月別ア―カイブ: 10月 2004
新潟小千谷市より24日から26日朝までの被災地報告
10月26日火曜日 午前9時 小千谷市より
10月24日 日曜日、午前10時。新潟に向かう。神戸で一緒に活動した有志で新潟で炊き出しをしようということになり、食材、鍋、五徳、ガスボンベなどを調達。500人分ぐらいの「元気鍋」をつくろうという計画。
高速は新潟から乗り、三条止まり。三条のプロパンガス屋、「コメリ」でガスボンベ調達。今朝、小千谷までいってきたという店員のひとりが、小千谷まで行く道のりの険しさと、通常の8号は途中までしか行けないことを教えてくれる。山川の道に迂回しないといけないということ。それをたよりに車を走らせる。途中、4輪駆動でもがっくんと乗り上げる亀裂や、かなりの上下運動を伴う路線のうねりを感じながら小千谷を目指す。
結局小千谷に到着したのが午後7時をまわった頃。市役所内の災害対策本部に行く。役所職員と報道機関の人間で本部はごった返していた。当日朝9時から入り諸々の現地状況を調査していた、衆議院議員の市村浩一郎氏(神戸で一緒に活動した仲間です)が迎えてくれた。壁にはびっしり、被災者の情報、道路情報、倒壊家屋、避難場所などを書いた紙がはってあった。
情報はまだどんどん変化している。
避難場所は、約2千人避難しているという総合体育館をはじめ、公的建物の他に自主的に空き地や駐車場単位で固まって暖をとって、休んでいるところがあり、この状況については詳しくは役所では把握できていないようだった。ただし救援物資を平均して配る必要性があるため、その把握について、役所も苦労しているようだった。
夜、停電で信号も街頭も付かないまっくらな街のところどころに、食事をしたり暖をとるたき火の火が見えた。そして多くの人が車の中で寝ている。
現場にはいって突然何回か余震があった。結構揺れる。震度3〜4ぐらいは日常的に「あ、またか」という感じでおきている。
災害対策本部で情報収集しているとそのうち元神戸元気村 吉村誠司君 が到着。彼は、豊岡の水害現場でカヌーでの救出作戦をおこない、豊岡のボランティアセンターの立ち上げを行った後、新潟に向かってくれた。600キロの道のりを走って来てくれた。
夜、災害対策本部で避難所の状況や物資の状況、そして次の日の炊き出しをする場所を確認するための打ち合わせした。孤立してほとんど着の身着のままヘリに乗って避難するしかなかった山古志村の方々が避難しているという小千谷高校の体育館がいいのではというアドバイスをうけて、そこで行うことに決定。周辺にいた報道各社に手書きリリースを手渡す。
深夜、吉村氏と一緒に周辺を調査する。幹線道で地割れがおこり1メートル者段差ができているところがあった。倒れている電信柱。斜めに傾いたアーケードや電信柱。雪国で家が強いせいか倒壊家屋の数は神戸には全然及ばないが、ところどころに震度6強という地震の強さを物語る跡が見られた。
●震度6弱の余震
25日月曜日 朝、午前5時ごろ震度6弱の地震にたたき起こされる。
月曜日の朝の余震6度弱 と聞いたが、荷物満載のワゴン車の運転席と助手席で、市村氏とともに車の中で仮眠をとっていたのだが、直前に目が覚めて、ぐぐぐと下から突き上げるような揺れを感じ、30秒ぐらい、電信柱、建物がみしみしと揺れ、ばらばらと小さな破片が落ちた。結構被害がまた増えたのではないだろうか、というぐらいひどい揺れだった。また驚いた。
●小千谷市塩谷地区からのヘリでの被災者の方への「元気鍋」
朝から炊き出しの準備。下見にいくと大体200名ぐらいの方が体育館にいらした。外での炊き出しになる。雨がちょっと心配だった。うーむ屋根かということになる。テントは準備していなかった。あれを使おう。と吉村氏が指さした。サッカーゴール。それにビニルシートをかければいいじゃないか、ということになった。そうなったら、そこにいる人の動きは素早かった。
あっと言う間にサッカーゴールを運び、シートかけが終った。立派な屋根ができた。その後、6人集まった神戸、埼玉、山形、の有志で、大量の里芋や10キロの豚肉などを現場におろし、地元の人にも呼びかけて一緒に準備をはじめた。
早速おばさんたちが、みんなで芋の皮むきをはじめてくださった。
男性は火の番をしてくれた。とても結束間の強さを感じた。どんどん料理をする輪がひろがって、用意していた包丁の他にもどこからか調達した包丁をもってどんどん芋煮つくりの輪が広がっていった。持っていった里芋、じゃがいも、にんじんなど全部皮むきが終わり、煮込む。
お昼になりようやく完成。差し出して「ありがとう」といって受け取って「ああ、あったかいものはいいね」と思わず涙ぐむご老人がいた。みんな満面の笑顔だった。1回目で大体200食。あっという間になくなった。その場で「おいしい、おいしい」といって平らげていただいた。
良かった。
神戸元気村のはじめの活動が、「元気鍋」だった。「元気鍋」の特徴はただ、ボランティアだけで完全に全部やるというよりも、被災者の方にもよびかけてみんなで鍋をつくろうという炊き出しだ。そのやり方を行うと、鍋と燃料と食材さえあれば被災者のみなさんの力によって炊き出しを続けることができる。
こうするとボランティアスタッフは次の火付け役にまわることができる。これが「元気鍋」だ。当時の元気村では炊き出し隊長のとーる氏(現四万十塾)を中心に神戸ではほぼ3月末まで炊き出しは毎日続いた。2月ぐらいには一日7千食を越える炊き出しを数ヶ所でやっていた。神戸のときも、兄を失い、家も倒壊してしまった方なのだけれど「今、がんばらんと」と毎日懸命に鍋づくりをしていただいた方がいた。包丁を持つことで元気になるお母さん達もいた。炊き出し一つでもいろんな知恵をつかえば「元気」になれる要素がある。
「元気鍋」方式により鍋も野菜の残りも五徳も、予備ボンベ付きでプロバンガスボンベもこの方式で避難所に置いてきた。
とにかく今、炊き出しがトップニーズ。現地に入るのは何人でもいい。ガスボンベ、水、大きな鍋、大量の野菜をもってグループ単位で、現場に駆けつけてほしいと思うのだ。
地震翌日25日午前9時から現地にいて、いろいろ情報を提供してくれた市村氏、そして、豊岡水害から駆けつけた吉村氏と炊き出しを終えてその後、数ヶ所の避難所にいってみる。約3千人もの方が避難されている総合体育館。 超巨大な体育館に3千人が地べたにそのまま毛布を敷いて、雑魚寝状態で休んでいる。お
地震だ!
今日は午後3時から公文大でおこなわれていたNZ学会に足を運ぶ。オークランド大の先生、青大の平山先生らの資源管理法(RMA)の話、非常に興味深かった。河川管理などについて質問したが、10年前に住民から堤防強化の要望があり裁判がおこなわれたが、結局、その場合はRMAなどの判断により裁判で堤防をつくるのではなく危険地域に住んでいる人の移転という決断がなされたと説明をうけた。NZではとっくにダム開発にたよる治水また利水政策は止まっている。などと聞いた。僕らはもっとNZの政策を勉強してそれを参考にする必要があるような気がしている。先生方によればドイツや北欧よりも実は学ぶべき点が多いというのだ。特にマオリの思想も組み入れたかたちで、つくられている環境法というのは画期的にうつるものだ。政策決定の際、マオリ(先住民)の知恵を参考にするというのだ。日本にそうしたことがあったら、今のようにはダムがつくられないのではないだろうか。
と先生方の講演中、午後6時手前に地震。酒田では震度4との事。
今、家にもどり、震災情報を見ている。
新潟。水害のときにも訪れた見附が今度は地震だ。現在のところ、
新潟中部で震度6強3回 3人死亡、負傷者多数
23日午後6時前から8時前にかけて、新潟県中越地方で、震度6強の地震が3回あったほか、震度6弱、5強などの地震も相次いだ。
新潟県警によると、小千谷市と十日町市で計3人が死亡。揺れが激しかった地域を中心に、病院には多数の負傷者が運び込まれた。電力会社によると、約25万戸が停電。複数個所で土砂崩れや火災、車の衝突事故が発生したとの情報がある。走行中の上越新幹線が新潟県内で脱線したが、けが人はなかった。
政府は首相官邸の危機管理センターに官邸対策室、警察庁は災害警備本部をそれぞれ設置。
気象庁は「内陸部で起きた直下型地震。引き続き震度6強規模の余震が多数発生する恐れがある。大雨で地盤が緩んでおり、がけ崩れなどに厳重な警戒が必要」と呼び掛けた。
合併問題仕切り直し。経営倫理
10月21日、28日からの臨時議会での提出案件の説明会。ひとつは三川町を除く6市町村の南庄内 合併協議会の提案と、職員の冬季手当ての件。合併問題であるが、今回の議会で指摘したことの一つでも明らかになること、と住民の意志確認の手法の検討を強く望むものだ。
19日、公益文化大学大学院にむけた公開講座が鶴岡キャンパスでおこなわれた。経営倫理を学ぶということだが、「哲学的なアプローチからの経営倫理」ということで切り込んでいく「常に問いかける姿勢」といった中谷教授のアプローチは新鮮だったし、実に有意義だった。重要なこととして、「法律は確かなものではない。解釈の仕方もいろいろあるし、状況や時代によって、作り替えられるものだから」といったこと。なにより、自由な意見、反対意見が述べられない環境は、不正の温床になりやすい。ということ。 まとめのところだけ記しておこう。
●倫理的に生きるためには常に「それが正しい行為か」問いかける姿勢が不可欠。●ステイクホルダー重視の経営は現在の流行だが、何がステイクホルダーなのかはさらに深く考える必要がある。●法律を守るだけの経営は危なっかしい。●ビジネスにたずさわる者として、他者危害原則、不快原則を常に考慮しなくてはいけない。
当たり前のようなことだけれど、三菱の事件や雪印や牛肉不正表示やいろんなことがこの国でもおきている。役所の中でも、最近新潟市でもろに発覚したけれど不正談合がまだはびこっている。それらに如何に対処するか。「それが正しい行為か常に問いかけてみる」 大事なことだ。
東北自然保護の集い 小国川運動のワンステップ
16、17日と、山形県最上町 赤倉温泉にて、東北自然保護の集いが行われた。
山形県で髄一といえる清流 最上小国川。今回の集いはダムと公共事業と題して、小国川ダム計画をふまえつつ、おこなわれた。
基調講演は天野礼子氏。
岩手から、ツヅキダム、梁瀬ダムの反対運動を展開しているアクティビストがきていて、最上小国川に取り組んでいる漁協とともに、2日間、議論をし合った。僕はダム分科会書記や2日目の特別企画などを努めさせていただいた。梁瀬ダムは盛岡の郊外に計画されているダム。未だに盛岡の水道水とか、「利水」目的を含んだ、多目的ダムと聞いてがく然とする。強行されれば、月山ダムの二の舞いを踏むことは明らかだ。
ツヅキダムは、カキ養殖で有名な岩手三陸海岸へ注ぐ気仙川に計画中のダム。こちらも多目的だったが、さすがに利水利用はカットされて治水穴あきダムということで計画されている。 そして小国川ダムは、穴あきダムだ。
今、全国でこの「穴あきダム」が大はやりのようだ、堤体の底に近いところに穴が開いていて、普通のときは、その穴から水を流し、洪水時にだけダムで止めるといった治水!? 手法だ。利水の根拠がなくなったから、なんとか治水でダムをつくりたい「ダム信者」たちは苦肉の策として、環境にやさしい「穴あきダム」などといっていろんなところのダム計画をつくっている。
官僚の反省をもとに、「ダムの歴史は終った」宣言をしたダム先進国アメリカは、今、460ものダムを撤去して、自然の川をとりもどしている。「穴あきダム」などといってまだダムに固執している国の姿を彼らはどう思うことだろう。
ヨーロッパもとっくにダムに寄らない「総合治水」の時代を迎えている。
叉、海は森の恵みがもたらされもし、逆に森の栄養素としては、海から、サケの「ほっちゃれ」の養分がかかせない。
官僚がこねくりまわす、数値のマジックにのることなく、洪水や水害の情報を古老に聞いて回る。それが「総合治水」の第一歩だ。
今回の集いから、「脱ダムネットワーク東北」を東北全県に呼びかけること、そして、現地では「最上川・最上小国川の真の治水を考える会」を正式にこの10月17日、立ち上げた。いましがた戻ってきたところ。ふう。
バウさん出発。明日から東北自然保護のつどい
酒田の講演会を終えて、バウさんは軽トラックで出発した。
体はボロボロ。昨日、湯田川のお湯で癒そうと湯田川温泉の旅館に泊めたけど、あまり体の調子はかわらなそうだ。この人一人で行動させてはいけない。僕らも負けてはいられない。夢をもって、行動しよう。バウさんの背中、いや軽トラックのテールランプを見ながらそんな投げかけを強く感じた。
明日からの東北自然保護の集いの準備におわれて気がついたら朝4時だ。9時に天野さんを迎えにいかねばならない。よっしゃ!
9.11は陰謀です。目を覚ましましょう。
すごいエネルギーを感じた一日だった。バウさんが、鶴岡にやってきた。今回は、軽トラックでの全国行脚。神戸元気村の代表者。そしてopenjapan のバウ 山田和尚を囲んで問題のVTRを見つつ、カフェコモンズで語り合おうという企画。
「9.11ボーイングを探せ」は、まさに信念をもって「陰謀」の事実をつきとめようとしたラジオディレクター Dave vonKleistによる明快なVTRだった。そしてうれしいことに昨日、日本語版が完成し、それをもってバウさんは全国を回っている。
「ペンタゴンには旅客機が突っ込んでない」
「WTCに突っ込んだのは、旅客機ではない。WTCには崩壊のための爆薬がしかけられていた。」
「説」ではなくて「事実」なのだ。あの巨大大国で、メディア大国で、真実が完ぺきにねじ曲げられている。
ほんとうの事が隠されていた! VTRを見ながら僕は心の中でそう叫んだ。
ほんとうの事が隠されていた! といえば、月山ダムの事も、今回の市町村合併の問題もボンボンと浮かんできた。
バウさんは言う「日本語版ができました。でもこれは日本語版を見て満足する日本人を増やしたいんじゃないんです。一人でも多くの人がこれを見て、米国人に、特に米国軍人に、英語版のビデオを見せて欲しいんです」
上映とバウさんの話の後、カフェでいろんな話に花がさいた。学校の先生で平和問題に取り組んでいる人が「平和の教育」の悩みをうちあけると、「ちょっと集まって」とバウさんが一つの輪をつくって話し始めた。
世界の「平和」に至るどこにあると思いますか? とバウさんは問いかけた。みんなはたと首をかしげた。
国際的な司法機関があれば解決できる。そして当面の目標といえば国境をなくすこと。だ。と。国際司法裁判所 はあるが、肝心のところが批准してない。戦争を景気対策だと思っている国が、戦争をしたいがために(日本は年間予算80兆円の内5兆円を軍事費に使っている。)批准しないのだ。と。
そして国境の事をいえば、EUが見本だ。と。いろんな難問があるだろうけれど、なんとかそれを解決する政治が立ち上がってEUが成立しているじゃないか。と。あれこそ政治の力なんじゃないかと。そして、今、経済界ではユーロの方が一国主義の米国のドルよりも信頼性がある。と。
昔、岐阜と新潟が戦争をしていた。この国の中でもお互い戦争していた。でも今はそれはほとんど笑い話になっている。国の問題だって、きっとそんな時がくる。バウさんは言う。
僕らは間違った「政治」に飼いならされているのかもしれない。
本当のことに目を開き、文化度をあげよう! そのために動くことです!
バウさんの一言だ。
本日は酒田の勤労者会館で午後6時半から講演がある。興味のある方はぜひ見て欲しい。
僕もこのVTRを世に広めるために動くことにした。見たい方はぜひご連絡を。
マスターを受け取りました。日本語版制作費のカンパでダビングしてお渡しします。
090-4388-3872
また、コモンズでいつでも上映(テレビですが)します。どうぞお気軽にお問い合わせを。
山形県公共事業再評価委員会傍聴
今日は、午前中議会だより編集委員会 終ってから車を走らせて山形県庁へ、。
最上小国川の公共事業再評価委員会があるからである。
県庁2階の講堂で、最上小国川漁協 沼沢氏らとともに傍聴する。
再評価委員会 最上小国川は、Cー2。蔵王の道路整備事業とともに説明を受け、委員の方々の意見交換を聞く。最上小国川は、県提案としては穴あきダムと河道拡幅。
穴あきダムはいつもはダムがないときのように川が流れるので生態系への影響はなし。というのだが、どうだろう。また、前半に今年の7月18日に撮影したという赤倉温泉の増水の模様が画面に映し出され、委員の方に効果的にインパクトを与えていた。うまい演出だなと思った。
上流にいくらダムをつくっても支川が流れ込む下流域の水害はふせぎきれない。そして赤倉温泉地域の治水の対策としては、今現在、堤防上に建物が建っているようなその状況を変えることこそ先決なのではないか。
やりとりを聞きながらも、いろん疑問がわいてくる。 今日、この委員会の前に、神室の自然を守る会から、一連の疑問についての申し入れ書が委員全員に手渡された。
8名の委員の内、本日は6名。山大工学部の先生、弁護士の先生、女性委員4名が穴あきダム案にほぼ賛成のようだった。2名の方は在る意味懐疑的だった。河川の自然生態や、ダム、放水路案による影響など、まだまだ、判断できる情報がそろっていないのではないか ということが県に問われた。川が今のままである価値。ダムのない価値。そうしたものをいま、推し量る手法もある。今の議論が、「技術の自治」といった河川思想の元で語り合えているかといったら、どうも違うのではないか。治水といえばダム。なぜかといえば予算を付けやすい。(国がほとんどめんどうを見てくれる仕組みがあるから) だから、いちいち河道拡幅するよりも面倒がなく、そして県の予算をともすればさほど使わなくてもすむ。
そうした中でダム案が推進されているだけだ。
さて、最上小国川では、今週末の16,17と東北自然保護の集いが催される
次のスケジュール。
第25回東北自然保護の集い 山形大会
ダム開発と公共事業を考える。
主催 東北自然保護団体連絡会
第25回「東北自然保護のつどい」は、義経伝説と松尾芭蕉の足跡があり、全国的にも有名な清流小国川が流れる山形県最上町で開催されます。この集いは1980年に山形県朝日村で開催してから、各県持ち回りで継続して4分の1世紀を経過しました。この間、多くの困難を経験しながら東北の色々な課題に取り組んできました。
今回は、この清流小国川にダムが建設されようとしている赤倉温泉を会場に「ダムと公共事業」をメインに据えて開催します。そして東北自然保護運動の新たな展望をもちあえる「集い」にしたいと思います。ぜひ多くの会員の参加をお願いします。
1日時 10月16日(土)13:00〜17日(日)11:30
2場所 山形県最上町赤倉温泉 お湯トピア (大会会場)
湯守りの宿「三之丞」(夕食・交流会・宿泊)
3日程 10月16日 12時〜 受付
13時〜13時15 開会
13時15〜14時45 基調講演
講師 天野礼子 「国内外のダム開発とその課題」
●森から川 川から海の連なりをとりもどすために
14時45〜15時 休憩
15時〜 16時 現地報告
16時〜 17時 分科会
第一分科会 「ダム開発と公共事業を考える」
第二分科会 「あらためて林野行政を考える」
第三分科会「これからの東北の自然保護運動を考える」
17時〜18時 休憩
18時〜21時 夕食・交流会
17日 7時30〜8時 朝食
8時30〜10時30 分科会
10時40〜11時30 全体会
11時30〜12時 大会アピール採択 閉会
12時30分〜 14時30分 現地研修会 (希望者のみ)
特別セッション「もっと知りたい小国川ダム計画」午後1時〜4時
現地視察と県の説明 質疑応答
集いのみ 1000円 集い+交流会 6000円 宿泊込み 15000円
参加申し込み 〒996−0033 山形県新庄市 下金沢町16-35 海藤方 神室山系の自然を守る会 海藤さん 0237-22-8713
おのずから然りなり 「無事」な川とは。 内山節 先生
遊佐で「川のめぐみと共に生きる」環鳥海山のフォーラムといった興味深げなシンポジウムがあり、哲学者の内山 節 先生がいらっしゃるということで足を運んだ。
国土交通省 県河川などが勢ぞろいした顔ぶれの中で、内山先生は、はっきりとこれまでのダムや堰にたよりきった川の河川改修のやり方を否定し、大熊先生と同じように新たな「技術の自治」の視点をもって、川との生き方を模索しなくてはいけないという、新たな指針をいただいた。とても貴重な、山形県にとっては歴史的な講演だったのではないか。 以下、聞きながらパソコンで打った速記メモです。意味不明のところもあるとは思いますが、ご勘弁。
私が生まれたのは東京都世田谷区です。世田谷でも清水が至る所で流れていた。5歳ぐらいから魚を釣っていた。
多摩川 99%は下水の処理水からなる川
多摩川の魚
魚釣り 村の生活 150坪の畑 ふろは薪ではいっている。
上野村 人間の営みと自然との調和点のような完成された景色
利根川 江戸時代 大変な自然破壊
利根川の洪水対策 流れそのものを変える
にもかかわらず、自然が豊かな川
大改修しながらも。
昔から河川改修はおこなわれてきた。
そのころは、川は川らしかった。
戦後の工事っでは川は川らしくなくなった。
川釣りしていると 日本の川は燦々たる状況。30年前から比べると、魚のつれ方は10分の1、今は9割方、放流魚。
最近はうぐいまで放流。まったくなさけない。
1600人の山 それくらい魚が減っている。
この原因ははっきりしていて、、、 最近は稚魚をめっきり見なくなった。
釣りをしていても、 今はてんからしかしないんで比較的大きいのしか釣らないが、えさ釣りだと小さいのもかかる
10センチぐらいとか、小さい魚はいない。
川が、再生産能力を失っている。
川に産卵場所がない。
なぜかといえば、川底が埋まっているから。 いっぺん川の水が流れ込んで、石の下からあがっていく。そうした川そこが必要。でも、今はべたっと、川底が埋まってしまっている。
この原因は、川にダム、堰堤がありすぎるということ。
● 林道の工事によって川がうまっていく。
田んぼをもっていない。
●川とはなんだろうか。ということを考え直さなくてはいけない。
釣り 農業用水の集水 水量の多い川 物資の運搬手段
川舟があって、物資を運んでいる。
輸送にも使うし、川岸の植物も採取する。鴨猟もする。
大根を洗う、農業用水を使う。多様な利用があった。
その多様な利用から、現在は限られた利用になっている。
農業用水 集水堰 ダムなどに変わった。
水田 昔の水田 稲作だけではない。 水田漁業。 どじょう たにしをとる。水田 漁場として機能していた。
どじょうがはいっていた。
田んぼの中の水辺の世界 はかなりの漁獲高をもっていた。
食文化の中では稲にやってくる いなご。 タガメ、ゲンゴロウを食料として田んぼの世界からとっていた。
今の水田から、その漁業的な機能が消えてしまった。
牛馬にはあぜの草の方がよかった。
新潟平野では、あぜ道には桐の木を植える。 あぜ道林業
かつての農村の世界 主たる目的は、米、水産業 桐をうえて林業 上手に利用体系をつくってきた。
川 川は多目的に利用する。
千曲川 信濃川の源流域 江戸時代 長野県 上田 上田市で、サケを5万匹とっていた。 松本市でも5万匹。 上田、松本で10万匹。
今は一匹もあがってこない。 JRのダムによってあがることができない。
川が川らしかったときの生産力はべらぼうなものだったのではないか。
今では0になった。
工業生産力 自然が本来もっていた生産力とはどれくらいのものなのか。、
当時の日本。千葉のところで大熊さん 当時の東京湾の生産力で餓死することがなかった。あさりの話。国やぶれて山河ありということが、都市の近郊でもあったんだな。
今はどうか、当時はできたことが、今はできない。今は困窮した人を救える豊かさはないのではないか。
昔は、山にはいれば、1年ぐらい生きれる人がいた。
「川のめぐみと共に生きる」
川にはいればヤマメが無尽蔵ではないし、守りにはいっても
日本社会は発展をしたけれど、自然の豊かさを激しくそこなってしまった。
川とは何か。源流からはじまって、海まで流れていく。
源流の沢といわなの物語 下流には、農村と川の物語
流れとともに、川の物語を紡いでいく。 その中で多様な川
明治以降 川の物語が消えていく 歴史だった。
川の問題になると 水の問題だけになってしまう。
これだけの過密人口を支えるにはやらざるをえない
川の流れとともにつくられてきた人の営みの物語の世界をどこかに置いてきてしまった。
大変な禍根を残しているという気がします。
川は流域の人たちのものだった。 利根川という川自体には利根川の流域の人たちの技術がつかわれてきた。 農業技術だとか、農民の知恵が使われて、その積み上げの上に江戸幕府が大金をつんでおこなっている。
工事をになった技術は流域の人たちの技術。
和歌山県の農家の人たちには 専門の土木技術をもった村があった。
軸になっていたのは、地域の人たちの発想。 それこそが河川を改修する原動力だった。
明治になってから、国の指導下により河川改修されていった。
川と地域の人との距離が遠くなっていく歴史。
これが、日本の川を変えてしまった基礎になってしまった。
現象としては、ここにダム
川は、地域の人のものだ。流域の人のものだ。ということ。
自分たちの発想で、逆に公の力を使うという発想でないと、本当に川を知らない人の管理になってしまう。
川というのは一本一本違う。 雪解けがはいる川 3日間で2000mを越える川もある。一本一本性格の違う川を 川は絶対によくならない。
大熊孝先生の書物に、 小学校の校歌の飲用 川はときどきあふれてきて浸水させるが、洪水をおこして地域で暮らすわたしたちを鍛えてくれる。
もともとの地域の人たちは、洪水への気持ちというものをもっていたのでしょうl。
そういう意味合いを昔の人はもっていたのでしょう。
● 最近、川 というと 自然、そして、保護という言葉をよく使う。
しか
三川町議会合併反対を議決。
10月6日、委員会で、合併案件の審議をおこなう。
「いいがかり」とした根拠として、市としては、合併して16年後、どうみているのか、更に尋ねる。「ある財政学の先生は、『合併の財政措置が終れば地方財政は地獄』と指摘し、合併して10年の間によほどのリストラを進めないと破綻する。」と指摘しているがが、実際問題としてそうした財政危機についての捕らえ方はあるか」と聞く。すると総務部長「そんなどこの先生かしらないが、そうした論をこうした議会で発言されるのは 無責任ではないか」と発言した。「そうした指摘による不安を解消したいから質問をしている。それに根拠を示しながら答えられないあなた方こそ無責任だ」 それで、他の市町村では20年先のシミュレーションが出せているのになんでここでは出せないんだ? と再び尋ねると、「10年先までの建設計画を立てているからです」と答える。全然おかしい。あきれて、質問を終える。
以下、特に行政側の説明責任と、住民意思の確認の必要性を求めて、合併案に反対の立場で討論をする。大体の要旨を示しておきたい。
● 基本的には、この市町村合併は、はじめから、地域住民の要望からくるものではなく国の政治のこれまでのモラルハザードといえる公共投資から発生した700兆を越える借金をなんとかしたいというところからくる強制合併であると感じる。
しかしながら今後、少子高齢化で人口減少、右肩下がりの時代をむかえる中、在る程度、町村が合併をし、自治権をもって、自律的に財政力と責任をもって自治体を運営をすることについては一定の理解をしつつ、合併問題を議論してきた。
この市町村合併のプロセスの中で、数多くの行政情報が住民に共有され、現状のままではなかなかできないでいた、生活者の起点の自治運営のための意識改革や変革ができ、この地域では月山を起点に展開する自然資源の生態生命圏をいかしながら、新市をかたちづくることができるならば、合併も選択肢のひとつではないかと思いつつ、議論し、叉、協議手法などについても行政評価システムの考え方の導入や、住民参加の手法など、提案をつづけてきたものである。
改革をともなった合併としては、中長期的な財政計画など、展望を具体的に把握しながら、合併という手段を通じて、この地域のなんの問題を解決し、何を将来生み出すのか、住民全体で共有すべき目標が明確であることが大事だ。叉、行政スタイルを統治型から市民と行政が生活の場で協働する参加型の行政スタイルへ変える行政側の意識改革姿勢が必要で在ると考える。
しかし、残念ながら、協議会では、致命的な欠陥として、合併後の財政計画が、10年までしか示されず、現在多くの市町村で20年後までの財政計画が示されながら議論されている合併後の財政危機という状況については不安要素を解決するに至らなかった。
また、当市としても最も重要な改革として、新市ビジョンでうたわれている「協働」社会を実現するため、住民参加を充実させることをや行政情報の共有がおこなわれてきたか、住民自治を尊重しつつ、ありとあらゆる工夫をこらして、市民参画をはかり、徹底した議論の上で、新しい市の構想が、きずきあげられてきたか。みんながみんな納得できなくても、可能な限り議論をつくす姿勢やしくみは果たしてあったのだろうか。と疑問をもつ。
今、鶴岡市内の住民の多くは、漠然とした不安を感じている。こうした状況で、今後いずれにしても厳しくなると予想される時代の「協働型」の施策に、共に取り組むことができるのか、大いに不安になるものである。
これはこれまでの当局の説明の手法のまずさ、叉、究極の住民参加の手法である住民投票や、意識づけをしっかりとおこなった上でのアンケートなどをおこなわないできた事。まず、合併ありきで、一方的な情報しか与えなかったこと。叉、肝心の公共サービスについて、変化をともなうものの大半が先送りにされてきた事。などが原因である。
ハガキによる意識調査がおこなわれたが、項目も設けず、目的の意識づけもおこなわなかったため、回収率も悪く、アリバイ型の住民参加の手法であったと感じる。
また、新市構想の中での地域ビジョンは、合併する前の市町村の総合計画を最大限「尊重」するなどとたかたちで終始しており、地域全体として一体感のある地域像がなかなか見えてこないことと、その地域像づくりに、十分な住民の参加がはかられていないため、結局は役所起点でつくりあげられたものになっている。また、それを基にしたといわれる新市での主要事業であるが、これも地域の一体感のあるものがないため、それぞれの旧市町村ばらばらの発想で、地域全体の戦略が見えない形になっている。
また、新市の主要事業としては「多くは新市の市長や議会で」といっている中、鶴岡市のサイエンスパーク構想だけが特に先行されているようだが、バイオ企業の集積という内容自体がなかなか住民に理解されにくい状況で、これを十分な見通しも説明責任もなく進んでいることもあり、合併後の姿を更に分かりにくくしているのではないか。この事業自体には、厳しい財政運営上、公的投資について疑問があり、より正確な見極めを求める。
以上、
要するに、現段階での市町村合併は、肝心の事が住民に示されず、進められており、そのプロセスにおいて、住民の参加は不十分であり、また明確な意思確認することなく、進められた合併論議である
このままでは、今日的な自治体改革をともなった、志高い合併のあり方と判断することはできないし、叉、右肩下がりの時代の厳しい財政事情の中でも本質的に自律した、持続可能な、活き活きとした住民の姿や住民の側を向いて創意工夫をおこなう自治体像は描くことができない。
住民の参画をともなった本質的な改革を強く求め、もしも合併をするとしたら、
本来的な住民起点の合併を求めて、反対をする。
以上。である。
8日は、これを参考に、みどり21の討論として石川一郎議員が反対の立場で討論。
10月8日。7市町村の合併の議決がおこなわれた。
議会で
総括質問 「16年後にがくりと減る財政予測はいいがかり!?
うーむ。なぜ、鶴岡市は、財政計画を示さないのだ?
本日、合併についての総括質問をおこなう。
ニセコ町の周辺では20年後までの財政見通しをたてている。他、新潟などもろもろのところでも財政計画は20年後まで出して合併するとき、しないときを比較している。市長は、今日、16年後にがくりと減る財政予測は「いいがかり」などと称しながら、長期財政計画なんてムダといわんばかりに、「16年後には、標準値に戻るんです」と言った。
合併特例債は、結局は今想定しているものが使えるかわからない。との事だ。
サイエンスパークのことについては、「別におおげさなことではない」あいかわらずしっかりとした見通しは示さなかった。
改革、自律 キーワードは並んでいるのだが、「住民起点」「協働」という視点は欠けていると感じた。
他議員の質問に、「サイレントマジョリティ」は合併にご理解いただいている。とも答えた。
明日は委員会。よっしゃ。