須田郡司・鎌田東二 写真展とライブ!
11月12日(日)【荒魂ースサノヲの雄叫び】大成功!
公演アーカイブ映像 4K
別角度から HD
舞踏:森繁哉
脚本・歌・石笛・横笛・法螺貝:鎌田東二
テナーサックス 尺八 :松本健一
ジャンベ:佐藤暁子
ブルースハープ・ディジュリドゥ:草島進一
伝説の野外フェス「月山炎のまつり」(1999−2007)以来の歌声が、久々に鶴岡に響きました!ご来場いただいた皆様、ありがとうございました!
鎌田東二先生 絶体絶命・遺言ライブ 2023年7月8日 大阪・中津@Vi code
月山賛歌2023 11/5のトークのエンディングより。
須田郡司、鎌田東二 写真展は5日から12日までの6日間、200人以上の方々にご覧いただきました。ありがとうございました。
須田郡司さんの巨岩の写真は、週刊現代 2023.11.4号「奇岩伝説」としてカラー8P 大特集されました。GOOD タイミング!
須田さんによる解説映像
須田・鎌田 写真展 オープニングトーク11/5 ゲスト草島進一
「災害多発時代の備えと対策」2023.11.7 @鶴岡アートフォーラム 鎌田東二×須田郡司×草島進一
1998年より20年来、ご指導を頂いている 鎌田先生との出会いと、私、草島進一の原点をお話させていただきました。
お詫び 草島プレゼン中 「T・K・B」は、トイレ・キッチン・ベッド(テント)の誤りです。訂正します。
須田・鎌田 写真展 トーク 11/12 ゲスト 森繁哉
災害と芸能「荒ぶる災害の時代に備えて」
鎌田東二 京大名誉教授 松尾芭蕉の奥の細道 の「奧」は、湯殿山である。
須田・鎌田 東北フィールドワーク 11月6日ー11日
草島進一 撮影映像
東北フィールドワーク 11月6日〜11日
鎌田東二先生 撮影映像
第5日 戸来村キリストの墓、大湯環状列石 2023年11月10日
第6日(最終日)田沢湖御座石神社、鏡石、十六羅漢、丸池、ライブリハ 11月11日
10月12日 演目
「荒魂~スサノヲの雄叫び」
2023年11月12日 鶴岡アートフォーラム公演
出演者:
舞踏:森繁哉
脚本・歌・石笛・横笛・法螺貝:鎌田東二
テナーサックス 尺八 :松本健一
ジャンベ:佐藤暁子
ブルースハープ・ディジュリドゥ:草島進一
第一章 悲と旅 約10分 詩の朗詠:「悲の岬」1・2 +歌12 サウンド
「悲の岬1」
月光は黄泉路を越えてきた。満月を串刺しにしたまま血を舐めている処刑台の山猫は何に向かって吼え ているのか。月夜に還ってゆく何処の島がある。故郷への道は塞がれたまま魂の難民は国境線で不安と 恐怖の夜に怯える。全世界を覆う電脳もこの怖れの暗渠をほぐすことはできない。絶対零度の深海闇夜。 癒しなどどこにもないのだ。救いがあるとすれば無力に震える独りの夜を無為に過ごすのを見届ける自己 があることのみ。深遠を呼び覚ますモノが存在するとしたら黄泉路を越えて自己を突き通す無限遠点の まなざしと意思を植えつけたこと。超越の波動が悲の受精卵を苦の岬から突き落とす。満月に向かって 悲しく聳え立つ母之理主よ応答せよ応答せよ応答せよ!
歌1:「探すために生きてきた」
探すために生きてきた 道を求めて生きてきた 夢を求めて生きてきた 愛を求めて生きてきた
12345678910 果てしない 12345678910 切りがない 12345678910 とめどない 12345678910 道がない
探すために生きてきた 探し求めて生きてきた 時を求めて生きてきた 闇を潜って生きてきた
12345678910 果てしない 12345678910 切りがない 12345678910 とめどない 12345678910 終わらない
探すために生きてきた 探し求めて生きてきた
路を求めて生きてきた 夢を求めて生きてきた
12345678910 果てしない 12345678910 ときがない 12345678910 あてがない 12345678910 みちがない
探すために生きてきた 探し求めて生きてきた 夢を求めて生きてきた 闇を潜って生きてきた 探すために生きてきた 探し求めて生きてきた 夢を求めて生きてきた 闇を潜って生きてきた
歌2:「泥の鳥ブルース」
身を切るような鋭さを自分に向ける 身を断つような悲しさに我を失う 俺にかまうな 捨て置け あめつちよ
遠さにあこがれる自分にあきれる 近くにいる君を傷つける自分を恥じる 俺は荒ぶる泥の神 ちちははよ
生れてきてから愛されたことがない 死のうとしても死ねない自分を哄う 俺は飛べない泥の鳥 しらとりよ
恋をしても飛べない自分を呪う 怒りの火山に身をゆだねて死にたい 俺は廃墟のガラクタだ 富士やまよ
生れてきてから自分を壊したことがない 一度たりと自分を超えたことがない 俺は飛びたい泥の鳥 始祖鳥よ
生れてきてから自分を壊したことがない 生れてきてから愛されたことがない Ahu Ahu
詩の朗詠:「悲の岬2」
愛を求めて生きてきた 愛を求めて生きてきた
深い夜の瞳の底でアンテナは疼いた。音信絶対不能の音源を逆探知したが事切れてしまった悲劇的な 預言者を弔う。耳孔の奥でトマトが潰れマグネシウムの閃光が散らばった。神父は手旗信号を使って必 死の面持ちで十字を切ったが誰も気にせず通り過ぎた。夜空を染める無関心と迸る涙のような流星。帰 って来い。暗号解読が遅れたため避雷針が裂けて粉々に砕けた。もう一歩も先に進めない。三歩退いて 倒立したまま巫女は緋袴を翻して昏睡した。懐かしさこそ誘惑の手口なのに。忘れるな。未来を覗く窓が 指揮棒で激しく割られていた。空に向かって牛乳を撒き散らした。ハレルヤを叫びながら白色驟雨に撃た れ南十字星に内臓を鷲摑みされたまま遠くの遠くまで嘆きの河を渡って往く。その日始祖鳥は翔ぶ空を 切なく探した。
第二章 スサノヲの雄叫び (詩の朗読を中心に + サウンドインプロビゼーション) 約20分
死
すべては妣の死から始まった いのちの女神 イザナミの妣の死から
ゆくりなくも 天上の神々は使命した このくらげなすただよへるくにを修理固成せよ と
ゆえに イザナギ イザナミは めおととなって みとのまぐはひにより 国生みをした
ひるこ
水蛭子
あはしま
淡島
あはじのほのさわけのしま
淡道穂狭 別 島を皮切りに
い よ ふたなのしま
伊予の二名島
あ め の お し こ ろ わけ みつごのしま
天之忍許呂別てふ隠岐の三子島
つくしのしま
筑紫島を産んだ 伊予と筑紫は 身一つにして面四つの島 だった
おほやまととよあきつしま
そのあとに 天御虚空豊秋津根別てふ大倭豊秋津島を 産んだ
これら 最初に生まれた八つの島々を合わせて 大八島国 と名付けた
あ め ひ と つばしら い き のしま
つづいて 天比登都柱てふ伊伎島
あ め の さ で よ り ひ め つ しま
天之狭手依比売てふ津島
さどのしま
佐度島を 産み
あまつ み そ ら とよあき つ ね わけ
おも
そして大妣イザナミは この大八島という大きな八つの島々のまわりに さらにまたたくさんの小さな島々を産んだのだった
そして 石の神 風の神 海の神 木の神 山の神 野の神 など
ありとあらゆる 山川草木 海 山 風 土の
天地の間にある神々を産み
最後に 火之迦具土神を 産んだ
そのため みほとが焼かれ 病み衰えて 黄泉の国に神去った
大妣イザナミは最初にヒルコ 最後にカグツチを産み その病み衰えたからだから 鉱物や土や水の神々をこの世にもたらして 黄泉の国に去っていったのだった
いのちの大妣イザナミは 産みに産んだそのはてに 死に至ったのだ すべてはここから始まった
悲
水に始まり火に終わる大妣イザナミのはたらきのおおいさに涙する
大妣の悲 それは 夫イザナミの無理解と非道な仕打ち 見ないでと頼んだ わがからだを見られてしまった その辱と 穢れたものを見るかのような夫のまなざし
いのちの行く末をおおらかに見とどけることができたなら 死もまた穢れなどではなく いのちの変容のかたちなのだと やさしく受け止めるまなざしが生まれていたら 吾が悲しみと痛みはこれほどのものではなかった
大妣はそう感じていたはずだ そのことに 父イザナギは気づかなかった
彼は わが身が穢れに触れたと思い 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で
ひ の かぐつちのかみ
禊祓をしたのだった
そして その禊祓の最後の最後に生れたのが 吾だった
父イザナギは 最後に左目を洗って 姉アマテラスを 右目を洗って 兄ツクヨミを そして 最後に鼻を洗って 吾 スサノヲ を生み成したのだった
父イザナギは
この禊祓から生まれた子神たちの最後の三柱を
みはしらのうづのみこ
とくに 三 貴子と名付けて 尊んだ
だが それゆえに
だが そのために
吾は 父を許せなかった
母の思いと愛を踏み躙って 独り善がりな清らかさの中に浸りきっていた父を
父よ あなたは あさはかだ 父よ あなたは ひとりよがりだ いつも そうだった おとこたちの 手前勝手はもうたくさんだ
俺は泣くしかなかった ただただ 泣き喚くしかなかった 啼きいさちるしかなかったのだ
おかあさ~ん おかあさ~ん おかあさ~ん と
母の痛みと悲しみを感じれば感じるほど それに気づかぬ父の無神経に腹が立った 何なんだ その自分勝手は そして その自分勝手を俺たちに押しつける
姉 アマテラスには 高天原
兄 ツクヨミには 夜の食国 吾 スサノヲには 海原を知らせ
だと?
大妣の悲しみにも気づかずに おもいをかけずに いたわりとやさしさをそそがずに
あなたの愛は独善的である いつも あなたの愛は独行的である つねに
妣は 耐えた 妣は 忍んだ そして 妣は 恨んだ
そんなうらみを あなたは世界にもたらしたのだ その責を取ってもらう
吾は啼きながら そのことを言い募っていたのだ 責め立てていたのだ
だが あなたは いっかな そのことに気づきもしなかった そして 吾を追放した 根の堅州国 妣の国に行ってしまえ! と
もちろん 吾は 根の堅州国 妣の国に行こうとした
だが その前に 姉にだけはわかってもらいたいと 別れを告げに行ったのだった それが 次なる出来事を生んだのだった
姉は吾を疑った 自分の国を奪いにきたのではないかと
まるで 何もわかっていなかったのだ 姉は 父と同じで 吾をただのわがままで粗暴なやつとしか見ていなかったのだ
父に見捨てられた母が深く傷ついたように 姉に見限られた吾も深く傷ついた
けれども そのことは 表沙汰にはしないで
うけひ
身の潔白を証明するために 宇気比をおこなった
ものざね とつかのつるぎ
姉は 吾が物実の十拳剣を取って 天の真名井の水で洗い 口中に入れ さがみに噛んで 息とともに吐き出し
三柱の女神を生み成した
た き り び め のみこと おくつしまひめのみこと
多紀理毘賣命 またの名 奥津島比売命
いちきしまひめのみこと さよりびめのみこと
やさかに まがたま みすまる たま
吾は 姉の物実の八尺の勾瓊の御統の珠を受け取って 天の真名井の水で洗い 口中に入れて さがみに噛んで わが息とともに吐き出し
五柱の男神を生み成した
市寸島比売命 またの名 狭依毘売命
た き つ ひ め のみこと
多岐都比賣 命
まさかつあかつかちはや ひ あ め の おし ほ みみのかみ
正勝吾勝勝速日天之忍穂 耳 神
あ め の ほ ひ の かみ
天之菩卑能神
あ ま つ ひ こ ねのみこと
天津日子根 命
い く つ ひ こ ねのみこと
活津日子根 命
く ま の く す び の かみ
熊野久須毘神
こうして ウケヒによって 吾は心の清らかさを あかしした
怒
だが おれの怒りは収まらなかった アマテラスよ なぜ おれを疑うのだ イザナギよ なぜ 母の悲しみを分からぬのか おれはおまえの 三貴子の一人などではない
おれは 母の子だ おれは 俺だ おまえの子ではない
おれの怒りは怒濤となり噴火となり爆発散乱した すべてのものを破壊する すべての神を破砕する
すべてのいのち破爆する
おさまらぬ おれの こころは おさまらぬ おれの からだも おさまらぬ
なぜだ なぜだ なぜだ なぜ なにも わからんのか
おれは 暴れに暴れた 田んぼを破壊した 畑を毀した 畔も 土手も 何もかも
反吐を吐いた
大嘗殿に糞をした
忌服殿に血だらけの馬を投げ込んだ
天の班駒を逆剥ぎに剥いで
皆殺しにしたかった 破砕し尽くしたかった 誰もかも 何もかも どこもかしこも
アマテラスは おれを怖れた そして 逃げた 逃げ隠れた 天の岩戸に
おれは それをも破壊し尽くしたかったが 天上の神々は おれを閉じ込めた
そして 神集いして 祭りをおこなった アメノフトダマは神籬を捧げ
アメノコヤネは祝詞を奏上し アメノウズメは手に笹葉を持って踊りに踊り神楽を奏して神憑りした
胸乳が露わになった ホトが露わになった
あめ ふちこま さか
それを見て 神々が笑った 花が咲き誇るように笑った
そのとき ひかりがさした 光が戻った 光が甦った アマテラスが顔を出した
あはれ あなおもしろ あなたのし あなさやけ おけ!
天晴れて 光が射して 面に当たって 白光りして
おのずと手が伸びて みなともにゆれにえゆれ おどりにおどり なびきになびいて おけ となる
おけ おけ おけ となる
世界に光が戻り いのちが息を吹き返した
いのちは甦ったが 俺は追放された
髪の毛を切られ 髭を切られ 手足の爪を剥がされ
あらゆる罪穢れを背負わされて 身も心も魂も剥き出しにされて 追放された
地の果て この世の涯 涯の果てまで
流
だからおれは ながれ 流れて 流浪する 漂流する
かつて 海原を治めよ と命じられたおれが
七つの海を 流され 漂流し 地の涯 この世の果てまで 経巡った
どこにも おれの居場所はない 休む場所はない 憩いの地はない
どこからも 拒絶されて 宿無しの 独り旅 還るところのない 漂泊 流浪
ただ 荒れ果てて すさみきって ながれゆくまま
そして その流れゆくままに 行き当たったのが 出雲の地だった
いづも いつも いづるも
いつ 思い出しても 愛惜の思いに揺れる
出雲の斐河に至った時 上流から箸が流れてきた そこに 誰かが住んでいる
おれは 駆け上った 上流に
ほどなくして 粗末な小屋を見かけた 泣き声が漏れていた
どうしたのだ おまえたち 何を泣いているのだ
毎年この時期になるとやってくる ヤマタノオロチが 最後に残った八番目のこの娘を食い殺しにやってくるのです それが つらくて 泣いているのです。
泣いているのは 三人 あしなづち てなづち くしいなだひめ
じつは おれは これまで そのヤマタノオロチとやらと同じであった 食い殺し 斬り殺し 叩き殺し ありとあらゆるものを 破壊尽してきた それが おれだった
だが そのおれが おれのかつてのおのれのようなヤマタノオロチを退治して見せよう そやつは おれにしか倒せぬからな
ヤマタノオロチを殺すことができるのは ヤツの分身でもあったおれだけだ
おれは策略を施した 八頭八尾の八岐大蛇に 八つの甕に なみなみと酒をそそぎ 酒精をプーンと匂わせて ヤツをおびき寄せ ぐでんぐでんに 酔っぱらわせて のびてしまったところを 叩き切る
おれの策略は奏功した まんまとおれの仕掛けた罠にはまった
かわいそうだが 姫たちを救わねばならぬ そのためには アヤツを殺さねばならぬ 両立は 無い
殺すか 殺されるか 喰うか 喰われるか どちらかしか ない
さいわい おれは 生き残った いのちながらえた 人救いを果たして
クシナダのヒメよ 美しいクシナダヒメよ おれとともに 生きてくれ おれとともに 生きてゆこう この ヤマタノオロチを倒した 八雲立つ 出雲の地で
こうしておれは 勝鬨を上げ 心の底から晴れ晴れとした思いに満たされ 思いのたけを歌にした
歌
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
たくさんの雲が立ち上ってくる その八雲立つ出雲の地で 愛するおまえとともに住む愛の御殿を造り その愛の住処で 常永遠に 愛するおまえと過ごしていこうぞ
おれは 吾が心清々しと大声を挙げて 歌をうたった おれの歌は 八雲の歌 出雲の歌 八重垣の歌だ そしてそれは 八岐大蛇の鎮魂歌であり 母の鎮魂の歌である
母の痛みと悲しみを背負い切れずに 暴れに暴れ 壊しに壊し わめきにわめいてきたおれが 初めて 正調の調べを持った晴れの歌をうたったのだ
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
やー やー やー やー
それは いやさか のうたである やさか のうたである やーさか のうたである
うたでしか おれの心の晴れ間を言い表せぬ 心の晴れ真 心が晴れた 心は晴れた
ようやっと
妣よ 大妣よ
こうして 吾は いましみことのかなしみをほぐし 母の痛みと恨みを 解き放った
この天上にまで千木高知りて聳え立つ愛の御殿の歌で
母の恨みを 歌で溶かした
すべては妣の死から始まった
そして 最後に 歌が残った 死が 詩となった 死が 歌によって 史となった
おれの語りは 歌となる それこそが 海原を治める おれの道
海原は 歌原である
くらげなす漂へる大八島の国 葦原の中つ国 豊葦原の瑞穂の国よ
第三章 和魂・幸魂(約15分)
歌:1「僕の観世音菩薩」
ぼくの観世音菩薩
朝 扉を開くと 鳥の声が聴こえる 風のそよぎ 水のせせらぎ 光に満ちて しあわせをかみしめる ああ ぼくの観世音菩薩
ああ わたしの観世音菩薩
夕べ 扉を閉めて 闇の中に憩う
ろうそくを燈し 静かに語らう
やさしさにあふれ しあわせをかみしめる D―A-Dm-G D-A―G-D
ああ ぼくの観世音菩薩 ああ わたしの観世音菩薩
夜 魂を重ねて 夢の中に溶ける
いのちの声に 耳を澄ます
からだを寄せ合って しあわせをかみしめる
ああ ぼくの観世音菩薩
ああ わたしの観世音菩薩
ああ 南無 観世音菩薩 ああ ああ 観世音菩薩
2「神」
この苦しみの中に神が在る この悲しみの中に神が居る 神は森に住んでいるけれど 人の心の森にも住んでいる
この激しさの中に神が在る この慎みの中に神が居る 神は海に住んでいるけれど 人の心の海にも住んでいる
開け天地 吹けよ山河 つながれ天地 結ばれよ山河
この痛みの中に神が在る この静けさの中に神が居る 神は天に住んでいるけれど 人の心の天にも住んでいる
この喜びの中に神が在る この祭りの中に神が居る 神は祭りに現われるけれど 祈る心の中にも現われる
開け天地 吹けよ山河 つながれ天地 結ばれよ山河
歌3:弁才天讃歌 オンソラソバテイエイソワカ(8 回)
天の川清く流れ 地上に光の帯となって 緑の大地を育み 世界に夢の帯となって 心の絆を結ぶ
弁才天 輝け
弁才天 宇宙へ
弁才天 響かせ
弁才天 天翔ける オンソラソバテイエイソワカ(8 回)
天の星遠く流れ 地上に光の帯となって 魂の道を照らし 世界に虹の橋となって 国の境を超える
弁才天 あふれ出せ
弁才天 世界へ
弁才天 響かせ 弁才天 魂翔ける
オンソラソバテイエイソワカ(8 回) オーム
第四章:奇魂 (約10分)
歌1「銀河鉄道の夜」
この地球から見ると銀河は白い乳の流れに見えて夜空を彩る その夜 ケンタウルスの祭りでぼくは不思議な夢を見た 銀河の夜汽車に乗って星の世界を旅する夢だった
あの空の果てまで ぼくたち二人で まことのさいわいを探しに行こう
カンパネルラの星までぼくは旅をする カンパネルラの星からぼくは飛んでゆく
この宇宙の中で地球はいのちと苦悩に満ちた星として輝く その夜 銀河の渦の中でぼくは孤独な星となる いっしょに行こうと誓ったきみはどこにいるのか教えて 教えて
あの空の果てまで ぼくたち二人で まことのさいわいを探しにゆこう
カンパネルラの星までぼくは旅をする カンパネルラの星から独りで飛んでゆく
あの空の果てまで ぼくたちみんなで
まことのさいわいを探しにゆこう 探しにゆこう 探しにゆこう 歌2「神ながらたまちはへませ」
神ながらたまちはへませ神ながら 神ながらたまちはへませ神ながら 神ながらたまちはへませ神ながら 神ながらたまちはへませ神ながら
岩陰より滲み出して来る 水を探して 夢を探して 向こう岸にる 向こう岸に渡る
夢を開いて 夢よ開けと
あはれあはれ はへ あはれあはれ はへ
神ながらたまちはへませ神ながら 神ながらたまちはへませ神ながら 神ながらたまちはへませ神ながら 神ながらたまちはへませ神ながら
なけなしの夢が壊れて 行く当てもなく流離う 尽十方未来際 尽十方未来際
夢を開いて 夢よ開けと
天晴れ天晴れ はへ 天晴れ天晴れ はへ
神ながらたまちはへませ神ながら 神ながらたまちはへませ神ながら 神ながらたまちはへませ神ながら 神ながらたまちはへませ神ながら
祈りの言葉は死に絶えても 朝日の中で甦り咲く 尽十方未来際 尽十方未来際
夢を開いて 夢よ開けと
天晴れ天晴れ はへ 天晴れ天晴れ はへ
神ながらたまちはへませ神ながら
詩の朗読:「火伏の山」(=月山讃歌)
火伏せの山として知られる霊山 そは 火を隠し持つ聖山
人を寄せつけぬ険しさと激しさ けれど 人を魅了してやまぬ神秘
そこに どのような火が燃えているのか?
火を吐く恐竜のような荒ぶる山の烈火 赤い蛇体のように流れ落ちる溶岩 樹木を焼き尽くす山火事の火 悩める心を激しく焼き焦がす火 人と人との間にあたたかに灯る火
いろんな火があるのだ 多様な火の多様な顕われがあるのだ」
母は言った 災難が起こるから火打ち石を持て!
父は言った 災難を乗り越えるために火打ち石を打て!
吾は言う 災難を受け止めるために火打ち石を配れ!
汝は言う 災難の後を生きるために火打ち石を隠せ!
さまざまな火の処方がある中で 火伏せの山はそのどれにも生成変化する
そは 火を秘め持ちながらも 火を抑えることもできる山 火を鎮めるための天地の清水を満々と湛える山
そんな 火伏の山に わたしはなりたい
歌3「月山讃歌」フィナーレ
北の大地から天に向かって 月の山が聳え立つ 万年雪を頂いた峰が緑の田畑を潤す この天地に永遠なるもののしるしを刻んで この世界のいのちの絆を結ばしめる山
Holy Mountain Forever 我らが月の山 Holy Mountain Forever いのちのオリジン
人は死ねば皆魂になって 月の山に帰ってゆく この世の浄土に安らかな顔で月の山に還って往く
この天地に永遠なるもののあかしを結んで この世界のいのちに平和を約束する山 Holy Mountain Forever 我らが月の山 Holy Mountain Forever いのちのオリジン Holy Mountain Forever 我らが月の山 Holy Mountain Forever いのちのオリジン
ネパール大地震ー吉村誠司君の報告とOPENJAPAN総会
6月9日、午後6時半から吉村誠司君に鶴岡に来ていただき、4月25日に起きたネパール大震災への支援活動の報告会を開催した。
カトマンズの状況はテレビで何度も流れていたが、吉村君らが行ったラップラック村などはカトマンズから10時間四駆の車で行き、その後、登坂10時間かかるとのこと。写真で大歓迎されている姿を見つつ、そうした村が星の数ほどあることを聞いた。世界中からNGOが入り支援が続いているが、村すべてをカバーするには相当の構えが必要とのこと。これは長期戦で臨むべきと吉村氏。今後、テント生活している人々の暖房をどうとるか。など、大きな課題を抱えていくとのこと。ロケットストーブを地元の素材を使ってつくれないか。なども検討。会が終わってからも会に参加したSさんは小型の発電機をつくっているので何か役に立てないかなど諸々相談した。今後OPENJAPANとして支援を呼びかけ活動していくとのこと。終了後若林へ。庄内魚の刺身定食堪能。
動画は以下。
6月10日 午後2時からOPENJAPANの総会が石巻で開催された。私はスカイプビデオでの参加となった。カーシェアリング協会の活動にはめざましいものがある。行政ともパートナーシップを組み確実に新しい社会モデルをつくりあげている。復興庁とも連携をとって事業を進めている。そのほか、銀行や企業とパートナーシップを組んでの石巻、福島への支援活動も継続している。古民家を地域のカフェにするIBUKIプロジェクトは今年10月をオープンの目標に邁進するとのこと。他、昨年度は水害があった山形、白馬、の支援、またネパールの支援。また、食品の放射能測定の件、私からは福島の子供たちの保養のプロジェクトをなんとか進めたい旨の説明をした。OPENJAPANは、非営利のホールディングカンパニーのようなかたちを目指していく。1)動く2)オリジナル 3)ひな形 4)育てる 5)助ける をモットーとし、東北の真の復興と新しい文化をつくる。本日、OPENJAPANの理事の一人として承認いただいた。東北の真の復興のために、新しい社会モデルの構築をしつつ、さらに力を尽くしていきたい。
東日本大震災、被災地再訪
21日、22日と岩手県宮古市田老町、宮城県石巻市を訪れる。
田老町の世界一と称されていた防潮堤。10メートルの高さの堤防は圧巻だったが、311の津波はそれを乗り越えた。185名の命が失われている。新規につくった堤防は破壊されていた。
今後の計画を立てているところだそうだが、更に4m高い堤防をつくる予定だと住民から伺ってうーむ。と沈黙。今、こうした防潮堤が、福島県から岩手県北部まで全域にわたって修復もしくは新規で計画されている。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120909/dst12090900300000-n1.htm 産経新聞では国は来年3月末までに、471地区のうち6割の299地区で着工を目指すが、これまでの着工距離は被災した総延長301キロのうちわずか14%だそうだ。
一体全体でいくらかかるのか。国土交通省東北地方整備局に問い合わせたが、担当は各県になっており把握していない。直轄事業だけはわかるが、、、とのこと。
その後、石巻へ。三遊亭京楽さんの落語会を企画しているopenjapan吉村氏、神戸以来被災支援を一緒に行っている徳恩寺さんらと合流。2000世帯の開成仮設住宅。
22日、午前中少しの間だったが、佑ホームクリニック、石巻医療園 健康・生活復興協議会 を訪問。事務局長 園田愛様、塩澤耕平様にお会いして、取組を取材させていただいた。
佑先生の取組は、被災地から、福祉介護と医療の連携をつくる先端の試み。園田さんから、「鶴岡といえば、ネットフォーユーの取組を先日取材させていただきました」と伺い。改めて鶴岡の医療連携を再評価。私も神戸での事を諸々意見交換させていただいた。
その後、京楽師匠らと東松島市の仮設住宅へ。
落語会の席でお手伝いをさせていただきながら、住民の方々から野蒜小、と浜市小学校の避難と被害の差をお話いただいた。
体育館の中で洗濯機のようになってしまった悲劇と避難した住民に「校舎に土足で結構ですからどんどんはいって、3階に上がって」と校長が指示し、犠牲を出さなかった浜市小学校。「渡辺校長先生が「土足でいいからどんどん上にあがって!」の声は今でも焼き付いている。と語って下さった。
http://www.asahi.com/edu/student/news/TKY201105090120.html
津波、地震の時に学校はどうするか。改めて問われる。
その後、改めて石巻社協を訪れ、阿部さん、大槻事務局長、森岡事務局次長らと意見交換。
在宅医療で有名な佐久市民病院の長先生が、石巻の医療チームに関わるとのこと。
先日訪れた「フェアトレード」は、大臣表彰を受賞しがんばっているようだし、
被災地からモデルをつくりだそうとしている石巻の医療介護ーNPO連携の今後に期待したいし、隣県から、なにかお役に立てれればと思う。
最後に久々に日本財団の黒沢さんを訪れ意見交換。石巻の災害NGOの立役者と言うべき人
山形県内の事なども含めて、諸々情報交換。
神戸から滞在しているのぶさんと一緒に、あいかわらず、がんばっておられた。
嘉田知事の滋賀県方式に学ぶべき。
本日は山形県議会 本会議 代表質問など。
県政運営についてなど、県知事答弁でよく語られるのが、「東日本大震災を教訓に、、、」ということ。確かに、311、そしてその2万人の犠牲から何を学び、何を教訓に、何を今後行うのか。まさに私達に問われていると思います。吉村知事の「卒原発」宣言は、福島から避難されている1万3千名もの避難されている方々の気持ちにたちその思いに至ったとのこと。私も大いに賛同しています。
しかしながら、、、。
例えば、吉村知事と共に卒原発宣言をされた滋賀県嘉田知事は、「災害想定した開発」「治水対策」を以下のように示しているようです。とても興味深い記事なので、改めてピックアップしておきます。
毎日新聞 2012年1月4日 東京朝刊より転載。
リスクと向き合う:3・11を経て 災害想定した開発を 嘉田由紀子・滋賀県知事に聞く
◇「滋賀モデル」危険情報を共有
滋賀県の嘉田由紀子知事に「滋賀モデル」の狙いを聞いた。
--従来の治水政策は何が問題ですか。
◆行政に「知らしむべからず、よらしむべし」の哲学があった。ダムがあるから安心で、住民はリスクを知らなくてよい、と。政治家の影響力とハード整備で対策をしてきた。
--どんな影響があったのでしょうか。
◆04年の新潟県三条市での水害は、上流のダムで放流したとの連絡が市にあったのに、無防備だったため多くの死者が出た。市町村は県、県は国、住民は政治家にそれぞれ陳情していれば安心という状況が、治水を人ごとと考える住民や自治体を増やしてしまった。
--「滋賀モデル」の特徴は何ですか。
◆人命を救うためには川の外、つまり人が住むところのリスクを、皆が共有しなければいけない。そういう目で県内を歩くと、昔の人は水を逃がす工夫をして危ない場所に住まなかったことに気づく。今、浸水する場所を見ると新興団地がある。地価が安い田んぼを開発した結果、新しい住民が被害を受ける。これを避けたい。
--行政も、危険な地域の開発を容認してきたのでは。
◆都市計画に自然災害リスクがほとんど考慮されてこなかった。リスクが明らかになっても、首長は住民の苦情を恐れ、説得する覚悟が弱い。そして被害を受けたら「想定外」と言う。これは行政の逃げ。滋賀県は「開発するなら最悪のリスクも知って、あらかじめ手立てをしてください」と言っていく。
--一部市町は、「川の中の治水」が不十分になるのではと懸念しています。
◆河川整備もやる。県下全域の川の危険度をランク付けして重点的にお金を入れる。それでもハードの想定を超えソフトで受け止める場合は、「想定外」と言わず命を守ることを目標とする。ダムは環境や社会への影響が大きく、金も時間もかかり、1000億円のダムなら1000億円全額投入しないと効果が出ない。八ッ場など多くのダムが何十年もかかって効果がない。川の中と外、両方で段階的に安全度を上げる必要がある。
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20120104ddm002040089000c.html
嘉田知事には昨年7月取材をさせていただいており、ダム問題の真相を思う存分語って頂きました。
「想定」を越えると全く機能せず、命を守ることができないダム、潮止め堤防。ハード整備という教訓から学んだ、「治水のあり方」、山形もダムに依らない治水への転換が今こそ必要だと考えるのです。
名取市で持続可能な地域作りのワークショップ
昨日の名取市でおこなわれたナチュラルステップ市民講座。は、原子力エネルギーは、システム条件の1,2,4に違反し、ダム開発は3と4に違反している。
持続可能な地域開発には、その条件4つに照らして違反しないという説明責任が実証を含めて必要と強調した。
(報告 草島)なお、昨日の模様は、solai.tv
http://www.ustream.tv/channel/%E6%9C%88%E5%B1%B1-tv/videos
で配信されています。(期間限定)
震災復興をサスティナブル(持続可能)な視点で読み解く。歴史的なワークショップだったと感じています。
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本日から山形県議会 2月議会 今、知事説明を終えたところ。
給食の放射性物質測定について
昨晩、メールで市民の方から、鶴岡の給食の放射線測定についてのお問い合わせをいただきました。
気になる検査費ですが、ゲルマニウム式で1検体約20000円かかります。実際山形市のをここで請け負うということでしたので、1回2万円の費用を予算組みするのでしょう。県が考慮している検査もこの方式が基準となるのでしょうが、県内全体の学校、あるいは給食センターで、と頻度を考えると結構な予算が必要となります。
さてどうするか。今後の課題でしょう。
この検査機関では、昨年末まで毎日、24時間体制で職員のシフトを組み、測定をし続けてきたとのこと。牛肉、農産物などなど、測り続けてきたと伺いました。今、山形県内に県所有が1台、民間7台の計8台、このゲルマニウム式の測定器があります。それがフル稼働してきたというのが実態です。県では昨年5月補正予算でもう一台の測定器の購入を決めたのですが、未だ在庫がなく未納入のままです。4月にはもう一台導入されることを見込んで、測定をしようとしているようです。
ちなみに、給食の食材の放射性物質測定は、例えば兵庫県尼崎市、神戸市などでもおこなわれています。きちんと測定して子ども達の安全安心を叶えることは重要なことだと考えます。山形市は来週からおこなうとのことで、今週分の給食のサンプルが冷蔵保存されているとのこと。先ずは全体をミンチして2リットル容器に入れて計測する旨を検査機関の方に伺いました。
鶴岡でも市で積極的にとりくむべきとも考えます。流通している食材は基本的には基準を満たした物という条件にはなっているものの、測れている範囲はとても小さいと思えますから。
30ベクレル以上が測れる簡易型でも身近の施設にあって、「これは」と思うものを測れるようなことが大事なのかもしれませんね。それも安価か、無料で。
実際にチェルノブイリ汚染にともなう地域 ベラルーシ などでは学校単位で食材を測れるようになっていると映像で見ました。この辺りも今、仕組みのつくりようなのだと思います。
関連:http://www.asahi.com/national/update/1107/TKY201111070483.html
いずれにしても福島の事故で被曝した日本の放射能汚染からの安全対策。これからが更に勝負です。
3ライス元気村プロジェクト NHKで紹介!
追伸。3ライス元気村プロジェクトがNHKで紹介されました。
動画を含む、ページは以下です。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120118/t10015353211000.html
どうぞご覧くださいませ。
石巻。3ライス元気村プロジェクトの記事
一昨日、昨日と石巻の仮設住宅での孤独死防止の取り組み、3ライス元気村プロジェクトに参加してきました。年末も12月23日妻と一緒に、此まで月山元気村へのご寄付をお米に替え、庄内米300KGをもって参加。そのとき取材を受けた記事が地元紙に掲載されましたのでお伝えします。
月山元気村は石巻ボランティア絆ベースとともに、3ライス元気村プロジェクトを柱に被災地支援を継続的に活動していきます。
よろしくお願いします。
奇跡のボランティア 石巻モデル NPO、災害ボランティアの文化をさらに進化させよう。
仙台といえば、大体僕の行くところは決まっていました。せんだいみやぎNPOセンターには、加藤哲夫さんがいらして、いつも僕は御意見番として諸々ご意見、また、新たな考えをいただいていました。NPO関連の様々なフォーラムに呼んで頂いて、そして新しい動きをどんどんおつくりになっていらっしゃいました。8月終わりの葬儀の時には川の調査等に集中していて列席できなかったのですが、改めて1031に訪れ、以前、加藤さんが2時間ぐらい現状や成功例をお話くださり、僕も取組中だったナチュラルステップの話などをしたことを思い出しました。31日ひさびさに訪れ紅邑さんにお会いすると、ちょうど、東北の復興支援協議会があるということで、オブザーバー参加させていただきました。
その後、石巻へ。最上からの支援を続けている押切氏と石巻の石巻社協 阿部さんを訪れ3時間ぐらい懇談。その後石巻復興支援協議会のミーティングへ。ミーティングの後、代表の伊藤さんに諸々、今かかえている課題などをうかがいました。http://gambappe.ecom-plat.jp/d
震災直後の3月20日にNGOと社協、行政の石巻NPO連絡会議をたちあげてほぼ7ヶ月。現在は被災地の中で最大規模のボランティアを動かす石巻復興支援連絡協議会として、ほぼ毎日このミーティングはおこなわれています。3月20日には、横浜の大野氏やヒューマンシールド神戸の吉村氏、日本財団の黒沢氏と、神戸、中越の教訓を活かすためにもそうした場をつくろうと思い立ち、先行してはいっていたmake the heaven やピースボートに連絡をして、開催したのがはじめでした。20日、21日と僕が司会を努めさせていただきました。21日の日に「だれか書記を」と投げかけた際に手をあげてくださり、とても秀逸な板書をしていただいたのが今、代表を努めている伊藤さんです。当時、社協から被災状況の全体像、抱えている問題などをシェアすることができ、NGO側にも次に何が起きるかわからないでいた社協や行政にとっても実に有益だったと改めて感じています。
その連絡会議の2日目 3月21日の映像は以下にアップしています。興味ある方はのぞいてほしいと思います。
http://www.ustream.tv/recorded/13546578
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で、石巻復興支援協議会は朝日新聞アエラで紹介され、「奇跡のボランティア 石巻モデル」として本が出版されました。
さて、議会でもとりあげましたが、ボランティアはこれからが勝負です。
特に隣県の山形から何ができるのか。僕も当時「神戸元気村」で3年、孤独死の防止の活動として「ベルボックス」「3ライス神戸」などの活動を当時仕事としておこなっていました。
「ボランティア元年」という言葉を生み出した「神戸」から16年。来年で17年。今回の現場で何が生み出せるか。まさにこれからが勝負と考えています。NPOの文化の進化も然り。東北の人間の復興、日本の再生のために。
草島ー議会報告を鶴岡タイムスに折り込みました。
9月議会で初めての一般質問をおこないました。その内容についててまとめた「草島進一 議会報告 パドル2 が完成。鶴岡タイムスに折り込みました。どうぞご一読いただき、皆様のご意見をぜひメール、同封はがきなどでお寄せください。
本日は、被災地の状況を把握し、次のプロジェクトの打ち合わせなどのため石巻他、被災地におります。昨日は東北大 萩ホールでおこなわれたTED×tohokuに参加。東北の復興のあり方を新たな視点で考えるとてもいい時間でした。12人それぞれ10分ずつのパワポ プレゼン。それぞれ実に興味深かったし、カナリア、ラッコ、雁、カエルにたとえて次の示唆を説いてくれたIDEOのポールベネット氏。のプレゼンは圧巻でした。気仙沼 及川デニムのお母さん社長、googleの震災関連サイトのリーダ=川島氏の「人を信じる」という話も実に良かった。興味有る方は TED×tohoku のUSTをご覧下さい。
では。