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月別ア―カイブ: 10月 2004

さあ、合併論議の総括質疑!


10月4日、市町村合併の調印式がおこなわれた。
本日より臨時議会 総括質問で議場に立つ。
3日の日に、ニセコ町で田中知事の講演会があったそうだ。ニセコ町のまちづくりと今後の市町村合併への対応策は、今注目すべきところがある。
http://www.town.niseko.hokkaido.jp/main/index.cfm

今後の合併是非判断のための参考資料としてご活用ください。として、財政危機突破計画を策定し、合併する場合と合併しない場合を比較するということを真摯に行い、住民に示している。

鶴岡周辺はどうか? うーむ。

10.1


2004.10.1

●鶴岡市を含む七市町村で、今、10月8日、最終の議決がおこなわれる。三川町議会が離脱決議をおこない、ちょっとわさわさとし始めている。

●真の民主主義がつらぬかれていたのか?

僕は、今、なんだか釈然としない思いで、この合併論議に臨んでいる。住民はどれだけこの議論に参加したのか、説明はつくされたのか、議論はつくされたのか、合併後の姿は見えているのか、住民は合併後の希望の光に満ちているのか。某コミュニティ紙で、三川の離脱決議を「失礼だ」などと公言している方もいるようだが、その姿勢に果たして真の民主主義はあるか、否である。
 僕は、100年の計といいながら、都合の悪いことにフタをしたまま、ほとんど市民と心からの対話をせずに粛々と、今の国と役所の都合で進んでいた合併の議論が、これで少し本質的に議論らしくなるかもしれないといった事を思いながら見守っている。枠組みを組み直すなどの行政側からみたら「余計な」「予想外の」プロセスを踏みながら、議論がすこしでも深いものになり、当事者意識をもつ人が一人でも多くなることこそ、明るい未来につながるのではないかと思うからだ。

 結局、協議会は25回開かれたけれども、本質的な地域の問題解決のための議論になっていただろうか。傍聴席にいても、心躍るような本質をついた議論があったろうか、行政効率論のみで、団体自治の立場で役所が取り決めした事項をほとんど鵜呑みしていただけではないか。いたって表面的な指摘のみでしか話し合われてこなかったのではないか。当初より指摘してきたが、協議会のメンバーは、自民党か保守基盤の議員と「有識者」といっても市長派、町長派の人々であり、各議会で、当局と口を合わせている人々による在る意味で多様性を排除した協議の場だったといえる。


合併論議を通じて、サービスの変化などを感じ取る中で、市政に対する姿勢や興味が高まるかと思えば「大方の影響のある市民サービス」は調整が先送りにされている。

 これまで、僕は、合併問題検討委員会の中で、協議会の進め方にはパブリックコメント制度をとりいれたり、市民アンケートや満足度調査、行政評価システムの導入、その考え方の導入、住民投票などについて提案をおこなってきた。しかし「やらない」の一言で片づけられた。「そんな新しいことを取り入れる余裕はないし、そんなことはフツーやっていない」ような語り口で閉ざされ続けてきた。

合併して特例期間がきれる16年後の財政シミュレーションの提示を求めても、有利な10年間しか示さず、市長自ら「だしても意味がない」の一点張りである。

そして、議会や、住民の説明会では、当局の姿勢に対し異論を唱える者がいれば、「見解の相違」の一言で片づけられる。あまりに議論にならないから、反論者は困惑したまま、「何を言ってもムダなのか」と市政から遠ざかる。

「合併しなければ破綻する」といいながら、その根拠となる肝心のデータも示さず、将来ビジョンや建設計画は、「右肩あがり」時代につくってそこから足を洗えていないままの時代の各自治体の総合計画の寄せ集めで、「特例債を使えばほぼ従来通りの行政が営める」といった市政がありありと見える。でも、合併しない時よりも厳しくなると容易に予測される、十六年後の責任をどう考えているのだろうか。

もっと言いたいことがある。

地下水協議や環境審議会に、長年その調査にあたっていた元山大教授である研究者がかたくなに排除されたままである。昨年は地下水汚染が県より指摘されながらもその状況だ。今、SOTOKOTO紙などで水門学者として重要なコメントを発している先生を、異質なものとして排除したまま、市政は営まれ続けている。

議会はどうか。時間制限一杯までの答弁書の棒読みを許していまいか。

こうした本当の民主主義を阻んでいるひとつひとつを、解決してこそ、本当の鶴岡の未来をつくることになると私は考える。

情報開示によって、異質な意見をテーブルの上に上げ、摩擦を生じながら議論をする。結果、会議の緊張度は増し結局そこで生み出される政策は精度を増すことになる。今、その姿勢はどれだけこの市政にどれだけあるか。

 水道事業を例にとろう。右肩あがりの時代に「まずダムありき」でつくられた「広域水道」というシステムは右肩下がりの時代には破綻するしかない。「計画経済」の成長主義が続いてきた国も地方自治体も、右肩下がり時代に対応するシステムをつくらずにきた。だから原則論でそのままを貫こうとする。しかし、現実が矛盾を突きつける。使用水量は九年間減少を続けている。自分のところの水を捨てて、膨大な水量のダム水を県から買わなくてはいけない。人口が減り、節水が進めばその分値上げをしなくてはいけない。量より質の時代にダム水の水質はついていけない。結局、政策の失敗のツケが市民負担となる。これは「昔決めたことだから従わなければならない」等といっている場合ではない。このダム事業費を含む水道料金をおさめているのは今の市民、そして未来の市民だからである。

「昔決めたことだから、、」といっていれば次々と「右肩下がり」に全く対応しない「裸の王様」自治体として市民から見放されるだけだ。

 ではどうするか。まずは末端の自治体政府を変革しなければいけない。市民はまず、「おかしい」と思ったら「おかしい」と言い始める事ではないか。「行動すること」ではないか。国から県、県から市町村という役所のシステムを維持するためにつくりあげてきた自治体の政府を市民のために作り替えなくてはいけない。自治体は時には国や県に補助金の枠をはめられながらつくりあげられてきたマニュアルから勇気をもってはみ出さなくてはいけない。地域で知恵と力をふりしぼって、0から1をつくりあげないといけない。それが地方分権であり、自治であり、民主主義ということなのではないだろうか。ダムや公共事業の問題の解決策の糸口は新潟大学 大熊孝教授がいう「技術の自治」ではないか。未来世代の事を考え県や国に対して、一地方自治体が時には責任を問うたり、時には、一市民であっても立ち向かうことも必要なのではないか。

こうした市民の行動がなければ、新しい「市民社会を築くシステム」はできないし、今、長野県田中知事やニセコ町逢坂町長をはじめ、「改革型」といわれる首長自らがそうした「本来の民主政治」をとりもどすための行動をおこない、少なからず日本の閉塞感を切り拓いている。

2000年12月の鶴岡市民の大事な水をめぐる住民