カテゴリー: 緊急支援
岩手 震度6強
寝ようとしたら結構ゆれた。30秒ぐらい。鶴岡で震度4とのこと。
ちょっと注意して情報収集。岩手で6強。
栗駒焼きの主人
HDVカメラで取材したモニターを携帯カメラで撮ってアップしています。
地震だ。
今、起きて、メールを確認、していたところ。結構揺れた。地震だ。大体震度4ぐらいあったろうか。横揺れで30秒ぐらいは揺れていた。棚から物がおちるようなことはなかった。
●震度6強は、奥州市、栗原市など。6強といえば、中越地震と一緒だ。
現在、情報を整理中。
http://www.jma.go.jp/jp/quake/14084500253.html
第5学区地域活動計画発刊祝賀
3つぐらい色々重なっていたが、災害ボランティアとして参画していた第5学区の地域福祉活動計画の発刊の発表会と祝賀会に参加する。なかなかいい計画ができた。さて、これから、いかに行動に移していくか。特に災害時に威力を発揮する 災害弱者を記した福祉マップの作成。これが喫緊の課題だ。せっかく関わらせて頂いているので、日本一つかえるマップとシステムをつくるぞ!と発言す。本気でなんとかしたい。よろしく。
能登地震支援のミーティング。
鶴岡災害ボランティアネットワーク4名。本日午後6時から鶴岡の某料理屋でミーティング。お昼と夜のNHKニュースで紹介される。
門前のボランティア。
昨晩は、大型の避難所をまわった。
被災規模が大きい道下付近には、諸岡公民館と、門前西小学校がある。
諸岡公民館はかなりメディアで登場し、炊き出し隊も住民で結成している充実さ。
門前西小学校の方は、小学校の体育館に195名が雑魚寝状態だった。
夜は、鶴岡4名(巖見、村井、佐々木、草島)で夕飯。
その後 分かれて僕は門前に。
夜9時をまわっていたが、ちょっと失礼して中を静かに拝見。ほとんど就寝状態。たまたまそこにおいでになった女性に「着替えスペース」にテントはいかが?と尋ねる。「ちょうど今日、自衛隊のお風呂がはじまったんですけれど、なかなか着替えの場所がなくて大変でした」との事。
それはいいということになり、「明日やってみますか」ということに。
27日。朝6時半。 門前西小学校に行く。白山市の給水車が来て、飲料水や水洗簡易トイレなどへの水の補給のバケツリレーがはじまって、その輪にはいる。
地域の人たちが15人ぐらい輪をつくって20分ぐらいバケツリレーが続いた。
簡易水洗トイレも結構水を喰うもんだ。お父さん方がどんどんでてきてすばらしい連携プレイ。地区の力は強いと感じた。
その後、8時からのボランティアセンターのミーティングへ。
ニーズ調査班のサポートをやることにして、その後3件のニーズ調査をおこなう。
その後、道下地区のニーズがあったので、その調査を含み、西小の体育館にテントをもって巖見さんと訪れ設営。「着替え中」の表示板を段ボールでつくって下げる。
区長さんが初っぱなの着替えをし、「これはいいねえ。それにあたたかいもんだねえ」と一言。
設営をしている途中に神戸の黒田さんがいらっしゃり再会。「これはいいわねえ」と一言。黒田さんのアドバイスもあってテントの入り口を「高齢者がつまづかないように」入り口の下の部分にテープを貼る。
なかなかやはりいい。
テントプロジェクトは神戸の「避難所のプライバシー確保やエコノミー症候群対策」で中越に僕らが展開したプロジェクト。中越では600張りのテントを集め、どんどん手渡していった。
そろそろ「体育館に雑魚寝」という災害時の風景を変えたいという気持ちも込めたプロジェクトだった。今回はそのさわりといったところか。
まず、快く受け止めてくれて喜んで頂いて良かった。
それから、近所のニーズ調査へ。大正時代の洋館を思わせる家。一見頑丈だが、中へはいってみると壁が落ちたりして部屋は荷物が散乱。
調査をしてボランティアセンターに戻って7名を要請。
8名、金沢からバスできたボランティアが行けるということになり現地へ。現場にはいったのが午後1時。そこからわいわい作業をやりながら、ほぼ1時間でほとんど片づいた。目を丸くし、いかにもうれしそうなお母さんが、ポリタンクの水を使ってコーヒーをいれてくれた。
休憩後1時間作業。水も近所の避難所にくみに行って提供。
お母さんはなんべんもありがとうを連発。「いい仕事をした」と満面の8人。良かった。コーディネート冥利につきる一件。
金沢からのバスの面々に混じって、輪島市の高校生が参加してくれていた。聞いてみると「自分の家はどうにもならない」からボランティアに来た。と言う。
「えっ」
そこにいるみんながびっくり。
被災した自分の家を放っておいてボランティアに来たという見上げた高校生は井戸君という。家族はお爺さんとひい爺さんとお母さんと、弟、妹、の6名。家は赤紙が張られ、避難所に避難していると聞く。
その後、 N財団の黒沢さん、元神戸元気村の袖岡さんらと合流。
諸々コアなミーティングを輪島でおこなう。
明日、足湯隊が避難所に入る予定。
ボランティアはこれからだ!
もう一つの生き方
今日、5時46分。鶴岡。私の事務所コモンズでテレビをつけ、神戸の方向を向いて黙祷する。6434名の犠牲。がれきの山の町。サイレンとヘリコプターの音 黒々とした煙。遺体。絶望的な情景は今でも心に焼き付いている。そしてこの日。毎年ろうそくの炎を見ながら、一瞬のうちに消えてしまった命と、あの社会を振り返る。
「ボランティア元年」という言葉を生み出し、「神戸から未来が見える」と現在、朝日新聞の報道局長の外岡さんは書いた。あのとき見えた光は今、どうなのか。
市民社会の到来を、希望の光として見ていたあの頃予期したような社会になっているのだろうか。
今朝のNHKの番組で当時 ちびくろ救援隊を組織し、一緒に活動していた村井さんがNGO CODEの代表としてとても大切なメッセージを発信してくださった。「絆」と「もう一つの生き方」という事だ。
中越で元気に活動している良太君の姿もカメラは捉え、着実に支援をおこなっているなあと感動したし、CODEの仲間たちのとてもいい顔が、テレビに映されることはとてもうれしい。
元気村の時、テント生活150日、スーパーハウスに1年半。暮らしながらも僕らの心は何か満たされていた。全国から集まる寄付金で、なんとかかんとかやりくりをし、日々の活動を続けていた。アルバイトをするよりも、今、神戸にどれだけ愛を注げるか
。そうした意志をもって行動するか。なんて、まともに考えて、日々を過ごしていた。
今、僕はそのときの気持ちのまんまで、ダム反対運動も、地下水保全の活動も、平和の活動も、理不尽を指摘し変える活動も、そして市議会議員の活動もやっているつもりだ。
もう一つの生き方。金が真ん中にあるのではない。愛が真ん中にある活動。その行動に一歩踏み出した時のエネルギーの高まりと、それを受け止めてくれたときの感動
そして同じ思いでつながる絆。
米国サンフランシスコのNPOにインターンしたとき。このエネルギーのまんま、それを職業として闊歩する多くの人たちに出会った。社会をよく変えることが職業。
ほぼ普通の会社の給料と同じぐらいの給与で、実に堂々と、活動をしているスタッフたち。米国の社会がすべていいわけではないが、お手本はいろんなところにあるのだ。
震災から12年目。彼らとももう一度情報交換をしながらこの鶴岡、山形、そしてこの日本で何をすべきか考えていきたい
なお、神戸元気村、当時の映像をウェブ公開します。「もうひとつの生き方」というものに踏み出しはじめた僕が映っています。 どうぞご覧ください
→ちょっと長すぎて視聴困難とのことでしたので半分ずつ二分けました。今度はご覧になれると思います。どうぞ。
http://homepage.mac.com/stern8/iMovieTheater30.html
http://homepage.mac.com/stern8/iMovieTheater31.html
http://homepage.mac.com/stern8/iMovieTheater29.html
ジャワ島支援にいく友人へ支援を!
ジャワ島の件。じわじわと犠牲者の数が増えている。
中越の現場で一緒に活動した吉村君が現地へ行くことになった。
彼の現地情報を元に民間支援の方法を探っていきたいと思う。
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●インドネシア・ジャワ島の地震と
ムラピ山噴火危険避難地へ
5月27日の地震以前に、この3月から活発化した
ジョグジャカルタから30キロほどのムラピ火山のことが心配だった。
1994年の火砕流で60人が死亡した山。
その前の噴火では、千人以上が亡くなっている。
避難を拒む住民たち、地震後はその避難している
方々の報道はほとんど無くなっていった。
火砕流も発生したというが、その後の生活は
どうしているのだろうか。
●5月27日以降、現地で活動するNGO関係者と連絡を
取ってきた。彼らは、津波の被災地アチェでも様々な活動を
展開し、弁護士とも連携して、今後の津波危険地区設定に
かかる住民の相談役や宗教界と連携する
「トラウマケア」プロジェクトなどを行ってきた団体だ。
また、平和を求める活動の歴史も長い。
二つ目のNGOは、被災地になったジョグジャカルタ近郊の農民や
女性の自助グループ、権利の向上に取り組むNGOの支援
活動を長年行ってきた。
収入源のフェアトレード活動では、その民芸品を作る家々が被災地に
なってしまったのだ。
小さな豊とは言えない家にかなりの被害があり、
今、そこに支援物資を提供始めているという。
現地に在住する日本人もNGO活動に関わっており、
今後の関係作りに話をじっくりと聞き、活動に参加する。
●6月に入って、ようやく現地との携帯電話もだいぶつながるとの
ことで、現地で活動する二つのNGOと連携するために、
いよいよ2日に第1陣がスマトラから入る。
アチェを訪問中のボランティアスタッフだ。
メダンのコーディネーターは、メダンで待機し、
今後の調整なども行う。
そして、第2陣として、日本からは、私が5日に向かうことになった。
その日中には、ジョクジャカルタに入る予定だ。
また20年前からのNGO仲間家族がジャカルタに住んでおり、
移動の拠点や情報で動いてくれている。
今後の支援について、インドネシア国内の様子を聞く。
噴火災害の為に入っていた国連関係の事務所がNGOと
連携し動きが始まっているというが、まだまだ広域での支援
活動はいろいろと大変だ・・
●現地から発信できるように・・・・
今回は、そのNGOの名前を出さずに現地に
入ります。今回の派遣期間に、今後の展開を
カウンターパートとして作ってゆける
ことになった際に、中長期の方針も含めてお伝えします。
●テントや蚊帳持参、軽作業が出来る準備をして向います。
現地で購入や物資寄付を募れるアウトドアメーカーも捜査中!
通関の壁を乗り越えるのは、安く現地で購入し、その時のニーズに
合せて届ける。それが出来るのが、地元に根ざした自治会、NGOや
個人だと思う。その末端と国連の架け橋役も重要だ。
いろんな現場のノウハウを伝えるのが、私の役目のひとつだろう。
もし、今回の被災地への活動支援や義援金を出してくださる方は、
6月2日(金)中に下記に振込みくだされば、現地で役立ちます。
出発は6月5日(月)の午前便です。
どうぞ、ご協力よろしくお願いいたします。
【三菱東京UFJ銀行 明石支店 普通4576874】
「ヒューマンシールドコウベ」
【郵便振替口座 00980−7−264796】
「ヒューマンシールド神戸」
通信欄に「ジャワ島地震」「スマトラ沖津波」「レイテ島地すべり」など
使途指定と連絡先などをお書きください。
●スマトラ島津波後に発生したニアス島地震支援も継続中です。
現在、郵便振替に書いていただいた住所あてに
パキスタン地震、レイテ島地すべりの報告書を発送しています。
もし、銀行振込みのみで、住所がこちらに届いていない方、希望者は
下記までメール返信くださいませ。
william_seiji@hotmail.com
ジャワ島地震
犠牲者5000名を突破しているジャワ島地震。
現在、ヒューマンシールド神戸のY君と情報交換中。現地で最も足りなくて、市民がやれることは何か。検討中。
防災フォーラム
県などが主催の防災フォーラム参加のために山形市へ。災害の図上訓練などのコーディネートをしている株防災&情報研究所 代表の高梨成子さんの話しをうかがう。
諸々これまでの災害時の対応などについて系統立ててご説明いただき、参考になった。
防災コミュニティづくりについて、様々な事例も紹介いただいた。
先日もクローズアップ現代などで紹介されていたが、平塚の防災まちづくり会議など、耐震のための技術普及などまで取り組んでいるところがある。
山形県内の自主防災組織の立ち上げ率は53%。全国平均60%を超えているということなので、全国からみたら若干劣っていると考えられる。
災害ボランティアやNPOについて、認識は高まってきたものの、行政との「協働」のあり方は模索中といっていいだろう。公演後、高梨さんにあいさつがてらしばしお話した。日本版FEMAの話しも阪神の時からあったのだが、なかなか全然進んでいない。部米国のFEMAも、クリントン政権の時は、結構フレキシブルな対応をしていたのだが、ブッシュになってから、あのニューオリンズの対応のように体たらくになっている。やはり災害対応を考えたとき、政治が大きくモノを言う。
阪神淡路の現場、重油災害の現場、中越の現場、今回の中越でも国会議員の中で最も早く現場にかけつけたのは、兵庫6区の市村浩一郎 民主党代議士だ。
市村氏は、阪神淡路の時は阪神淡路コミュニティ基金の事務局長として僕らの対応をしてくれた。災害時のとき、NPOの支援のあり方などについて現場で考え続けている貴重な存在だ。
もっともっと現場主義で災害ボランティアの支援のかたちについて、次がつくられるといい。
耐震偽装マンションの問題にしたって、神戸で、災害に遭われた方に一銭も公的支援しないで、今回のマンション入居者には速攻で支援しようとする政治姿勢。どうも解せないのだ。神戸で、ずっと公的支援の運動をしている被災者たちの怒りは募るばかりだろう。
終わってからNPOビルドグリーンのA氏に会い。意見交換。
耐震偽装の問題は、住宅ローンを受け付けている銀行の問題もあるのではないかということ。このAさんによれば、そもそも、日本の住宅ローン制度。海外の制度からみたら相当実は変だ。という。担保で持ち主の収入、財産、生命保険をかけるということ。一度住宅ローンを組んだら、一生人生がきまってしまう。ともすれば住宅のために自殺をする。などということは日本特有の事だというのだ。
ニート増大。終身雇用制の崩壊。としたらば、住宅ローン制度を見直さなければならないのではないか。
神戸でも2重ローンを抱えている僕らと同じ年代のパパさんたちが多くいる。今回のマンション事件でもおそらく2重ローンを組まなくては成らない人がでてくる。
米国の制度だと、家の所有者は、もし買った家が欠陥住宅だったら、そのまま銀行に家を戻すことができるのだそうだ また、払えなくなった時も基本はその家を銀行にもどせばいい。銀行はそのかわり、住宅ローンの審査はとても厳しいのだということ。
間違っても、住宅ローンのために自殺するようなことのないように、国のかたち、しくみを替えていかないといけない。