐつちのかみ
禊祓をしたのだった
そして その禊祓の最後の最後に生れたのが 吾だった
父イザナギは 最後に左目を洗って 姉アマテラスを 右目を洗って 兄ツクヨミを そして 最後に鼻を洗って 吾 スサノヲ を生み成したのだった
父イザナギは
この禊祓から生まれた子神たちの最後の三柱を
みはしらのうづのみこ
とくに 三 貴子と名付けて 尊んだ
だが それゆえに
だが そのために
吾は 父を許せなかった
母の思いと愛を踏み躙って 独り善がりな清らかさの中に浸りきっていた父を
父よ あなたは あさはかだ 父よ あなたは ひとりよがりだ いつも そうだった おとこたちの 手前勝手はもうたくさんだ
俺は泣くしかなかった ただただ 泣き喚くしかなかった 啼きいさちるしかなかったのだ
おかあさ~ん おかあさ~ん おかあさ~ん と
母の痛みと悲しみを感じれば感じるほど それに気づかぬ父の無神経に腹が立った 何なんだ その自分勝手は そして その自分勝手を俺たちに押しつける
姉 アマテラスには 高天原
兄 ツクヨミには 夜の食国 吾 スサノヲには 海原を知らせ
だと?
大妣の悲しみにも気づかずに おもいをかけずに いたわりとやさしさをそそがずに
あなたの愛は独善的である いつも あなたの愛は独行的である つねに
妣は 耐えた 妣は 忍んだ そして 妣は 恨んだ
そんなうらみを あなたは世界にもたらしたのだ その責を取ってもらう
吾は啼きながら そのことを言い募っていたのだ 責め立てていたのだ
だが あなたは いっかな そのことに気づきもしなかった そして 吾を追放した 根の堅州国 妣の国に行ってしまえ! と
もちろん 吾は 根の堅州国 妣の国に行こうとした
だが その前に 姉にだけはわかってもらいたいと 別れを告げに行ったのだった それが 次なる出来事を生んだのだった
姉は吾を疑った 自分の国を奪いにきたのではないかと
まるで 何もわかっていなかったのだ 姉は 父と同じで 吾をただのわがままで粗暴なやつとしか見ていなかったのだ
父に見捨てられた母が深く傷ついたように 姉に見限られた吾も深く傷ついた
けれども そのことは 表沙汰にはしないで
うけひ
身の潔白を証明するために 宇気比をおこなった
ものざね とつかのつるぎ
姉は 吾が物実の十拳剣を取って 天の真名井の水で洗い 口中に入れ さがみに噛んで 息とともに吐き出し
三柱の女神を生み成した
た き り び め のみこと おくつしまひめのみこと
多紀理毘賣命 またの名 奥津島比売命
いちきしまひめのみこと さよりびめのみこと
やさかに まがたま みすまる たま
吾は 姉の物実の八尺の勾瓊の御統の珠を受け取って 天の真名井の水で洗い 口中に入れて さがみに噛んで わが息とともに吐き出し
五柱の男神を生み成した
市寸島比売命 またの名 狭依毘売命
た き つ ひ め のみこと
多岐都比賣 命
まさかつあかつかちはや ひ あ め の おし ほ みみのかみ
正勝吾勝勝速日天之忍穂 耳 神
あ め の ほ ひ の かみ
天之菩卑能神
あ ま つ ひ こ ねのみこと
天津日子根 命
い く つ ひ こ ねのみこと
活津日子根 命
く ま の く す び の かみ
熊野久須毘神
こうして ウケヒによって 吾は心の清らかさを あかしした
怒
だが おれの怒りは収まらなかった アマテラスよ なぜ おれを疑うのだ イザナギよ なぜ 母の悲しみを分からぬのか おれはおまえの 三貴子の一人などではない
おれは 母の子だ おれは 俺だ おまえの子ではない
おれの怒りは怒濤となり噴火となり爆発散乱した すべてのものを破壊する すべての神を破砕する
すべてのいのち破爆する
おさまらぬ おれの こころは おさまらぬ おれの からだも おさまらぬ
なぜだ なぜだ なぜだ なぜ なにも わからんのか
おれは 暴れに暴れた 田んぼを破壊した 畑を毀した 畔も 土手も 何もかも
反吐を吐いた
大嘗殿に糞をした
忌服殿に血だらけの馬を投げ込んだ
天の班駒を逆剥ぎに剥いで
皆殺しにしたかった 破砕し尽くしたかった 誰もかも 何もかも どこもかしこも
アマテラスは おれを怖れた そして 逃げた 逃げ隠れた 天の岩戸に
おれは それをも破壊し尽くしたかったが 天上の神々は おれを閉じ込めた
そして 神集いして 祭りをおこなった アメノフトダマは神籬を捧げ
アメノコヤネは祝詞を奏上し アメノウズメは手に笹葉を持って踊りに踊り神楽を奏して神憑りした
胸乳が露わになった ホトが露わになった
あめ ふちこま さか
それを見て 神々が笑った 花が咲き誇るように笑った
そのとき ひかりがさした 光が戻った 光が甦った アマテラスが顔を出した
あはれ あなおもしろ あなたのし あなさやけ おけ!
天晴れて 光が射して 面に当たって 白光りして
おのずと手が伸びて みなともにゆれにえゆれ おどりにおどり なびきになびいて おけ となる
おけ おけ おけ となる
世界に光が戻り いのちが息を吹き返した
いのちは甦ったが 俺は追放された
髪の毛を切られ 髭を切られ 手足の爪を剥がされ
あらゆる罪穢れを背負わされて 身も心も魂も剥き出しにされて 追放された
地の果て この世の涯 涯の果てまで
流
だからおれは ながれ 流れて 流浪する 漂流する
かつて 海原を治めよ と命じられたおれが
七つの海を 流され 漂流し 地の涯 この世の果てまで 経巡った
どこにも おれの居場所はない 休む場所はない 憩いの地はない
どこからも 拒絶されて 宿無しの 独り旅 還るところのない 漂泊 流浪
ただ 荒れ果てて すさみきって ながれゆくまま
そして その流れゆくままに 行き当たったのが 出雲の地だった
いづも いつも いづるも
いつ 思い出しても 愛惜の思いに揺れる
出雲の斐河に至った時 上流から箸が流れてきた そこに 誰かが住んでいる
おれは 駆け上った 上流に
ほどなくして 粗末な小屋を見かけた 泣き声が漏れていた
どうしたのだ おまえたち 何を泣いているのだ
毎年この時期になるとやってくる ヤマタノオロチが 最後に残った八番目のこの娘を食い殺しにやってくるのです それが つらくて 泣いているのです。
泣いているのは 三人 あしなづち てなづち くしいなだひめ
じつは おれは これまで そのヤマタノオロチとやらと同じであった 食い殺し 斬り殺し 叩き殺し ありとあらゆるものを 破壊尽してきた それが おれだった
だが そのおれが おれのかつてのおのれのようなヤマタノオロチを退治して見せよう そやつは おれにしか倒せぬからな
ヤマタノオロチを殺すことができるのは ヤツの分身でもあったおれだけだ
おれは策略を施した 八頭八尾の八岐大蛇に 八つの甕に なみなみと酒をそそぎ 酒精をプーンと匂わせて ヤツをおびき寄せ ぐでんぐでんに 酔っぱらわせて のびてしまったところを 叩き切る
おれの策略は奏功した まんまとおれの仕掛けた罠にはまった
かわいそうだが 姫たちを救わねばならぬ そのためには アヤツを殺さねばならぬ 両立は 無い
殺すか 殺されるか 喰うか 喰われるか どちらかしか ない
さいわい おれは 生き残った いのちながらえた 人救いを果たして
クシナダのヒメよ 美しいクシナダヒメよ おれとともに 生きてくれ おれとともに 生きてゆこう この ヤマタノオロチを倒した 八雲立つ 出雲の地で
こうしておれは 勝鬨を上げ 心の底から晴れ晴れとした思いに満たされ 思いのたけを歌にした
歌
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
たくさんの雲が立ち上ってくる その八雲立つ出雲の地で 愛するおまえとともに住む愛の御殿を造り その愛の住処で 常永遠に 愛するおまえと過ごしていこうぞ
おれは 吾が心清々しと大声を挙げて 歌をうたった おれの歌は 八雲の歌 出雲の歌 八重垣の歌だ そしてそれは 八岐大蛇の鎮魂歌であり 母の鎮魂の歌である
母の痛みと悲しみを背負い切れずに 暴れに暴れ 壊しに壊し わめきにわめいてきたおれが 初めて 正調の調べを持った晴れの歌をうたったのだ
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
やー やー やー やー
それは いやさか のうたである やさか のうたである やーさか のうたである
うたでしか おれの心の晴れ間を言い表せぬ 心の晴れ真 心が晴れた 心は晴れた
ようやっと
妣よ 大妣よ
こうして 吾は いましみことのかなしみをほぐし 母の痛みと恨みを 解き放った
この天上にまで千木高知りて聳え立つ愛の御殿の歌で
母の恨みを 歌で溶かした
すべては妣の死から始まった
そして 最後に 歌が残った 死が 詩となった 死が 歌によって 史となった
おれの語りは 歌となる それこそが 海原を治める おれの道
海原は 歌原である
くらげなす漂へる大八島の国 葦原の中つ国 豊葦原の瑞穂の国よ
第三章 和魂・幸魂(約15分)
歌:1「僕の観世音菩薩」
ぼくの観世音菩薩
朝 扉を開くと 鳥の声が聴こえる 風のそよぎ 水のせせらぎ 光に満ちて しあわせをかみしめる ああ ぼくの観世音菩薩
ああ わたしの観世音菩薩
夕べ 扉を閉めて 闇の中に憩う
ろうそくを燈し 静かに語らう
やさしさにあふれ しあわせをかみしめる D―A-Dm-G D-A―G-D
ああ ぼくの観世音菩薩 ああ わたしの観世音菩薩
夜 魂を重ねて 夢の中に溶ける
いのちの声に 耳を澄ます
からだを寄せ合って しあわせをかみしめる
ああ ぼくの観世音菩薩
ああ わたしの観世音菩薩
ああ 南無 観世音菩薩 ああ ああ 観世音菩薩
2「神」
この苦しみの中に神が在る この悲しみの中に神が居る 神は森に住んでいるけれど 人の心の森にも住んでいる
この激しさの中に神が在る この慎みの中に神が居る 神は海に住んでいるけれど 人の心の海にも住んでいる
開け天地 吹けよ山河 つながれ天地 結ばれよ山河
この痛みの中に神が在る この静けさの中に神が居る 神は天に住んでいるけれど 人の心の天にも住んでいる
この喜びの中に神が在る この祭りの中に神が居る 神は祭りに現われるけれど 祈る心の中にも現われる
開け天地 吹けよ山河 つながれ天地 結ばれよ山河
歌3:弁才天讃歌 オンソラソバテイエイソワカ(8 回)
天の川清く流れ 地上に光の帯となって 緑の大地を育み 世界に夢の帯となって 心の絆を結ぶ
弁才天 輝け
弁才天 宇宙へ
弁才天 響かせ
弁才天 天翔ける オンソラソバテイエイソワカ(8 回)
天の星遠く流れ 地上に光の帯となって 魂の道を照らし 世界に虹の橋となって 国の境を超える
弁才天 あふれ出せ
弁才天 世界へ
弁才天 響かせ 弁才天 魂翔ける
オンソラソバテイエイソワカ(8 回) オーム
第四章:奇魂 (約10分)
歌1「銀河鉄道の夜」
この地球から見ると銀河は白い乳の流れに見えて夜空を彩る その夜 ケンタウルスの祭りでぼくは不思議な夢を見た 銀河の夜汽車に乗って星の世界を旅する夢だった
あの空の果てまで ぼくたち二人で まことのさいわいを探しに行こう
カンパネルラの星までぼくは旅をする カンパネルラの星からぼくは飛んでゆく
この宇宙の中で地球はいのちと苦悩に満ちた星として輝く その夜 銀河の渦の中でぼくは孤独な星となる いっしょに行こうと誓ったきみはどこにいるのか教えて 教えて
あの空の果てまで ぼくたち二人で まことのさいわいを探しにゆこう
カンパネルラの星までぼくは旅をする カンパネルラの星から独りで飛んでゆく
あの空の果てまで ぼくたちみんなで
まことのさいわいを探しにゆこう 探しにゆこう 探しにゆこう 歌2「神ながらたまちはへませ」
神ながらたまちはへませ神ながら 神ながらたまちはへませ神ながら 神ながらたまちはへませ神ながら 神ながらたまちはへませ神ながら
岩陰より滲み出して来る 水を探して 夢を探して 向こう岸にる 向こう岸に渡る
夢を開いて 夢よ開けと
あはれあはれ はへ あはれあはれ はへ
神ながらたまちはへませ神ながら 神ながらたまちはへませ神ながら 神ながらたまちはへませ神ながら 神ながらたまちはへませ神ながら
なけなしの夢が壊れて 行く当てもなく流離う 尽十方未来際 尽十方未来際
夢を開いて 夢よ開けと
天晴れ天晴れ はへ 天晴れ天晴れ はへ
神ながらたまちはへませ神ながら 神ながらたまちはへませ神ながら 神ながらたまちはへませ神ながら 神ながらたまちはへませ神ながら
祈りの言葉は死に絶えても 朝日の中で甦り咲く 尽十方未来際 尽十方未来際
夢を開いて 夢よ開けと
天晴れ天晴れ はへ 天晴れ天晴れ はへ
神ながらたまちはへませ神ながら
詩の朗読:「火伏の山」(=月山讃歌)
火伏せの山として知られる霊山 そは 火を隠し持つ聖山
人を寄せつけぬ険しさと激しさ けれど 人を魅了してやまぬ神秘
そこに どのような火が燃えているのか?
火を吐く恐竜のような荒ぶる山の烈火 赤い蛇体のように流れ落ちる溶岩 樹木を焼き尽くす山火事の火 悩める心を激しく焼き焦がす火 人と人との間にあたたかに灯る火
いろんな火があるのだ 多様な火の多様な顕われがあるのだ」
母は言った 災難が起こるから火打ち石を持て!
父は言った 災難を乗り越えるために火打ち石を打て!
吾は言う 災難を受け止めるために火打ち石を配れ!
汝は言う 災難の後を生きるために火打ち石を隠せ!
さまざまな火の処方がある中で 火伏せの山はそのどれにも生成変化する
そは 火を秘め持ちながらも 火を抑えることもできる山 火を鎮めるための天地の清水を満々と湛える山
そんな 火伏の山に わたしはなりたい
歌3「月山讃歌」フィナーレ
北の大地から天に向かって 月の山が聳え立つ 万年雪を頂いた峰が緑の田畑を潤す この天地に永遠なるもののしるしを刻んで この世界のいのちの絆を結ばしめる山
Holy Mountain Forever 我らが月の山 Holy Mountain Forever いのちのオリジン
人は死ねば皆魂になって 月の山に帰ってゆく この世の浄土に安らかな顔で月の山に還って往く
この天地に永遠なるもののあかしを結んで この世界のいのちに平和を約束する山 Holy Mountain Forever 我らが月の山 Holy Mountain Forever いのちのオリジン Holy Mountain Forever 我らが月の山 Holy Mountain Forever いのちのオリジン
「よきことは カタツムリのように」 辻信一 著 お読み下さい。
一冊の本が届きました。付箋とメッセージ付きの謹呈本。明治学院大学教授 で著書「スローイズビューティフル」やキャンドルナイトなど、スロー文化を提唱する辻信一先生から。鶴岡の食文化や水への取り組みを究極のスローフード ムーブメントとしてご紹介いただきました。秋の峰入り体験談も。え、写真まで、、と、ちょっと恐縮ながらも、感謝感激です。
「よきことはカタツムリのように」はマハトマガンジーの言葉からとのこと。サティシュクマール、ヴァンダナシバ、ヘレナノバーグホッジら、国際的な幸せ経済の騎手らの現在。福祉の町オランダ、エルメローの町、そして、日本のローカルムーブメント。スモール、スロー、愛、民主主義、アウトドア、ローカル、の価値をテーマとし、世界中のスローの現在がちりばめられた実践哲学書といった書。是非ご一読を。
立ち止まる。そして、またゆっくりと動き出す。
月山8合目へのシャトルバス社会実験レポート入手
庄内支庁観光課より、先般の記事の論拠となった月山8合目のシャトルバスの社会実験のレポートを入手しました。
以下のものです。分析はこれからですが、この提案のきっかけとなった月山の山小屋経営の主人に率直に伺うと「記事を読んで、信じられないという思いでいっぱいでした。これで打ち切りはあまりにも残念」とのこと。
ぜひ皆さんもじっくり読んでみてご感想、ご意見をお寄せくださいませ。
奇跡のまつりー 2011年月山卯年ご縁年柴燈祭、本宮祭
今年2011年は12年に一回の月山の卯年ご縁年です。毎年8月13日のお盆に午後7時から月山頂上で卒塔婆に火が灯されます。その火は送り火であり、以前は庄内一円でこの送り火に呼応し、「お精霊様」と唱えながら小川や水路の傍で火のついた枝を振る迎え火があり、そのあわせ火を通して御霊を迎え、祭壇の火にしたと聴いています。
月山の八合目までの道路を考える。
出羽三山地区観光開発促進規制同盟会 総会
午前11 時からの会合。昼食をとってからの現場視察で8合目までバスで行き、危険箇所、路肩不十分の箇所を視察。これからの登山客のピークを迎える7月終わりまでの期間、数多く のマイカー、観光バスがのぼり、すれ違いが難しくなる。渋滞が予想されるピークにはシャトルバスを六合目から山頂まで動かしている。
この問題をいかに解決していくか。現地をみて、道路拡幅の課題があることを再確認。
又、同席した市町議会議長、県議の先輩らとシャトルバス運行をビジターセンターから動かすことも視野に入れて考えはじめねば等といろいろ話し合った。
環境省管理下の特別保護区域であるので、開発は最小限にとどめなければならない。が、今回見た危険箇所はなんとか整備を検討したいところ。 今後、混雑時には、マイカー規制をし、シャトルバスのみの運行にする上高地のようなやり方も一案だろうと思う。渋滞で3時間も5時間もというよりはいい。
みなさんは如何思います? ご意見募集します。
ちなみに、僕は、以前、小学校の時に親父と月山に登った帰り道、直前にいたバスが転落した事があります。何十年に一回の転落事故だったと思います。今まで走っていたバスが目の前でふっと消えた と思ったら、次のカーブの道に頭をどすんと付けたバスの姿。怪我人が多数いたと思われ、当時、携帯電話もなく、親父の車を飛ばし急いでふもとのお土産物屋さんに伝えたのでした。はじめは本気にしなかった方々がバスからの無線などからの連絡もはいり大騒ぎに。鮮明にその日のことを覚えています。
いずれも、道幅は狭く、側溝への脱輪(僕も一回やったことが)、すれちがいの際の接触など、気をつけないといけない道です。登山の皆様はまずはお気を付けて。公共交通 鶴岡駅前からの庄内交通バスで行って、帰りは湯殿山側に下りるなどをお奨めします。二倍楽しめます。
今年は月山ご縁年。12年分の御利益がありますよ。
本日月山炎のトークライブ 開催! ustream で中継します。
本日、鶴岡市道田町21-29の草島事務所となり、スタジオsolai にて、音楽家 岡野弘幹氏を招き、以下のイベントを開催します。なお、ライブの模様は、http://www.ustream.tv/channel/%E6%9C%88%E5%B1%B1-tv で生中継されます。
月山炎のトークライブ
◆日時 2010年11月20日(土)19時開場/19時30分開演
◆場所 スタジオ ソライ (鶴岡市道田町21−29)
◆入場無料(お申し込みは、0235−64−0615 佐藤まで)
◆「聖地巡礼㈼」パイロットフィルム上映
◆岡野弘幹によるインディアンフルートのミニライヴ
◆岡野弘幹と地元山伏によるトークライブ
(草島進一 羽黒山伏 環境NGO代表)
(佐藤暁子 羽黒山伏 フリーアナウンサー)
岡野弘幹 公式サイト http://www.tenkoo.com/okanohiroki/
●「月山炎のトークライブ」企画趣旨
今から11年前の1999年。
21世紀を素晴らしい世紀に…と祈り、考え、行動していた日本全国の仲間たちが集まり
企画実施された「虹の祭り」。そしてそれに呼応して開催された「月山炎のまつり」。
そこには何か、得たいの知れないポジティヴなエネルギーにあふれていた。
ときは過ぎ、2010年。
もはや言うまでもない世の中のカオス。
政治、経済、社会、環境、教育、エトセトラエトセトラ。
この時代、私たちは何を信じ、どこへ向かって歩んでいけばよいのか?
きっとその答えの一つが、出羽三山にある。
修験道でその名を知られ、神仏習合、神仏共存の神の山々であり、すべてを暖かく迎え、
(死と再生へ)と誘ってくれる山、出羽三山。
出羽三山に縁が深く、地球の声・大地の祈りを音楽として奏で続ける関西在住のアーティスト、
岡野弘幹。
出羽三山の地元、庄内で「水を、川を、自然を守りたい」と活動し続ける山伏、
草島進一(NGOウォーターワッチネットワーク代表、元鶴岡市議)。
2人をナビゲートするのは紅一点、山形を中心に活躍するフリーアナウンサーで山伏でもある、
佐藤暁子。
3人が出羽三山から得たインスピレーション、メッセージを、今、改めて伝えたい。
そして、このイベントのもう一つの柱…
2009年出羽三山神社丑年ご縁年、三山、松聖・星野尚文先達、そして「月山炎のまつり」
有志たちの協力の元、月山・湯殿山・羽黒山で行った岡野弘幹奉納演奏の記録映像の公開。
岡野の祈りをアートにまとめた音楽作品であると同時にドキュメンタリーでもある「聖地巡礼2」の
パイロットフィルムを、舞台である出羽の地でいち早く公開する。
イベントでは、岡野弘幹によるインディアンフルートのミニライブも実施。
そして、この「月山炎のトークライブ」の様子はUSTREAMで発信
庄内から全国へ世界へとつながる仲間達と、今一度このスピリットを共有したい。
各地からのツイートも織り交ぜてインタラクティブなライブ展開。
現代音楽家、岡野弘幹氏の三山への奉納演奏 記録映像 パイロット上映会
今週末の20日(土)、以下のようなイベントをカフェ solaiで開催します。
1999年の月山炎のまつり以来、出羽三山、鶴岡に通い続けて頂き、交流を続けている音楽家、岡野弘幹氏が昨年おこなった出羽三山での奉納演奏の模様をまとめた記録映像の上映会+演奏会+トークライブです。
入場無料。ぜひ足をお運びください。また、当日の模様はUstreamで上映いたします。
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昨年「出羽三山丑年御縁年」に撮影が行われた音楽家 岡野弘幹の作品「聖地巡礼」。
有志の方のご協力を頂き、月山・湯殿山・羽黒山での奉納演奏の記録映像を
下記の日時にパイロット版を上映いたします。
岡野の祈りをアートにまとめた音楽ドキュメンタリー「聖地巡礼」の前作は、
春・吉野、夏・熊野、秋・高野、冬・天河を舞台にして
日本霊性の源の地を音霊奉納し巡り、自然界と千年の祈りに思いを馳せ、音楽と映像に綴っています。
岡野弘幹の創作活動の根本にある精神を実直に表現したこの作品の響きにふれるとき、
私達の心の奥深くに宿る聖地が、まざまざと呼覚まされる作品です。
(詳細は公式サイトよりご確認下さい。http://www.tenkoo.com/okanohiroki/freepage_15_1.html)
二作目となる「聖地巡礼㈼」では出羽三山が舞台となりました。
発売を前にした先行上映を多くの方にご覧頂きたく、
大変急なご案内で恐れ入りますが、足をお運びいただければ幸いです。
◆日時 2010年11月20日(土)19時開場/19時30分開演
◆場所 スタジオ ソライ (鶴岡市道田町21−29)
◆入場無料(お申し込みは、0235−64−0615 佐藤まで)
◆「聖地巡礼㈼」パイロットフィルム上映
◆岡野弘幹によるインディアンフルートのミニライヴ
◆岡野弘幹と地元山伏によるトークライブ
(草島進一 羽黒山伏 環境NGO代表)
(佐藤暁子 羽黒山伏 フリーアナウンサー)
岡野弘幹 公式サイト http://www.tenkoo.com/okanohiroki/
湯殿山閉山式
朝ついてから街頭演説、その後、湯殿山閉山式。なおらいの席で、最上川の船下りを立ち上げたにお会いし、当時立ち上げの話や、特に仕掛けをされた「国際ホルンシンポジウム」のお話を伺う。
八十歳を越えているとまわりの方から伺ったが、実 に情熱を感じるお話。特に、 船の上からのホルンの演奏に岸から応えるようにしてホルンが響き、渓谷に響き渡る様は実に感動的だったとか。
観光産業黎明期といったらいいだろうか。その頃の勢いをつくった方々のお話を改めて聞くことも実にパワーの源泉。今度じっくり伺う機会をつくりたい。
羽黒修験道山伏1日体験 参加者募集!
秋の一日、羽黒山の山伏を体験しませんか。9月26日。
庄内、鶴岡の精神文化の基軸であり、庄内の農業、稲作りと密接に関係する出羽三山の修験道文化。
私も事務局を努める庄内農文化交流推進協議会の第一弾の公開ワークショップとして企画するものです。
メニューは本格的。先達は、100日行を積んだ松聖(まつひじり)、ミシュランガイドで三つ星に輝く羽黒山の石段を登り、出羽三山神社に正式参拝。その後、湯殿山に移動して、滝行。その後、坊で南蛮いぶし。
1日1万円。+移動交通費(2000円程度)でご参加になれます。
近くにいながらも、なかなか体験できない山伏修験道の体験です。只今男女、年齢問わず大募集中です。
主催 庄内農文化交流推進協議会
主管 出羽三山大聖坊山伏修行 星野塾
詳細ちらし: http://ecomu.info/000031/103.pdf
お申し込みは 090-4388-3872 まで。
メール:shonaiecomuseum@gmail.com まで、お気軽にお問い合わせを。
月山柴燈祭
毎年恒例で昨夕から今朝にかけて月山頂上午後7時からの柴燈祭、今朝6時からの例大祭に参加してもどってまいりました。今朝方からは大雨、と強風でしたが、昨晩は山形、新庄、庄内、遠くは古川まで、一円の町の灯りが見え、改めて月山が、山形の中心にあるのだとうことを再確認しましたし、昨晩の送り火を、今は電灯のあかりが迎えているのかなとも思いました。昔は精霊様といって、火をつけた棒をまわして迎えたと聞いております。