月別ア―カイブ: 8月 2007
カラス トラップ?
鶴岡市のカラス対策として、捕獲箱を設置して、200羽前後のカラスを捕獲する、そんな庁内会議がおこなわれていることについて新聞記事に載った。果たして、的確な方策なのか。専門家のネットワークに相談してみると、案の定、「そんなもんで個体数調整なんてできない」という応えが帰って来た。えさがあり、環境条件が3000羽の個体を育めるということであれば、200羽たとえ捕獲して殺したとしても、どこかから200羽やってくるだけだとのこと。結局、捕獲箱でとらえて殺しても何の方策にもならないということと、子供達などが遊ぶ、公園の中で堂々と殺生がおこなわれていいのか という問題があるということ。それと、「人間生活に邪魔だから殺せばいい」という発想でいいのか。という問題を指摘された。
これは、当然のことだ。「カラスに弁当をつつかれる」「カラスの糞で困っている」いろいろな声は確かに聞いた。鶴岡公園がねぐらになっているからだ。元々は山王神社がねぐらだったカラスを追い出したら、今度は鶴岡公園ということになった。要するに、もう一度、この「ねぐら」を移動させる事が肝心なのだ。
この根本策を全くやらないで、「やってます」という姿勢をみせるだけで捕獲箱をつくるとすれば、その費用200万円は、全くの無駄だ。そして東京都の悪例の二の舞と、厳しく全国のみなさんから酷評されるのがオチだ。
僕はこの捕獲箱作戦には大反対。「ねぐら移動」のために、何も手をつくさないで、何をやっているのかと思う。シロートだけの庁内会議というのも全くのナンセンスだ。とにかく、山大の後藤先生や、全国のカラス学者のみなさんの声をきちんと聞くべきだ。担当者は、カラスの生態学をきちんと学ぶべきだ。
「愚かなる鶴岡」といわれないのように、ね。
避難所の風景を変えたい。
避難所の風景を変えたい。
今回の中越沖地震の現場に3回通っている、僕の気持ちの根底にはこれがあります。
これまで、元気村ネットワークとして民間ならではでできる災害支援のかたちとして、
●避難所へ、着替えやプライバシーを守るためのテントの設置。7/19
●全国、メーカー等から約150張りのテントを集め、被災者に手渡す、テントプロジェクト7/29
●暑くてゆっくり休めない避難所の対策として、キャンプ用のベッドを設置するプロジェクト7/29を展開しています。
「冷たい、ほこりまみれの体育館の床の上に毛布を敷いて雑魚寝。」
この風景はほぼ12年前の阪神淡路のときと全く変わりません。徐々に、仮設住宅入居までの期間は短くなってはいますが、今回も、ほぼその状況で2週間が経過し、早い方でもあと少なくても2週間14日、今と変わらない状況でいなければならないといった状態です。
地べたにござを敷いて、それに布団か毛布。そうした中で、身体が痛くなっている という声も聞きました。又、今回はじめての夏の被災で、「暑くて眠れない」という声も多く聞きます。7/28には避難所の体育館の外の階段で休んでいる人もみかけました。
この状況をなんとか少しでも改善をしたい。そんな思いでテントを手渡したり、キャンプ用のベッドを試したりしておりますが、このキャンプ用ベッドについては、アメリカの被災地では必ず被災者に毛布と一緒に支給されるものだということです。
このベッドは、折りたたみができ、収納しやすく、使うときは布一枚が約50センチぐらいの高さに広がるかたちになっており、半ばハンモック状で涼しいということで、よく軍隊などで使われているものです。実際、日本の自衛隊の皆さんも使っています。
このベッドを20個被災地へ持ち込み、避難所の一カ所に設置して皆さんに試していただきました。そうしたところ、ご高齢の被災者の方々にも「これは楽だ、実にいい」ととても好評で、当初のテント配置の際から意見交換をしていた、現地の災害対策本部の山田市民生活部長さんも、とても喜んでくださり、ご理解をいただきました。「8月1日現在、約1000名の避難民がいる。できれば全員にいきわたるようにしたいものだが」とおっしゃっていただきました。
私は8/1、以下の提案書を泉田新潟県知事宛に提出いたしました。
ご提案書
7/31/07 12:36 PM
泉田知事 様
「夏の避難所生活を改善するキャンプ用ベッド活用のご提案について」
私は、「神戸元気村」の副代表を3年、「中越元気村」代表、今般も当初から活動している災害支援NGO、「元気村ネットワーク」の 草島進一と申します。現在鶴岡市議会議員をしております。(無所属無会派です)山形県鶴岡市道田町21-29 在住です。
今般の中越沖地震については、元気村ネットワークでは、7/19日に、柏崎市にはいり、避難所のプライバシー対策にテントを体育館などに4張り張るところから活動を開始し、また、車中泊の対策として、キャンプ用テント集め、29日には150張り市民に提供するなどの活動をし、避難所の生活を改善するための活動をしております。
特に避難所の暑さ対策や、地べたに布団を敷いている状況の生活を改善しようと、29日にキャンプ用ベッド(別紙写真参照)20基を避難所(田尻小学校)にいれ、実際に使っていただいたたところ、被災者にとても好評であり、柏崎市 山田信行 市民生活部長様もこの有効性を認めて下さっています。31日午前11時30分、確認したところ、「今、避難している方々全てにいきわたるようだったらありがたい」との声をいただきました。なお、31日、田尻小学校で実際に使用なさった皆さん、ご高齢の皆様からも、「気持ちよく眠れた」「これはなかなかいいわ」などの声をいただいております。
このベッドは、米国などの災害の際には、真っ先に被災者に毛布とともに支給されるものです。
仮設住宅の建設は急ピッチではじまっておりますが、いずれにしても現在避難されている方々は、あと少なくとも2週間は今の暮らしを続けなくてはなりません。暑さやほこり、プライバシーの保たれない中で体力的にも、精神的にも限界を迎えている状況を私達はひしひしと感じています。
つきましては、この夏の避難所でできるせめてもの対策として、このキャンプ用ベッドを現在、柏崎市内で避難している約1000名の被災者全員に手渡すことができるよう、義援金の使途としてご検討いただけないものでしょうか。
おいそがしい中とは存じますが、何卒よろしくお願い申し上げます。
災害救援NGO 元気村ネットワーク 草島進一 090-4388-3872
山形県鶴岡市道田町21-29 stern8@mac.com
http://blog.canpan.info/genkimura/
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今、国会議員の皆さんにも働きかけております。
元気村ネットワークのHPを更新しました。
これまでにやってきた事などが、ご覧になれます。どうぞご覧ください。
中越沖には今週末の土曜日夜に出発予定です。相乗りでボランティアに行かれる方を募集します。
http://www.gassan.jp/genkimura/
時事通信 の配信記事。
7.23 07 先日取材をいただいた時事通信の記事。
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避難生活のプライバシー守れ=テント、ついたて提供−新潟県柏崎市
新潟県中越沖地震で最大の被害があった柏崎市では、避難所での生活が長期化する中、被災者のプライバシーを確保しようという動きが活発になっている。学校教室の一部を開放し更衣室にしている所もあるが、「着替えは消灯後、暗くなってから」「入浴した時に」といった女性も多い。「避難所の生活を少しでも良くしたい」とボランティアや自治体が工夫を凝らす。
プライベートな空間を確保できるとして、テントに注目して活動するボランティア団体「元気村ネットワーク」は、市内の4避難所にテントを設置。着替えや授乳のためのスペースを提供している。今後は、家族や個人で使う分も配る。
2004年の中越地震の際は、全国から約700張りを集めて被災者に配布した。車中泊をしていた被災者にも好評だった。地震で散乱した室内から持ち出した家財道具の置き場所にするなど、さまざまな使い方ができるという。
同団体代表の草島進一さん(42)は「阪神大震災の時から避難所の光景は全く変わっていない。避難所での生活は1週間が限界。仮設住宅ができるまでの新しい避難の形になれば」と語る。
一方、県は生活スペースを区切るための段ボール製のついたて490セットを同市と刈羽村の計34避難所に配布した。中越地震の際も使用したが、10月末と涼しい季節だった。今回は、「風が通らず暑い」と評判はいまひとつで、未使用のまま積まれている避難所も見られる。40代の会社員の女性は「仕切りをすると誰がいるか分からなくて怖い。貴重品の管理がしにくくなるのでは」と話す。
県は「プライバシーの問題が注目されるのは1週間ぐらいしてから。使い始めるにはもう少し時間がかかるのでは」としている。(了)草島進一(くさじま・しんいち)
[時事通信社]
動けば変わる。
朝立ちをする。快晴だ。昨日の晩はようやくゆっくり眠れた。
(事務所の中でキャンプベッドだったけれど)
月曜日まで、東京と山形と柏崎のいったりきたりだった。
山形の舟山さんの快勝! 希望がひとつ。
政党に属さない、川田龍平君の当選は、市川房枝さん以来の快挙とのことだ。
全国の市民派議員で応援した甲斐があった。希望が一つ。
テレビで切れ味のいいトークを見せていた田中康夫さんの勝利。希望が一つ。
3つの希望の星の方々と、これから共に、世の不正を暴き、理不尽を正し、そして、また、農業再生、林業再生、新しい経済をつくりだしていきたいと思う。
動けば変わる。
これからの一日、一日がまた、勝負だ。