持続可能な鶴岡ブログ

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月別ア―カイブ: 4月 2005

学校の耐震診断


新潟中越地震:
学校施設の2割、避難所に使えず 文科省

 昨年10月の新潟県中越地震で、避難所として指定されていた学校のうち、約2割が地震被害のため使用できなかったことが、文部科学省の調べで分かった。耐震診断や耐震補強を実施している校舎、体育館は約1割にとどまり、同省は全国の都道府県教委などに耐震性向上に努めるよう改めて通知した。
 調査は日本建築学会に依頼し、中越地方を中心とする24市町村の公立小中学校250校を対象とした。地震被害のため校舎や体育館の全部か一部を避難所として使用できなかった学校数は58校(23%)で、建物自体が被害を受けたのが21校、天井材、照明器具の落下などで使用できなかったのが31校だった。
 現行の耐震基準ができた81年以前の建設は、校舎で143校(57%)、体育館で116校(46%)あった。うち、校舎で耐震診断を実施していたのは34校、耐震補強は11校にとどまった。体育館では、耐震診断を実施していたのが27校、耐震補強が9校だった。毎日新聞30日朝刊より

→実際、僕らが当初から密着した小千谷高校の体育館も、余震のたびに天井の素材が落下することで、体育館の中に運動会テントをたてていたことがあります。先日調べましたが鶴岡市内の学校の耐震補強もおろか、耐震診断も進んでいないとの事でした。

今年から文部科学省での補助メニューが代わり、これまでは耐震のための建て直しに補助ということだったものが、中越地震の事もふまえ、補強も視野に入れるとの事。
いつ起きるともわからない災害への備えとして、こうしたことこそ優先順位を高くしないといけないと思います。


今日はみどりの日。


今日はみどりの日。HPで呼びかけた、今年のアースデイにちなんだ、ビーチクリーンアップを湯野浜海岸で行う。1時間。浜辺には、相変わらず多くのプラスチックゴミが見受けられた。山から川を流れ、途中でゴミを吸収して海にでる。海には韓国や中国からのゴミがやってくる。世界中ぐるぐる分解されなくなるまでまわり、粉々になっても海にのこる。結局は太陽光線が海底に届くことを妨げたりと、海洋生態系に悪循環を及ぼしかねないと大学教授らが指摘しているようです。

 みどりの日にちなんで、今日は植林活動などが全国でおこなわれるようです。でも、私たちが使っている紙について、ちょっと考えてみたいと思います。
 今、日本の紙のためにオーストラリア、タスマニアの原生の巨木が、1日にサッカーフィールド44個分失われているということ。プランテーションのために焼き尽くされ、芽を食べようとするオポッサムなどの小動物は、毒入りにんじんをばらまいて殺される。ワンガリマータイさんの植林運動「グリーンベルト」運動は、ノーベル平和賞など、大きな評価を得ることができている。このタスマニア原生林保護運動は、今、この運動を展開しているオーストラリア緑の党党首、ボブブラウンをはじめ、ウイルダネスソサイエティなどに対して、伐採と輸出を進めるガンズ社が、営業妨害として630万豪州ドルという訴訟をおこしている。このことは日本人である私たちの一歩が大きく明暗をわける。タスマニアの原生林伐採をやめさせよう!

関連ページ グリーンピースジャパン 
http://www.greenpeace.or.jp/cyberaction/tasmania/

106人。


106名の犠牲者。尼崎JR列車事故は最悪の事態。当初に置き石かもと語るJRの発言は事故調査委員会にくつがえされた。報道ステーションを見ていて、運転手の同僚などのインタビューから、JR内部の運転手への処遇などについて報道していた。ミスをすると上司に囲まれて、反省文を書き続けなくてはいけないことだとか、今回の事故が起こった路線は、1秒毎に管理されていたこととか。過密ダイヤで乗り換えを考えた末の事とはいうものの、運転手に神業を常に要求しているように思えた。「JRの商業主義の犠牲者だと思う」と運転手の知人は漏らしたということだが、巨大組織の中でおこなわれている「非常識」についてきちんと検証されるべきだ。


心のバランス。


列車事故。 月曜日の午前中に発生し、当初10数名の犠牲者という報道が、この3日間で死者100名を超えるおそれも、という報道に変わっている。犠牲者の方のご冥福をお祈りします。事故というのは本当に一瞬にして起きる。オーバーランした後の心理的な圧力。運転手の身になにかが起きたのかもしれない。列車や運転手や飛行機のパイロットに間違いは許されない。「絶対に」許されない。と、いったとき、「失敗はあるさ、人間だもの」という甘さを完全に排除しなくてはいけない。ある意味で人である事を超えるといったらいいか、職業的に「絶対失敗しない」を日々更新していかないといけない。
今回の事件のニュースを繰り返し見せられるたび、ずっと昔に羽田空港であった「逆噴射」事件を思い出したし、また、こんな事も思い出した。大学時代、多摩川のほとりにすんでいた。河原を散歩していたとき、「ガッタン、ごっとん、●●駅 通過。とびらひらきまーす」と、大きな声でいいながら自転車で走っている50代の男性がいた。目はうつろで、どうも周囲の人の存在に気がついていないかのように自転車でふらりふらりと走っていた。「あの人おかしい」と周りの人はさけて通っていた。電車マニアなのか、それとも元車掌か運転手か、正確なことはわからないけれど、口調は、駅の構内で聞くプロのそれそのものだった。僕は心のバランスをくずされた方だと感じ、「大変な、特殊な職業だよな」と思ったものだ。
 間違うことを許されない、プレッシャーがある仕事であればあるほど、精神的なバランスをたもてるように、カウンセリングのしくみがあったり、頭や体の休ませ方に工夫があっていいと思うのだけれど、JRの場合はどうだったのだろう。


今度、酒田に 「ひきこもり」や「ニート」の人に対してサポートしているNpoの代表がやってくる。この問題こそ、僕にとっておおきな課題だ。



 

温海温泉の朝市


今朝、中越からもどった。明け方に温海までようやくたどりついて、正面湯へ。あがって近くの朝市にいってみる。7年前に立て替え、移設した温泉神社のまわりに十数件あるお店には、民芸品から日本一の塩辛、温泉であたためた牛乳。まさに一店につきそれぞれ逸品があって、お母さんたちが活発によびかける。なかなかの活気。「毎朝大変じゃないの」と聞いたら、「毎朝、朝から4時間ぐらい。そんなにもうかるわけじゃないけれど、楽しいし、健康にもいいのよ。老人クラブいくよりも全然こっちのほうがいいじゃない」といわれて納得。いい笑顔のおかあさんたちにあえて寝ぼけまなこの僕も随分しゃっきりした。
 春はあけぼの かもしれない。朝のあつみ温泉は 元気だ。


中越震災から半年


中越震災から半年。僕は昨日から中越元気村本部にいる。これから塩谷地区のみなさんの会合で諸々現状を聞く予定だ。民間の災害ボランティアとして中越元気村はこの半年間活動してきた。この1月から3ヶ月間もの間は、ほとんど、仮設や山間地のスノーバスターズが大活躍した。結局250件もの雪堀のニーズに応えてきたことになる。

 中越は、今、ようやく雪も解け、復興にむけた作業が本格化する。元気村には、昨日も今日も、住民の方から家の片づけや物資移動などのニーズ電話がある。3月22日に中越初の孤独死が発生した仮設住宅支援、中山間地支援など、課題は山積みだ。
 単に災害救援のみだけではなく、動いたら変わる。つながる。そして新しいものを生み出す。そうしたボランティアの文化をもう一歩進めたい。そんな思いでつづけてきた活動だが、専従スタッフ8名、この半年間いろいろあったが、よく活動してくれた。はじめは素人かもしれないけれど、毎日経験を積んだ彼らは確実に何かをつかんだはずだ。今朝の朝日新聞には、全国版に、今仮設住宅支援をおこない4月に専従スタッフになったばかりの小川君がとりあげられている。彼は地元の被災者でもある。今、仮設住宅を一軒一軒訪問して、いろんなニーズに応えようと懸命だ。
 先日、市長さんや議員団の方々に活動を報告する機会をえたが、行政サイドは「自立、自立」といった対応を感じる。それは確かに大事なことなのだけれど、被災者にとって、やはり、もっともっとキャパシティを深くもって、自立することを支援する期間としくみが今、必要なのではないかと思うのだ。そこにボランティアやNPOの活動する場があるのではないかと思うのだ。
 ホームレス支援のために古いホテルを買い取って居場所を提供する。そんなサービスをおこなうnpoが米国にはある。そしてそれを周辺の企業が支えるしくみがある。また、行政にとってその団体が都合がいい悪いにかかわらず、寄付金について税金控除のしくみがある。
 震災から半年。阪神淡路大震災から10年、僕らは何を次に伝えることができるだろう。災害時のボランティアのあり方、NPOやボランティアの文化、行政との協働のあり方をもう一度問い直したい。
 

市町村合併は情報公開の機会



今日のサンデープランニング、合併問題がとりあげられていたが、鶴岡の合併を考えた。
コメンテーターは言う。従来型の市政運営ではもたない。
「行政運営の体質を変えるべきことを、そうではなくて特例債に飛びついて大事なことを忘れている。」
僕は合併の議論の際、ずっと指摘つづけてきたことがこの点だ。
合併後の主要事業などを見ると、いかに特例債だのみの市政運営になろうとしていうrかがわかるが、「それぞれの町の総合計画や議論を重視しまして」などといっているが、まさに右肩あがりの時代の市政運営のまま、合併後もできると考えているのが現市政なのではないか。

番組では、、住民投票の結果を無視して駆け込み合併を申請した相模湖町長と、特例債は使わない。情報公開。対立点は時間をかけて話し合う。といった主張の本宮町の佐藤町長がとりあげられていた。
 
本宮町の佐藤町長はいう。
特例債があると、強引にといったこともありうる。特例債のあめ玉を考えた合併をしても住民のしあわせにはつながらない。「合併というのは住民にたいする情報公開のひとつである。その議論をしっかりとやって、住民に理解をしていただく。それが合併である。」
お互いにあるものを全部さらけだして、住民が納得いくように議論をつづけていく。

鶴岡をはじめとする合併協議だが、議会で質問しても肝心の情報がしめされないまま、「合併ありき」で進んでしまった協議だったと強く感じている。また、羽黒町の専決処分事件もあったけれど、とにかく「期日に待ち合わせよう」だけ考えて、住民無視のかたちで強引におこなわれてきた合併だ。それに三川町の問題もある。
 鶴岡市はその合併するリーダーとして、徹底した情報公開と住民参加を果たさねばならなかったわけだけれど、果たして、この佐藤町長のような姿勢があっただろうか。

「あからさまにさらけだして、みんなに考えてもらう。そして判断してもらう。納得してもらう。」
これが情報公開、説明責任の基本姿勢だ。

今の鶴岡ははたして何%これを果たしているのか。
 

Today is Earthday


アースデイ。今日はサクラ満開の鶴岡公園の角にたち、午後5時から30分ぐらい街頭演説。アースデイのことやバイオ投資の件について訴える。
その後、午後7時から、「水を考える会」をコモンズでおこなう。参加者7名。
4年半前に柴崎先生が来鶴、講演していただいたものをみんなで観る。
鶴岡の地下水源について53年から55年まで3年にわたって調査した結果報告。
当時、世界初の技術というべき、多層準三次元帯水層モデルを使ってシミュレーションした鶴岡は、地下水研究の先進地だったということをまず柴崎先生は伝え、5層にわたる地下帯水層の湧出量はとても良好で、とてもいい井戸が掘られていること、上流域から下流域までの連携。また、地下水環境問題の解決策を展開する上の市長、行政、市民、研究者の役割についてなど、様々な示唆にとんだ講演だったことに改めて気がつき、僕らは本当に貴重なひとときをすごさせていただいていたのだなということを思った。
その後、参加者みんなで11時すぎまで語り合ったが、3年間も世界的な地下水研究者の方に調査していただいておきながら、今、そのレポートが無視されるようなかたちでダムの水に変わっているということ。これはなんとかしなきゃいけないということだ。

日本の水道水源開発は、ある時から金のかかるほう、かかるほうにシフトしてきたのではないか。海外のODAなどでは、可能な限り安くあがる水源開発が重要視され、そのためにダムではなく、塩素もいれることがない良質な地下水の開発をしているのだと聞く。日本の水源開発は完全に逆行しているのではないか。 そして、ヨーロッパなどでは常識になっているような飲用水なのか生活用水なのかといった使用目的での優先順位、がもうけられていない。

 Water for Life いのちのための水。 鶴岡から、やはり私たちと月山の森、扇状地に広がる庄内平野の田圃とをむすぶ、ここならではの資源として地下水の重要性を訴えたい。

柴崎先生の講演のビデオ。御覧になりたい人は出張上映会もします。どうぞ、ご一報ください。

なお、アースデイのアクションは4月29日、午前9時から、湯野浜海水浴場のビーチクリーンアップ(調査型)をおこないます。ホテル海山前の駐車場に集合。

ACTION!

今日はアースデイ


今日は4月22日。アースデイ。地球規模で考えて、ローカルに行動する日。
全国でこの界隈でいろいろイベントがおこなわれるけれど、Waterwatchnetworkでも行動します。

本日は、午後7時から、「鶴岡の水を考える」と題して、鶴岡の地下水源の話を、故柴崎達雄先生のVTR などを観つつ、また、水文学の桑原先生を囲んでお話をする会です。
参加自由ですので、℡090-4388-3872までご一報の後、おいでくださいませ。
よろしくお願いします。

なお、毎年恒例のビーチクリーンアップを今年は4月29日のみどりの日に、湯野浜海水浴場にて、午前9時からおこないます。ふるってご参加のほどを。

中越から明日で半年。今朝現地からもどり、原稿書きに追われております。

中越の今。


19日の晩に車をとばし、中越へ。副代表のみんなと一緒に小千谷市長と会って今後の相談をする。その後、建て起こしプロジェクトの長谷川、熊野さんらと依頼主のところへ。建ておこしも建て直すよりは安いといっても数百万円の金がかかる。今、被災地は住宅再建の問題で頭をかかえている。義援金がどれだけもらえるのか。行政サイドの住宅再建支援でどれだけカバーできるのか。いずれにしても50代、60代のご夫婦が1千万円近くの住宅再建にかかるには相当のエネルギーが必要だ。
 震災からもうじき半年。仮設住宅支援、中山間地の復興、心のケア。ボランティアに何ができるのか。被災地と外をどのようにしてつなぎ続けるのか。これからが正念場だ。

 今朝、新聞で岡本太郎氏の養女で、岡本太郎記念館館長の岡本敏子さんの訃報を知る。敏子さんにはじめてお会いしたのは鎌田東二先生が主宰されている東京自由大学のフォーラム。打ち上げの会で鎌田先生にご紹介いただき、月山の麓の地下水の話をしたら、「水は大事よ。がんばんなさいよ」と大きな励ましの言葉を頂戴したのを覚えている。その後、数回お会いしたが、最後は羽黒の「ギャラリーまつ」での講演だった。「ここにきたとき、太郎さんはじっと動かないの、そしてパチパチとシャッターをきるの。もうね、夢中でねえ」と今にもそこに岡本太郎氏がいるように生き生きと話す姿。 そして、「ここはいいところよねえ、みなさん誇りをもたなきゃいけませんよ」と私たちに諭したり。そして、「メキシコにいって「明日への神話」という大壁画を発見した事をお話になり、どこか展示できるところはないかしらねえ、と、お話になったり。とにかく、今、この瞬間をまっすぐに生きている人という感じの方だった。講演が終わって僕もずうずうしくもお茶を一緒する機会をあずかったが、そうそう、なんの話から発展したのだったか、そのとき敏子さんに、「オオサンショウウオをみたいわね」といわれて今度メールで送りますといってオオサンショウウオがみれる動物園について送ったんだった。あの後、メールはもどってこなかったけれど、敏子さんは御覧になったのだろうか。ああ、また惜しい方を失った。

岡本太郎氏は、湯殿山のご神体について、非常に感動したという手記をのこしている。今年湯殿山開山1400年。

今を生きる。岡本太郎氏の、そして、敏子さんの遺志をみんなで継がねば。