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さあ、合併論議の総括質疑!
10月4日、市町村合併の調印式がおこなわれた。
本日より臨時議会 総括質問で議場に立つ。
3日の日に、ニセコ町で田中知事の講演会があったそうだ。ニセコ町のまちづくりと今後の市町村合併への対応策は、今注目すべきところがある。
http://www.town.niseko.hokkaido.jp/main/index.cfm
今後の合併是非判断のための参考資料としてご活用ください。として、財政危機突破計画を策定し、合併する場合と合併しない場合を比較するということを真摯に行い、住民に示している。
鶴岡周辺はどうか? うーむ。
10.1
2004.10.1
●鶴岡市を含む七市町村で、今、10月8日、最終の議決がおこなわれる。三川町議会が離脱決議をおこない、ちょっとわさわさとし始めている。
●真の民主主義がつらぬかれていたのか?
僕は、今、なんだか釈然としない思いで、この合併論議に臨んでいる。住民はどれだけこの議論に参加したのか、説明はつくされたのか、議論はつくされたのか、合併後の姿は見えているのか、住民は合併後の希望の光に満ちているのか。某コミュニティ紙で、三川の離脱決議を「失礼だ」などと公言している方もいるようだが、その姿勢に果たして真の民主主義はあるか、否である。
僕は、100年の計といいながら、都合の悪いことにフタをしたまま、ほとんど市民と心からの対話をせずに粛々と、今の国と役所の都合で進んでいた合併の議論が、これで少し本質的に議論らしくなるかもしれないといった事を思いながら見守っている。枠組みを組み直すなどの行政側からみたら「余計な」「予想外の」プロセスを踏みながら、議論がすこしでも深いものになり、当事者意識をもつ人が一人でも多くなることこそ、明るい未来につながるのではないかと思うからだ。
結局、協議会は25回開かれたけれども、本質的な地域の問題解決のための議論になっていただろうか。傍聴席にいても、心躍るような本質をついた議論があったろうか、行政効率論のみで、団体自治の立場で役所が取り決めした事項をほとんど鵜呑みしていただけではないか。いたって表面的な指摘のみでしか話し合われてこなかったのではないか。当初より指摘してきたが、協議会のメンバーは、自民党か保守基盤の議員と「有識者」といっても市長派、町長派の人々であり、各議会で、当局と口を合わせている人々による在る意味で多様性を排除した協議の場だったといえる。
合併論議を通じて、サービスの変化などを感じ取る中で、市政に対する姿勢や興味が高まるかと思えば「大方の影響のある市民サービス」は調整が先送りにされている。
これまで、僕は、合併問題検討委員会の中で、協議会の進め方にはパブリックコメント制度をとりいれたり、市民アンケートや満足度調査、行政評価システムの導入、その考え方の導入、住民投票などについて提案をおこなってきた。しかし「やらない」の一言で片づけられた。「そんな新しいことを取り入れる余裕はないし、そんなことはフツーやっていない」ような語り口で閉ざされ続けてきた。
合併して特例期間がきれる16年後の財政シミュレーションの提示を求めても、有利な10年間しか示さず、市長自ら「だしても意味がない」の一点張りである。
そして、議会や、住民の説明会では、当局の姿勢に対し異論を唱える者がいれば、「見解の相違」の一言で片づけられる。あまりに議論にならないから、反論者は困惑したまま、「何を言ってもムダなのか」と市政から遠ざかる。
「合併しなければ破綻する」といいながら、その根拠となる肝心のデータも示さず、将来ビジョンや建設計画は、「右肩あがり」時代につくってそこから足を洗えていないままの時代の各自治体の総合計画の寄せ集めで、「特例債を使えばほぼ従来通りの行政が営める」といった市政がありありと見える。でも、合併しない時よりも厳しくなると容易に予測される、十六年後の責任をどう考えているのだろうか。
もっと言いたいことがある。
地下水協議や環境審議会に、長年その調査にあたっていた元山大教授である研究者がかたくなに排除されたままである。昨年は地下水汚染が県より指摘されながらもその状況だ。今、SOTOKOTO紙などで水門学者として重要なコメントを発している先生を、異質なものとして排除したまま、市政は営まれ続けている。
議会はどうか。時間制限一杯までの答弁書の棒読みを許していまいか。
こうした本当の民主主義を阻んでいるひとつひとつを、解決してこそ、本当の鶴岡の未来をつくることになると私は考える。
情報開示によって、異質な意見をテーブルの上に上げ、摩擦を生じながら議論をする。結果、会議の緊張度は増し結局そこで生み出される政策は精度を増すことになる。今、その姿勢はどれだけこの市政にどれだけあるか。
水道事業を例にとろう。右肩あがりの時代に「まずダムありき」でつくられた「広域水道」というシステムは右肩下がりの時代には破綻するしかない。「計画経済」の成長主義が続いてきた国も地方自治体も、右肩下がり時代に対応するシステムをつくらずにきた。だから原則論でそのままを貫こうとする。しかし、現実が矛盾を突きつける。使用水量は九年間減少を続けている。自分のところの水を捨てて、膨大な水量のダム水を県から買わなくてはいけない。人口が減り、節水が進めばその分値上げをしなくてはいけない。量より質の時代にダム水の水質はついていけない。結局、政策の失敗のツケが市民負担となる。これは「昔決めたことだから従わなければならない」等といっている場合ではない。このダム事業費を含む水道料金をおさめているのは今の市民、そして未来の市民だからである。
「昔決めたことだから、、」といっていれば次々と「右肩下がり」に全く対応しない「裸の王様」自治体として市民から見放されるだけだ。
ではどうするか。まずは末端の自治体政府を変革しなければいけない。市民はまず、「おかしい」と思ったら「おかしい」と言い始める事ではないか。「行動すること」ではないか。国から県、県から市町村という役所のシステムを維持するためにつくりあげてきた自治体の政府を市民のために作り替えなくてはいけない。自治体は時には国や県に補助金の枠をはめられながらつくりあげられてきたマニュアルから勇気をもってはみ出さなくてはいけない。地域で知恵と力をふりしぼって、0から1をつくりあげないといけない。それが地方分権であり、自治であり、民主主義ということなのではないだろうか。ダムや公共事業の問題の解決策の糸口は新潟大学 大熊孝教授がいう「技術の自治」ではないか。未来世代の事を考え県や国に対して、一地方自治体が時には責任を問うたり、時には、一市民であっても立ち向かうことも必要なのではないか。
こうした市民の行動がなければ、新しい「市民社会を築くシステム」はできないし、今、長野県田中知事やニセコ町逢坂町長をはじめ、「改革型」といわれる首長自らがそうした「本来の民主政治」をとりもどすための行動をおこない、少なからず日本の閉塞感を切り拓いている。
2000年12月の鶴岡市民の大事な水をめぐる住民
9月議会討論して終了。と六小のゆりのき協育セミナー
昨日、九月議会終了。十五年度決算については、総務費として、行政評価の考え方の導入、説明責任の足りなさ、という視点で、切り捨てだけになっている現状の行革のあり方への疑問を述べ、叉、地下水政策への市民の排除と本質的議論を避けているような点、先端生命科学研究所関連の、説明責任の圧倒的な不足。HPの活用の甘さ、そして合併協議については、結局三川町が離脱決議をあげる結果になっている進め方、また、市民参画の手法について。また、水道事業については、政策の失敗からくる住民負担であることを述べ、契約水量の見直しという本質に踏み込まず、小手先の料金改定に踏みとどまっている点について、また水源切り替え後に水質の悪化、水温の変化についての把握のあり方の不十分さを述べ、決算審査は反対。
●十六年度補正予算については、先端生命科学研究所予算にのみ、反対の立場で討論。知財集積の考え方や研究の成果については評価をするが、市の住民にむけた説明責任が全く果たされていないことや、今回の審議の中で、千人の雇用を生み出すとしながらも、なんの具体的な方策や見通しも示さないこと。ばく大な資金を必要とするバイオベンチャー企業について、インキュベーション施設の他の資金繰りなど、具体的な方策を何も示さず拙速に施設の増設をすることに反対。まずは、しっかりと、現在の研究の内容、また、将来の見通しなどをしっかりと責任をもって示すべき。
右肩さがりで行政評価の時代にふさわしい説明責任をもとめて反対。
●「市民の意志確認を求める。請願審査について。賛成の立場で討論。
この右肩下がりの時代、合併してもしなくても厳しいという認識が必要であり、それを乗り越えるためには、統治といったスタイルから、官、民の協働といったシステムに変換することが必要。そのためには、いかに、市政に当事者意識をもって参画する市民を育むかということが大事。で、今後のまちづくりの鍵はそこにある。住民投票などによって、意志確認をすることは、合併の議論を住民一人ひとりに、議論を深めていただく上でとても有効な方策。是が非でも実現すべきである。
この請願には八千名を越える皆さんからご署名をいただきました。本当に感謝申しあげます。
■これら3つの討論をおこなって、九月議会は終了。その後、議員全員協議会が開かれ、十月五日よりおこなわれる合併の是非を決定する臨時議会のための議案説明がおこなわれた。四日に調印予定の協定書などを説明さる。
若干質疑がおこわれ、合併期日の延期の理由、また、協議の進め方などについて若干質疑があった。 二年間にわたる合併協議、しかし、今、どれだけの市民が次のまちづくりといえるこの合併方策の議論に参画しているだろうか。
議会終了後、産業振興センター主催の「フラットディスプレイパネルの現状と今後」とう勉強会に参加。
■9.25 私が居る学校区である第六小学校で、恒例のゆりのき協育フォーラムにいってみた。
地域の市民講師による公開事業と、PTA主催の講演会をセットにしたものだったが、なかなかいい催しだった。クラゲで水族館を盛り上げている加茂水族館飼育員のクラゲ講座には子供たちがどんどん活発に質問をおこなって、実に生き生きした授業が展開されていた。
叉、「心」をテーマに山形病院の小児精神科、古関光一先生の講演があった。
あまりに素晴らしい内容だったのでちょっと中身をお伝えしたい。
今、しつけの本が出回りすぎていはしまいか。いやしの場であるはずの「家」がしつけの場になっているから、家で癒せず明日のエネルギーがでてこないのだ。
キレル子供たちや心の教育のためにに何をすべきかというと、中教審などではしつけだ。などといっているが、そうした儒教精神「しつけ論」では解決できない。
万引きや問題行動の子供たちに「しつけ」や「怒って」も解決にはならない。特に怒っても直そうという気持ちは働かない。
現代は、母親の愛情が欠ける「母欠病」といった時代なのではないか。
こどもたちにとっても、何にでも、いつでも効く安定剤は、母親の愛情。我が子供に対しては、無条件で認める、許す、守る。そうしたことが大事。
そして5つの事を実践することをお勧めいただいた。
まず、
1,怒るな ということ。お母さんががみがみ怒るのが絶対よくない。早くおきなさいとか、片づけなさいとか、言わずに。
2,明るく お母さんがゆとりを持って、明るく振る舞うことが大事。お母さんがストレスをためないようにお父さんが司令塔となって、家族全員でサポートすることが大事。一言、「ごくろうさん」と言ってあげるべし
3,子供を信用するということ。
4,「どうもな」と、感謝する。 親に感謝されたことは忘れない。
近所の子供に接するときも、あいさつをかわして、おまけに「どうもな」とつけると
子供の顔が輝く。
5,「えらいっけな」当たり前の事を褒める。評価する。
とにかく。育つ力、育てる力は学校の集団教育の場で習う。家庭は「癒す」場。まず、怒らないでほめることが大事。思いやられた子供だけが思いやりを持つ子供になる。やさしい家庭の子供はやさしい心の子供に育つ。認められ育った子供だけが人を認める大人になる。
意外な一言、言葉の一言が、小さなしぐさが他者のとんでもないストレスとなってしまうことがある。キャパシティが小さい子供にとってはそれが蓄積されて意外な行動をひきおこす要因となってしまう。
会場は熱心にメモをとるお父さん、お母さんの姿が見れた。実にいろんなきづきを得ることができる内容だった。今、年間自殺者数3万人を超える日本で、精神医療の充実は急務だ。この先生の話で救われている人はとても多いのではないか。今年で古関さんのお話は二度目ということであったが、とにかくこの講演を企画されている六小PTAの皆さんの本気の努力に感謝を申しあげたい。僕もがんばろう。
合併の期日が来年十月一日に。
合併論議が大詰めだ。
市町村合併については昨日の9月22日の協議会で二十五回の協議がおこなわれてきた。昨日の協議では、来年の4月として協議してきた合併の期日を十月一日にするということがほぼ決定になった。そして、合併の是非について判断する臨時議会を十月八日、構成市町村の議会が同日に開催し、決定するということになった。
この臨時議会については、9月21日に代表者会議が開かれ、日程が示されたものだが、何かとても急いでいるような気がした。合併の期日延長の話も、8月24日におこなわれた24回の協議で突如会長から示され、次の協議会で話あうことを確認して、それから、鶴岡市議会合併問題検討委員会で、九月十五日に十月一日に延長する旨の資料が渡され、そして21日の委員会の協議で、延期には同意。そして半年案と一年案が提示されて、二十二日の合併協議会をむかえたのだった。この時、はじめて、合併協議会よりも先に、市議会合併問題検討委員会で、「期日の延長」の資料が手渡された。これは異例の事だった。いずれにしても、早期に調印、そして議決をしたいという意志が感じられる。
九月議会は、明日、二十四日の本会議で終了する。草島 本日はお彼岸参りと討論を煮詰める一日です。
中之島ボランティアセンターより
18日 ボランティアセンター立ち上げ日、ボランティア数1198名。
昨日19日、ボランティアの数1648名。昨日は、連休最終日ということもあり、県外からも多数のボランティアが参加。午前九時オープン予定のセンターを30分くりあげて受付をする。受付レーンに一挙に受付。現地のニーズは、泥上げ が大半。昨日にひきつづき、電話を受けてのニーズの他に、町内単位の班長さんがボランティアを「何名ほしい」と迎えにきてくれた。七番町は250名ほどのボランティアをひきつれて、現地でふりわけて作業にはいった。決壊現場に近い場所は、家にはいった泥を書き出す作業でほとんど終始している。
ここでひとつ困った状況が生じている。
土のう袋が足りない!
土のう袋が、今、現場でのトップニーズだ。単に土砂をいれる丈夫な袋だが、それがないと自衛隊も業者も土砂を外にだせない。役所では、「一件につき五枚」と言って住民にわたしている。平等優先の役所でよくやりがちなことだが、現場が見えていないのだ。「役所じゃ五枚しかくんねえからよう、買うしかねえんだ」と被災地の住民はこぼしているが、それはナンセンスだ。ボランティアの現地での活動にも何がなくても、この泥かきだし作業にこの土のうはいくらあっても足りない状況。今現在の支援物資の最筆頭として「土のう袋」といいたいのだ。
昨日18は、長岡JCの方が十回ぐらい車で往復して、僕も二度ほど、一輪車を使って、土のう袋約1万袋を作業現場に運んだ。家の敷地全体に五十センチもの泥が堆積している現場がたくさんあるわけだから、これは当面相当数必要なのだ。
(20日になってこれは県、国マターだとして国交省信濃川河川事務所と交渉。案の定国の機関にはたくさんあるとのこと。それもそうだ。水防の必須アイテムがこの土のうだから、いろんな水防の事務所や倉庫に振り分けて相当数備蓄しているはずだからだ。とりあえず3万袋を発注した。水害時の泥かきだし作業をともなう時の国の’復興支援物資としてきちんと位置づけ、とにかく現場救援のために大量投入することを求めたい。)
午後三時すぎ、小泉首相が被災地視察のために中之島にやってきた。警察が、(なんでここに神奈川県警がいるのか不思議だった)相当数増員され、上空にはヘリコプター2機が警戒こんなボロい「ボラセン」になんかこないだろうな とみんな思っていたが、災害対策本部(となり)に着くとそのままとなりまで歩き、ボランティアセンターの中にぞろぞろと現れた。マスコミはあまりとりあげなかったようだし、いろいろ思惑もあったのかもしれないが、ボランティアセンターに足を運んでくれたことだけは評価しておこう。
二十日 朝。 晴れ。
被災現場は、粉塵がまっている。匂いも結構きつくなっている。朝から、粉塵マスクを現場にむかうボランティアにもたせる。
ボランティアセンターは、朝七時半からフル稼働している。午前九時にはボランティアの受付開始。平日の今日からがもうひとつの勝負。午前11時現在。現在366名。さすがに連休時とは違う。ぱらぱらといった感じの状況。現場は、泥だしや、家具だしをおこなったり、家屋に水をかけて洗ったり。作業はいくらでもある。
20日は、結局 男性353名 女性76名 の429名。
ニーズ133件に手をつけられない状況だった。これは徹底的なボランティア呼びかけが必要だ。
送迎バスがでます。見附⇒中之島ボランティアセンター
いけなかった件数 133件 だれもいけない。
ほしいボランティア537名必要。
三条市災害ボランティアセンターHPは、
http://npo-aichi.or.jp/ssvc/
新潟水害の現場ー2中之島町より
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中の島町。
今朝より、町民文化センターのとなりにある木造の体育館に、本格的に中之島町の水害ボランティアセンターがたちあがり、朝からニーズ調査として被災地を歩いた。
決壊し、泥流が町をのみこみ、車や家を押し流した現場。
決壊個所から周囲約百メートル。約30件は泥に押し流され、ほとんど家々は崩壊に近い状況。そして昨日も雨のため午後5時には避難勧告がでて現場にいることを許されなかった住民の人たちにとってもひさびさに天候が回復した今朝から本格的な復旧作業といったところだ。
中之島町は、町役場自体が水没したため、災害対策本部は、町民文化センター内に設けられている。そのセンターから、1キロもいかないところに最もひどい現場があるため、ボランティアは徒歩で現場へ行く。幹線道路沿いの被害のひどい場所には自衛隊が200人ぐらい、重機などを使いながら復旧作業をおこなっていた。そして路地に入ると、まだ水が完全に引かない中。また泥が厚さ約50センチも堆積している中、泥の中で、全身どろだらけになりながら、住民の格闘がおこなわれていた。親戚縁者、知人友人総結集で作業していたところはあったが、人手はいくらあっても足りない。「ボランティアさんかい、何人でもいい、早く送ってくれ」と家々で呼び止められる。バケツリレーで泥を家からかきだす。水没し、泥まみれになったたたみや家財道具を家からだす。土のう袋にいれて使い物にならなくなった財産をどんどん外につみあげていく。場所によってその様子もかなり異なるけれど、ほとんどの家々で、いつ終るともしれない途方もないように思える作業に挑んでいた。
今日は、ボランティアの人数が千人を越えた。みんな戻ってくることには全身泥だらけになりながら、奮闘。高校生から、60代、と思しき老若男女、志で集まった皆さんの大健闘。
「いやあ、とにかく現場はひどかったですね。精いっぱいやったけど、いつまでかかることやら」
これは現場からもどってくるボランティアのホンネだ。とにかく現場に立つと、その深刻さがずしりとくる。でも、着実に、みんなの力が現状をいい方向に変えている。
神戸のときもそうだったけれど、被災者の方には、これから、いろんなものがふりかかっていく。自分の家に住めるようになるのか。住めたとしても、家財道具は全部ゴミと化してしまった。それをどうするのか。水没した車はどうするのか、家族はこのまま作業が続いても大丈夫なのか、火曜日から会社だけれど、仕事ができる状態なのか。商店は再会できるのか、被災地の現場の住民だけの特別の時間が流れ始めている。土手の川の向こうには、全く別のフツー時が流れていることを思うと孤独感や、絶望感がつよくなっていくのではないだろうか。
中部水害の3倍ともいえるこの水害は、かなりの長期戦といえる。まずは全国からの愛をゆっくりと、この近くて遠い被災地に、送り続けることが必要だ。
私のホームページに現場の画像をアップデートしています。
どうぞご覧下さい。
http://homepage.mac.com/stern8/PhotoAlbum2.html
http://www.kusajima.org
現地の情報
草島です。朝取材をした後、
行革関連のPMフォーラムを終えて三条に戻りました。
今21時をまわったところ。燕三条の駅の車中からです。
三条のボラセンは完全にたちあがり、中の島のボラセンのたちあげに、今、力が注がれているところ。しかしながら、三条も中の島も今日の雨のため、避難勧告がだされたため、撤退、明日朝からの作業になるとのこと。特に中の島周辺は、水没している道路も多いため、三条周辺に待機するようにアドバイスをうけました。
庄内地方も立川三ケ沢あたりで浸水の被害がでているということで、今晩の雨の具合によっては、一度地元に戻ることも検討中です。
現在のところの有益情報リンク集です。
災害現場の簡易地図
http://www.gsi.go.jp/BOUSAI/16niigata/index.html
新潟県HP
http://www.pref.niigata.jp/
信濃川河川事務所(防災情報(気象、災害、交通)リンク集多数)
http://210.131.8.12/~shinano/0to24/bousai/index.html
三条市情報(画像、即時的な掲示板)
http://www.kenoh.com/index.html
NHK新潟(携帯からも→ http://k.nhk.jp/ )
http://www3.nhk.or.jp/saigai/index.html
新潟日報(地元新聞)
http://www.niigata-nippo.co.jp/index.html
新潟水害
7月15日水曜日、みどりの会議の反省会にいくとき、三条市をとおる新幹線から、でっかい湖のようなものが見えた。水は引いていない。とにかく、メディアの情報はあてにならない。早く現場にはいらなければ と思いながら遠くに広がる茶色い水面をみつめた。
16日は、午前中議会だより編集委員会。午後から準備。諸々あって、夜出発。
17日、深夜午前2時。三条市にはいる。車でぐるりとまわってみる。家がつぶれている。たくさんの家財道具がすでに表にだされ乾かすのを待っていた。小雨がぱらついている。
ぐるりぐるりと街の状況をみながらしばらくして、偶然ながら、県民福祉センターというところに着いた。Kさんから、ボランティアセンターがたちあがった場所の名前だった、社会福祉協議会もあり、ここかと思った。
いってみると2人のちょうど僕と同年代ぐらいの社教の職員の方が膨大な物資を前にして迎えてくれた。
センターの中にはいってみて良く見てみると一部の床の一面が泥で茶色かった。そして、コピー機や、事務用デスク、椅子などが、積み上げられていた。「ここも水没したんです。私の車もここの駐車場においていたんですが、運転席の窓ぐらいまで水没で動きません。そういえば、さっき通ったコロナの会社の駐車場から、泥だらけの車が、つぎつぎと運搬車につまれていた。「5千台ぐらいはいっているんじゃないですかね」彼はいった。
五十嵐川の決壊を予期する人は誰もいなかった。あれよあれよという間に決壊。100年に一度の洪水に備えるというダムが2つもあるのに、あのありさまだ。
その福祉センターには50名の避難民がいるのだと聞いた。「今日も、結構な雨が降って、その住民の間では、また、「きれた」とか、今度は上流部だとか、デマ情報もとびかって 結構おびえているんですよ。
なお、このセンターのま周辺には、パール勤続や「ムサシ」があり、当初から、ボートやキャンプ道具などの提供がおこなわれたそうで、このセンターの前にも、5艇ぐらいのゴムボートが積んで合った。
車中泊。
朝、あけて、午前7時、Kさんからの電話でおきる。朝のうちに写真はとっておいたほうがいい。アドバイスをうけ、写真をとってまわる。決壊の現場を見ようと対岸に車をおいて歩くと、2人の中年女性が決壊した場所を指さしながら、話をしていた。「おはようございます」と話の輪にはいる。対岸すぐのところに暮らしていると聞いた。「いきなり水があがってね。上の方のくぼ地が危ないとかいって騒いでいたら、すぐに、あの部分がきれたのよ。もう、ものすごい波でこわかったよ」
とにかく音がすごかった。と、今でもまだ濁流色の茶色い五十嵐川を指さして話してくださった。
決壊してからは、一日中ヘリは飛んでくるし、マスコミのテレビはずっとはりついていてす大騒動だったと聞いた。
決壊の現場にいった。大きなナイロン袋につめられた土のうが数百つまれ、
その決壊現場から、100メートルぐらいにはひっくり返った車が砂で埋まっていたり、ぽつんと泥の真ん中に車や小屋が浮いているといった、状況。
そしてその周辺の家々は、地面から2メートルぐらいのところに泥の跡がついていた。「今のうちにだめになった家財道具をださなくちゃ」そうした家族たちによって懸命に、駄目になった家財道具が次々と表にだされている。
これは人手がいる。とても親戚縁者でできるお片づけではない。
かなりの長期戦だ。
今朝の新潟日報。「きょうも大雨恐れ」とある。被災現場にこれ以上の雨がふらないように祈る。また、村上、鶴岡は今激しい雨が降っているようだが、無事なことを祈る。
7時で、相当の人が動き始めていた。運良く今朝は小さな晴れ間がのぞいている。親戚の人、友人をかきあつめて、作業がおこなわれていた。
ボランティアセンターには、昨日、300名もの申し出があったそうだ。。素晴らしい。また、市民の新しい文化をはじめよう。新しい自分、新しい日本に出会える現場が動き始めた。
BLOGを再新設しました。
草島BLOGを再び開始しました。以前とは違う社のものをつかっているので、まだ馴れませんが、よろしく。
昨日、7月13日は、議会では合併問題特別委員会がおこなわれ、地域審議会の件について、話し合いがもたれました。各会派代表が、検討結果を発表しましたが、
僕は、この地域審議会というのは、合併後、地域の声が反映されにくくなるおそれがあるということで設けられた地域審議会。最低限10年間はきちんと確保されるべきと主張しました。
それと、6月25日におこなわれた合併協議会の前に、議長が議員定数検討委員会のメンバーを集めて新市名称をはなしあった件、草島「当局は何人たちあったのか」と尋ねると4名とのこと。公費で交通費が支払われていること、また、公費の職員がたちあっていることをかんがえれば、個人的な会合ではないことがわかるわけだ。
こうした公の委員会が、堂々と非公開、秘密会、議事録なしのかたちでおこなわれていることは極めておかしいと思わざるを得ない。まさに、住民不在、はなはだしいことがおこなわれているといっていいだろう。
○選挙戦。参議院選挙
たくさんの方々にご支援いただきましたが、あと一歩及ばず残念な結果となりました。
※公職選挙法により、ホームページ上でお礼を申し上げることができません。
何卒、ご理解下さいますよう、よろしくお願いします。
みどりの会議、惜しくも議席獲得ならず。20万票もの票をとった中村敦夫代表を当選させることができなかった。しかし、これからがまたスタート。総得票数:90万3,773票 得票率:1.6%
21世紀にむけて。
A Happy New Year!!!
あけましておめでとうございます。
21世紀があけました。Stern 草島です。年越しは、羽黒山恒例の松例祭の火の神事を見、21世紀のカウントダウンは、近くの雪原で、親愛なる相棒と「こころ」のランプの火とともに、平和と自然と人間のつながりの再構築、そしてすべての組織に、仕事に「こころ」の再生を祈りました。
東北、山形、歌「雪の降る町を」の発祥地 鶴岡は、今、雪、外の気温は零度以下で道路はキンキンに凍っています。
元旦は、TMスキーで湯殿山へ。2時間かけて鳥居まで登り、仙人岳にむけて参拝しました。吹雪の中、足跡も全くない雪原に足を踏み入れるとき、少なからず自分の中のパイオニア(開拓者)のような思いが蘇ります。途中、吹雪が強くなり、何度も立ち止まりますが、でもゆっくりと、登っていきました。夏、車で行けば10分でいける車の車道が、除雪車の入らない冬はズボズボとスキーでも埋まりながら、一歩一歩、歩んでいかないといけません。でもしんとしずまりかえった静寂と、山道に沿って立ち並ぶブナ林の幹の美しさは、そうしてはじめて歩く時間の中でかみしめることができます。ひとりぼっちで登って疲れてくると、そうした美しい木々から、ささやかな応援をもらうことができるような気もしてきます。木々は静かにそこにあり、その間に自分が無理矢理分け入っているだけなのですが、何か、少し彼らと対話できたような、そんな気にもなってくるのです。途中、ボクのお気に入りの太い老木があります。その木を超えると、それからもう3回ほど右折すると鳥居がみえるところにいけるのでひとつの目安になっているのですが、今回、訪れると、枝が少しはらわれてかわいそうでした。
静けさの中で何かそうした木々が語りかけてくれているような気がするのです。
今回で冬ここをのぼるのは4回目です。いままで 2度鳥居までいっていますが、今回は、吹雪がすごかったのでとても苦戦しました。でも、真っ白な静寂の中、何か、ブレイクスルー(Breakthrough)する、新しい道を切り開く感覚を体感できたような気がしています。
これは、94年の夏に、釧路川を一人でカヌーで下った時にも得た感覚です。
これは実にささやかな冒険でしょうが、このような事を行う自由がボクらにはあるんですね。阪神大震災の際、神戸元気村でプロジェクトを展開していったときも、これに似た感覚だったかもしれません。
今までがどうだ、こうだでなく、未来を考え過ぎて臆病になるでなく、今。未来をみつめて必要だと感じた事、を一歩踏み出してみる。行動する。今を精一杯やる。動きながら探し求めると見えてくる。そして、サポートしてくれる人や物や金とのつながりが生まれていく。ビジョンが、一つ一つ実現にむけて動き出す。
そうした中で、何か、今までとは違った「豊かさ」というか幸福を見いだしているような気がします。物質ではなく、とても精神的な、充実感と、とても純粋な喜びです。その中で大きな金が生み出せるわけではありませんが、人間として、自信をとりもどしたり、真の仲間を得たり、何か計りしれないパワーを獲得できるのではないでしょうか。ボクは神戸で、そして、米国のNPOのインターンを通じて、このような喜びの中で、素晴らしい仕事をしている仲間達に出会いました。
ところで、湯殿山の登り口には、湯殿山ホテルというがあるんですが、ここの温泉がいいんです。雪まみれで冷たくなった体を、湯殿山のご神体から出るお湯に似た成分のお湯で暖める。そして風呂上がりに飲む水が美味い。まさに浄化される思いがする。とてもシンプルなのですが、何か、生まれ変わったような気がするのです。
21世紀、心ある人たちと一緒に、このような喜びとともに、新しい文化を創造し、時代を切り開いていきたいと思います。
今年は、巳年。私の干支でもありますが、次々と脱皮をし、成長していく。21世紀の時代の変動期、常にブレイクスルーしていく姿勢が求められている象徴ではないでしょうか。
20世紀の終わりに、ボクらの親愛なる先駆者が次々と亡くなりました。昨年は、諫早湾の山下弘文であり、そして、デビッドブラウアーです。双方とも、日本のテレビでは「2000年に逝く」特集にはでてきません。でもボクにとっては少なくとも、この20世紀のヒーローであり、米国のアクティビストの間では、最も尊敬をされていた2人でもあります。
2人のアクティビストが教えてくれたこと。「信じて行動することの尊さ」そして、ホンモノの「地球を愛する心」ではないでしょうか。又、スポーツや優れたジャズのインプロビゼーションを見て感激すると同様の、「人間の可能性」なのかもしれません。
今、日本では、「環境問題」は、ホンネとタテマエのところでふらふらしているように思えます。私たちは、もっと強く、はっきりと、意思表示しなくてはならないのではないでしょうか。ダムはムダだとみんな気がついているはずです。破壊してきた20世紀の反省をもとに、今、ボクラは、自然環境を RESTORE(再生)していかないといけないのです。
デビッドブラウアーや、山下さんのスピリットは、いつも、行動する私たちの胸にあります。行動すれば、彼らを思いを同じくする世界中の仲間が応援してくれます。
先日、未来学者 アルビン トフラー博士が、テレビ番組でインターネットの効用を論じた際、「21世紀は個人の時代であり、今は、インターネットを通じて、個人でも力をもてる時代」と称しました。まさに、インターネットは、私たちアクティビストにとって、最高に有効なツールであり、このツールこそ志をもつ市民のためのメディアであると信じています。
デビッドブラウアー氏や山下さんのスピリットをこうしたツールで正しく伝え、しっかりと次世代につないでいきたいと考えます。
勇気をもって、行動する世紀。私は、神戸で生かされたこの命と、そしてこの2年半とりくんできた水に関する問題を軸に、この21世紀、大いに前進をしていきたいと考えています。
とにかく、「信念に基づいて、はっきりと意思表示。そして行動!」
シエラクラブの代表のとき、税制面の優遇措置もそっちのけで、MISSIONであるダム反対を主張したデビッドブラウアー氏の志は、NPOの本来のあり方を私たちに学ばせてくれます。
彼の運動は、結局、全米のナショナルパークや、世界遺産制度をつくり、そして、ダム先進国だったアメリカに、ダム撤去の時代をつくりだしました。はじめ、それこそキチガイ扱い