持続可能な鶴岡ブログ

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月別ア―カイブ: 1月 2006

マタギ文化 


つるおかユースホステルの森の人講座。東北芸工大の田口先生によるマタギ文化についてのレクチャーがあり参加。「狩猟」と「自然保護」について貴重なご意見をいただいた。現在の狩猟法が現場に即していないということ。マタギ文化について、私たちは正しく認識しているだろうかという問いかけ。中山間地集落の生き残り策のためのマタギ文化の保護政策。未来ビジョンの黄金律はない。しかし、これこそ現場の真実をとらえ、方策を考え続けることが大事。6月にはマタギサミット、芸工大で開催されるとのこと。楽しみだ。

内川などの自然、クライミングボード


朝、八文字屋 つじ立ちからスタート。つもった雪のところに登っていたらズボリと埋まり、道行く高校生たちに笑われました。明日からのセンター試験、自分を信じて頑張ってほしいものです。午前中諸々資料整理など。河川アダプトの意見公開会。内川、苗津川にサケの産卵場所があるなど、いろいろと貴重な取り組みについて伺うことができた。
 山形県内の河川アダプト事業への取り組みは195ほどと聞いた。なかなか盛り上がっている。もっと河川に親しんでもらう事が大事だと改めて感じた。プラットホームをつくる県の市民活動への理解が試される事業だろう。

午後、藤島の新しい産直施設楽々。市役所 そして、気分を変えて、藤島体育館のクライミングボードの講習を受けてみた。今日、申し込んだのは僕だけ。屋内練習場の壁 にあるクライミングボード。シューズとハーネスは貸してくれる。女性のインストラクターの方が1から教えてくれた。
 ハーネスをつけて、クライミングボードの突起をつかんだり蹴ったりしてよじ登る。
しばらくすると、鶴岡から熱心に通い続け、今はボルダリングにはまっているという男性や、酒田から通っていて、目の前でするするとオーバーハングのところまでいってしまった女性。また、村山方面から通っている女性が現れ、熱心に練習をしはじめた。
 はじめての僕はインストラクターの方にビレイ(確保)していただいて登ってみる。結構大変。2メートルちょっとのところで次の手がでない。力もはいらず、宙づりになる。藤島地区のこの体育施設だが、2名の専属のインストラクターが常時いる。トレーニングセンターは、鶴岡のそれとほぼ同人数の利用者がいる。10万人の旧鶴岡と1万人の藤島で、利用者数が同じとは。と愕然とした。インストラクターの方々は結構健康と体力づくりのところを結構熱心に学んでいらっしゃって、専門家といえる。藤島文化スポーツ財団ということで専属スタッフを雇用するかたちになっているが、直営とかになってしまった時、専門員の方々を確保することはむずかしくなるのだろう。

クライミング用のハーネスは、屋根の雪おろしの時の命綱に最適というか、命綱といったら、これしかないだろうと、その場にいた皆さんと話題になった。



雪害の防止


19日午前中から夕方にかけて朝日村地域の雪の状況を見に行く。大網、注連寺。寺のとなりにある母屋はほとんど1階部分が雪で埋まっている。「今年はいつもより全然早い。11月にはじめに降った時から根雪になっている。こんなことは最近ないよ」との事。気になる雪おろしだが、聞けば寺も母屋も屋根に上がることはないのだそうだ。
先週末のような一時気温があがるときなどにストーブを2階などで焚いて自然落下させるのだそう。ただし注意しなければならないのは窓が割れたりしないように板をはめたりすることを忘れないこと。だ。昨年、中越、塩谷地区での「雪掘り」で行ったときの事を思い出した。1階が完全埋没。2階から出入りするのは当たり前といった集落の文化が中越では当たり前のようにあった。朝日村地区などは同様の文化がある。

 「周りが雪で完全に囲まれると倒壊のおそれもあるのでショベルカーで掘るしかない」と聞いた。今年はいつもより早めにやることになるだろう。との事。
 さらに田麦俣へ。道路の雪の壁はますますすごい。おばあさんお一人で玄関の雪除けをしている姿。「今年はもう3回雪おろしやった」とうかがった。「この雪がいやで嫁は鶴岡市内に嫁いでしまった」とも。その後、鷹匠のMさん訪問。玄関先に雪山。
お茶の間でご夫婦にいろいろお話をうかがう。とにかく冬は雪おろしが大変。昨年は結局9回雪下ろしをしたが今年はもう4回やった。田麦地区。今26世帯。年に1世帯か2世帯ずつ山を下りているのだそうだ。その大きな理由がこの雪の対応。高齢になってくると雪おろしができない。いちいち業者委託したりすれば、毎回5万円から10万円ぐらいかかる。そんな事には対応できない。結局、自分で除雪、雪おろしができなくなれば山をおりるしかない というのが現状のようでもある。「今年は、講演会を通じて鷹を見に来てくれた学生達が1回雪おろしを手伝ってくれたので良かった」とのこと。
 以前、田舎暮らし、山暮らしに憧れて、大網地区にアトリエと別荘を持ちたいと相談した陶芸家の方がいらっしゃったそうだが、冬の家屋の維持の委託にいくらかかると相談したところ、約100間年相当といわれ、断念したという話もうかがった。

 田麦俣の多層民家も維持するには雪の対応が大事。年に何度か招集がかかり、村の人総出で雪おろしをしているそうだ。以前は雪おろしツアーを旧朝日村で企画したのだとも聞いた。
 帰り際、除雪作業をしている人を見たがみなさんご高齢の方々ばかり。若い人は昼間会社に行っているから当然なのかもしれない。70歳を超えても屋根の上にあがるのは日常だ。中越でもやったのだけれどそこに一緒にのぼって作業するボランティアがあってもいい。昨年、僕らはボランティア保険では対応できないといわれ、僕らはAIUの別個の保険を手配してこの作業をおこなっていた。
 お話をうかがううち、田麦俣でも屋根の上にのぼった時に、雪を滑らせて落とすためのタキロンに足をのせて、地面に落ちて亡くなった人がいるというお話や、屋根の上から谷へ落ちてしまった方の話しなどもうかがった。
 作業にはよほどの注意が必要。でも、高齢者一人でのぼってまた事故という事態は防ぎたい。かといって業者に委託しさえすればいいというのでは、生活がなりたたない。
 
 地域のコモンズ(きずな)はとても強いものがある中山間地だが、これからの雪害防止施策をどうするのかは、大きな課題であり、新しい仕組みが必要なのではないかと感じた。

●本日、羽越本線運転再開 25日ぶり。
受験生もたくさん利用している鶴岡→酒田間。物流の貨物列車も今日からなんとか動き始める。なによりだ。ただし、今回の事故と犠牲を教訓に突風対策をしっかりと講じられなければならない。
再び、犠牲者のご冥福と負傷された方々の一日も早い回復を祈念します。
 





防災フォーラム


県などが主催の防災フォーラム参加のために山形市へ。災害の図上訓練などのコーディネートをしている株防災&情報研究所 代表の高梨成子さんの話しをうかがう。
諸々これまでの災害時の対応などについて系統立ててご説明いただき、参考になった。
 防災コミュニティづくりについて、様々な事例も紹介いただいた。
先日もクローズアップ現代などで紹介されていたが、平塚の防災まちづくり会議など、耐震のための技術普及などまで取り組んでいるところがある。
 山形県内の自主防災組織の立ち上げ率は53%。全国平均60%を超えているということなので、全国からみたら若干劣っていると考えられる。
 
 災害ボランティアやNPOについて、認識は高まってきたものの、行政との「協働」のあり方は模索中といっていいだろう。公演後、高梨さんにあいさつがてらしばしお話した。日本版FEMAの話しも阪神の時からあったのだが、なかなか全然進んでいない。部米国のFEMAも、クリントン政権の時は、結構フレキシブルな対応をしていたのだが、ブッシュになってから、あのニューオリンズの対応のように体たらくになっている。やはり災害対応を考えたとき、政治が大きくモノを言う。
 阪神淡路の現場、重油災害の現場、中越の現場、今回の中越でも国会議員の中で最も早く現場にかけつけたのは、兵庫6区の市村浩一郎 民主党代議士だ。
市村氏は、阪神淡路の時は阪神淡路コミュニティ基金の事務局長として僕らの対応をしてくれた。災害時のとき、NPOの支援のあり方などについて現場で考え続けている貴重な存在だ。
 もっともっと現場主義で災害ボランティアの支援のかたちについて、次がつくられるといい。

耐震偽装マンションの問題にしたって、神戸で、災害に遭われた方に一銭も公的支援しないで、今回のマンション入居者には速攻で支援しようとする政治姿勢。どうも解せないのだ。神戸で、ずっと公的支援の運動をしている被災者たちの怒りは募るばかりだろう。

終わってからNPOビルドグリーンのA氏に会い。意見交換。
 耐震偽装の問題は、住宅ローンを受け付けている銀行の問題もあるのではないかということ。このAさんによれば、そもそも、日本の住宅ローン制度。海外の制度からみたら相当実は変だ。という。担保で持ち主の収入、財産、生命保険をかけるということ。一度住宅ローンを組んだら、一生人生がきまってしまう。ともすれば住宅のために自殺をする。などということは日本特有の事だというのだ。
 ニート増大。終身雇用制の崩壊。としたらば、住宅ローン制度を見直さなければならないのではないか。
 神戸でも2重ローンを抱えている僕らと同じ年代のパパさんたちが多くいる。今回のマンション事件でもおそらく2重ローンを組まなくては成らない人がでてくる。
 
 米国の制度だと、家の所有者は、もし買った家が欠陥住宅だったら、そのまま銀行に家を戻すことができるのだそうだ また、払えなくなった時も基本はその家を銀行にもどせばいい。銀行はそのかわり、住宅ローンの審査はとても厳しいのだということ。

 間違っても、住宅ローンのために自殺するようなことのないように、国のかたち、しくみを替えていかないといけない。


神戸をいかすために。


コモンズより、ヒューザー小島社長の証人喚問を見ながら書いています。
耐震偽装の問題。今朝も書いたとおり、神戸とつながっている問題だ。この「拒絶」しまくる姿勢。いちいち相談する態度。全くみじん誠意も感じられない。
こういうとんでもない人が、まさに人災を引き起こすのだ。

人のいのちにかかわることが、私利私欲のために軽んじられる。
とんでもない話しだし。今回、僕も注目していた証人喚問。
疑惑の解明に全然なっていない。


神戸、福井、中越の経験から、現場を通う中で書いた文章がある。
この思いももう一度、再確認し、このワンステップも踏み出したいと考える。



2004年12月23日(木曜日)読売新聞 論点 災害ボランティア 調整役の専門家が不可欠

●新潟県中越地震の発生から二ヶ月がたつ。現地で活動する災害救援ボランティアの数はこれまでにのべ約5万人に上るとも聞いた。私もその一人だ。阪神大震災の時、被災地で数人の仲間と「神戸元気村」を結成し、会社員を辞めて救援活動に三年間没頭した。
その経験を生かして、当時の仲間と、地震発生翌日には小千谷市に入り、避難所そばに活動拠点「中越元気村」をつくった。刻一刻状況が変わって、命が失われる危険が迫ってくるのが被災地だ。犠牲者を一人でも減らすため、行政とはまた違ったやり方で柔軟に対応し俊敏に行動するというのが「元気村」の信条。車内泊によるエコノミークラス症候群の犠牲者が出始めたころ、全国からキャンプ用テントを700張りほど集めて、ペットも一緒に暮らせる「テントプロジェクト」を展開した。
 避難勧告が出ている地域の住民に一時帰宅が認められた時は、同行して冬支度の手伝いをする「村おこし隊」を組織した。
 いま「元気村」はこうした様々なプロジェクトごとに自発的に集まった人々によって運営されている。地域住民に信頼される人間関係を築きながら、スタッフはテント暮らしを続けつつ、24時間体制で取り組んでいる。
 「ボランティア元年」といわれた阪神淡路大震災から間もなく10年の今年、各地で豪雨や台風、地震の災害が相次ぎ、ボランティアの出番が増えた。
 7月の新潟、福井豪雨災害では家屋の床上50センチを超えて堆積した泥をバケツリレーで運び出すボランティアの姿がクローズアップされ、災害時のボランティア活動が再び注目されることとなった。そうした中、被災地のボランティアの活動の課題も段々と見えてきた。ボランティアが効率的に作業できるようにコーディネートする専門家の必要性である。
 大規模な災害では、地元の社会福祉協議会が中心になってボランティアセンターを運営するようになった。しかし、災害によっては、経験やノウハウが不足し、外部のNPO(非営利組織)との連携や共存が有効なケースも少なくない。災害の種類や土地柄などに応じて、迅速にかつきめ細かくボランティア活動をコーディネートするには、それを職業としてやれる専門家が絶対的に必要だ。
 神戸での救援活動の後、米国カリフォルニア洲バークレーのNPOでインターンを経験した。そこでは「ボランティア・コーディネーター」という職業が立派に成り立っているころを知った。さらに、そうした専門家が、災害発生時の指南役として社会的に位置づけられ、米国のFEMA(連邦緊急事態管理庁)のスタッフに登用されるなど、政府とNPOの間の人事交流も盛んだと聞いた。
 また、日本では災害時の義援金は多くの場合、被災者への直接給付に充てられるが、現場で活動するNPOのプロジェクトに使われる例が珍しくない。行政とNPOの「協働」では情報をいかに共有するかが課題だが、こうした資金面での後方支援も、災害救援のボランティア活動を活発化させていくことは言うまでもない。
 新潟の被災地に雪が舞った。今後、雪害対策の取り組みが本格化する。仮設住宅の住民支援は超高齢社会のモデルであり、山間地での活動は中山間地の集落の生き残りを左右する。ボランティアにとってこれからが正念場だ。


1.17阪神淡路大震災より11年。


犠牲者数。6432人
阪神淡路大震災。希望の灯り。追悼と震災を伝える。

1995年1月17日午前5時46分 阪神淡路大震災

震災が奪ったもの 命 仕事 団欒 街並み 思い出

…たった1秒先が予知できない人間の限界…

震災が残してくれたもの やさしさ 思いやり 絆 仲間

この灯りは 奪われた すべてのいのちと

生き残った わたしたちの思いを むすびつなぐ
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僕はこの10年、神戸でこの日を迎えていたが、今日は鶴岡で希望の灯りを灯し、黙祷した。

僕は「神戸」を、6432名の犠牲を。
そして神戸元気村に集ったあの生き生きとした顔を。つくりだした笑顔を。「ボランティア元年」を生み出した神戸の経験を、今、活かせているのか。改めて問いかけられる。そもそもボランティア元年という言葉は、朝日新聞アエラの記者だったS氏が元気村の取材を通じて生み出した言葉だった。「ボランティア元年」「神戸から未来が見える」元気村の本部の写真とともに当時の「アエラ」には掲載されている。

北淡町では黙祷の後、「上を向いて歩こう」が合唱されていた。95年2月6日。東灘と灘区の境目の石屋川公園の神戸元気村、畳7畳でステージを組んで、国道2号線に向けて、元気村ライブ初日。はじめに歌ったのが「上を向いて歩こう」だった。

今日、僕は鶴岡にて、神戸を想う。そしていかに鶴岡に活かすのか。じっくりと考え、新たなるつながりをつくりだすための1日にしたいと思う。
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volunteer
元気村 

笑顔を一つつくるために、動く。つなぐ。
眠らなくても平気な自分があった。
太い「今」という時があった。
とにかく笑顔をつくりだすのだ。とそのエネルギーに。

一人、一人、集まってきた。
昨日まで全く知らないどうしだったのに、
今、同じ思いをもって一緒に
汗を流し、真剣に、作業をしている。
笑顔に会えて、涙を流す。
だんだんその輪は広がって、
みんなに元気が 満ちていく。


金がしばりつけていた、
ゆがみやひずみから解き放たれて
自分が生かされた。生きた。一瞬を
かいま見る。
自由な笑顔に満たされる。

つながりは、全国へ。そして世界へ。
ひとりぼっちで。
でも真剣に今をみつめている人の元へ届く。
なんとか助けたいという思いをもっている
人へ。
間違いを、誤りを正そうとしている
人へ

今、動いて、つながれば。
過去は遠くに過ぎ去って
一皮むけた自分がやってくる。

そして、新たな一歩を
踏み出したみんながやってくる。

昨日までは思いも寄らなかった
広告代理店では思いつかない
ゼロから1が
生まれる。

自分の根っこが見えてくる。
社会の本当が見えてくる。
未来への光が見えてくる。

そのどこまでも透明なエネルギー

僕らのエネルギーは、
権力よりも真実につく

このエネルギーこそが

現場を知らない評論家たちが
でっちあげる虚構のマトリクスを

この 大人しい顔をして
実はひずんだ世の中を。

一部の人の金儲けのために
コントロールされた世界を

戦争にひっぱって行く
狂った思いを。

ハコモノ体質で、冷たい
行政姿勢を。

井戸まで潰してダム水を強要する
理不尽を

物欲で心が病んだ社会を

正すのだ。


動き出せ。
動き出せ。

今、動き出せ。  1.17 2006
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新たな一歩。

●鶴岡を拠点に、災害ボランティアチーム、元気をつくりだす文化拠点として「月山元気村」を立ち上げる。参加者の呼びかけを開始。機能として神戸、重油災害、中越などの教訓を活かし、全国の災害ネットワークをつなぐ。継続した中越支援をおこなう。米国CARDとの連携。防災、耐震などの民間ネットワーク拠点とする。
●水はライフラインの根っこ。水問題への取り組み強化。
●地域に根ざし、コモンズ(絆)の再構築。
●雪害防止のための調査
●米国災害NPO、CARDの資料映像整理。とネットワークの再構築。

◇復興でなく再生。
本当のしあわせとは何か。豊かさとはなにか。ハコモノでなく精神的豊かさを享受できる新しい社会の再生こそ課題。鶴岡の改革、再生を考える。
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◇神戸 再考。神戸新聞http://www.kobe-np.co.jp/
神戸新聞よりクリッピング。神戸元気村の時、僕らは孤独死防止のために、ベルボックスというプロジェクトをやってきた。孤独死は復興住宅でも増えているようだ。
地域のきづな、コモンズをいかにつくるか。きづなの再構築、補完をどうするか。まだまだ課題のようだ。神戸新聞調べのこのデータは貴重。敬意。
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●神戸
復興住宅の孤独死 6年間で396名。昨年だけで69名復興住宅独居死69人 05年、見守り進むも横ばい
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2006/01/15

 阪神・淡路大震災の災害復興住宅で亡くなった一人暮らしの「独居死」が、昨年一年間で計六十九人に上ったことが十四日、分かった。うち、六十五歳以上は約74%(五十一人)を占め、総数は過去三年間、ほぼ横ばいの状態。死後、比較的短期間で発見されるなど、公的な支援者らによる見守り活動の効果は表れつつあるが、入居者の高齢化がさらに進み、コミュニティーづくりは難しさを増している。

 兵庫県警が「変死者」として検視したデータを参考に、神戸新聞社が一人暮らしの入居者について死亡状況をまとめた。

 仮設住宅が解消した二〇〇〇年一月以降、六年間で復興住宅での独居死者数は計三百九十六人となった。

 昨年の六十九人の内訳は、男性が三十八人、女性が三十一人。死因別では病死が五十七人(約83%)と大半を占め、これに自殺の七人(10%)が続き、残りは事故死などだった。

 発見までの経過期間は、二十四時間以内=三十四人(49%)▽二—十日=二十四人(35%)▽十一—二十日=七人(10%)▽発見後死亡=四人(6%)—の順。

 最長は十九日間だったが、前年までの五年間では一カ月以上経過した例が十三件あり、全体として経過期間は

雪の犠牲


神戸行きの準備をしていたが、昨晩の市内(旧羽黒町)での雪の犠牲者のニュースに、この雪害問題にとりくむべしとして出張をとりやめ、昨晩の事故現場に。

寒鱈まつりとどんど焼き 小貫博堂


銀座通り、寒鱈まつり。天気に恵まれ、まずまずの人出でなにより。旧体育館駐車場から、銀座通りまで歩く道すがら、読売観光などの観光客のみなさんの群れと一緒になる。
年末に中越にもちつきに行った共同ファームのお餅ブースのところで、中越、小千谷 塩谷地区の小民家再生の支援Tシャツの紹介をした。
 目の前で困った顔をしている子供連れとおじいさん。赤いキムチ鍋のはいったお椀をかかえている。「たら汁と思って、たのんだはずなのに、、、」とのこと。あそこの黄色いはっぴのところだったら、間違いなく鱈汁だしおいしいと思いますよ。とお伝えする。ありがとう、それじゃいってみます。もうこれは食べれないからいいや とキムチ鍋のはいったお椀を椅子においたままにして行ってしまいました。
 20件ぐらい、いろんな鱈汁づくりのチームが並ぶわけだけれど、キムチ系で困惑されるのはちょっとどうでしょうか。以前も塩鱈で鍋をつくる業者がいて、お客さんの苦情があって、改善された事があった。
 キムチ鍋も僕は大好きだしおいしいとは思うのだけれど、このイベントに何をお客さんは求めてくるかを考えれば、ちょっとどうか。
 鱈汁は食べて、その上で、というのだったらわかる。おもちも雑煮もきりたんぽもキムチもということだったら。「鱈汁だよ といってキムチ鱈汁がでてくればそれはちょっと問題かもしれない。
 案内係の鱈汁コンシェルジェがいてもいいかもしれませんね。
とにかくイベントは、やる側はやる側で手一杯。いかにお客さんの立場になれるか。十分すぎるほどの案内が必要。特にそこへはじめて訪れる人が多くいる場合は無論。日々、ブラッシュアップしていかなければなりませんね。
自省もこめて。


6小学区の新年の集い。いろいろご意見、激励ありがとうございました。
藤沢周平記念館の構想については、結構みなさん、言いたいことがあることを再認識。

5時半からは荘内神社のどんど焼きにお札などを納めに。するめ、昆布をあぶるのははじめて体験。なかなかいいものです。
その後「荘内の美術家たち」展に。小貫博堂先生がはじめた新派美術展からはじまる「教育絵画展覧会」。荘内中学の生徒の作品とともに、東京美術学校(今の東京芸大)の作品、美術学校所蔵の名画を展示した、画期的な展覧会。
それを興した小貫先生の志と行動に、その功績を僕らは再認識し。改めて大いに感謝したい。

今回の展覧会は、小貫先生の作品と教え子である地主悌助氏、太田義一氏の作品の展示だが、どれもすごい力のこもった。小貫先生の日本画は由良の白山島のスケッチ、地主氏のおだやかな色調の初春の月山。それに、「ものを良くみよ」と教えてくれる石、工具などの作品。太田義一氏の最上川の船着き場の作品が印象的だった。また行こう。

コモンズにて


1日、情報整理など。ある方の口コミでコモンズに来訪者若干名。感謝。



旧朝日村地区など取材


午前中など資料整理 除雪体制などについて、朝日村の地区のしくみなどを取材。豪雪地帯を抱えているとあって、いろいろ参考になった。福祉課の方で高齢者、一人ぐらし世帯への対応を聞くと、7000円×3回の支援制度があるとのこと。鶴岡の場合は1万円×1回。朝日村の大鳥地区などではすでに3回から4回ゆきおろしをしているそうなので、これでも、業者委託するしかない人にとっては、なかなか大変だろう。業者は4社。それにシルバー人材センターが並列で業者の一つとして紹介されているところも旧鶴岡市内と違うところか。