月別ア―カイブ: 10月 2007
明日川田龍平氏、テレビ出演。
今日は、天気いいですね。草島、この連休は地震関連や財政関係の講座、などに出席の他はコモンズにおり、片づけと原稿書きをやっています。
さて。親友である川田龍平君の出演番組のお知らせが来ましたので、お伝えします。
日本テレビ放送網 10月7日(日)朝9:55〜10:55放送
番組ホームページ http://www.ntv.co.jp/haran/next/index.html
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→良かったですね。番組。
ビーチクリーンアップ
由良 庄内浜クリーンアップ庄内。3度目にして晴天に恵まれる。大勢の参加者。なかなか良かったと思う。
クリーンアップも、98年、僕らが最初にやりはじめたときは、「何それ?」的だったけれども、今や、行政の呼びかけによるイベントとして定着をしつつある。それも良しである。ただし、導入とまとめに、もう少し工夫があると良かった。
僕らウォーターワッチネットワークの好例の湯野浜海岸でのビーチクリーンアップは、10月14日の朝、午前9時から11時まで→訂正。10月19日(土)の朝午前9時から11時に変更します。IPCC(国際調査シート)を使ってやる調査型のクリーンアップです。どうぞ、多くの方々にご参加いただきたいと存じます。よろしくお願いします。
その後、水族館。
大義
朝、役所前。新しく作成したボード(今度お披露目します)を持って街頭演説する。
午後天気が良く、急きょ「庄内版武士道の鍛錬日」と相成った。いただきものの、「竹の庄内竿」実に良し、、、。
深夜、城山三郎さんのテレビの追悼特集の再放送をつい見入った。
「大義」が掲げられ、突き進んでいった戦争の組織の現場での虚構。怒りを発端として、組織と人間を見つめ作品を発表していった生涯。
インタビューでの言葉が弾けた。
「世の中に大義などない。一人一人が手作りで生き方を見つめることだ」
戦争で、巨大公共事業の現場で、こうした「大義」がお役所で唱えられ突き進む現場がある。実際、山形県政や、鶴岡市政の諸行を見ても、「大義」が掲げられて事業をおこなったが、実はそんなに住民の笑顔につながって居ないことがありはしまいか。
「戦争の時は「欲しがりません、勝つまでは」と民は言われて、相当な我慢をし、治安維持法で言論統制がしかれ、それに逆らうものは罰せられ、迫害された。でも、番組の中でも証言者が語っていたけれど、将校だとか、士官は白い米を食べていた。
ミャンマーの軍事独裁政権などがピックアップされているけれど、情報を隠蔽する中で、軍部や官僚など一握りの人たちは、都合のいい大義を並べ、裕福な暮らしをし、民は疲弊する。ミャンマーの市民は、僧侶は今、立ち上がり、真の民主主義のための闘争を行っている。
公共事業も、「生命と財産を守る」とか「陸の孤島を脱却する]などという大義を振って、ダムや道路を造り続けてきた。
しかし、その為に失われていったものがある。結局、長い目で見た経済ではあまり貢献しなかったものもある。でもそれを指摘する声はいつも少数派だ。
「負けるとわかっていて突き進んでいった戦争」と同じようなことが、公共事業でもおこなわれてきたのだと思う。
城山さんは、晩年、個人情報保護法に対して真っ向から反対を述べ、ロビー活動に奔走する。治安維持法がしかれた戦中の過ちを繰り返さぬようにと。
「世の中に大義などない。一人一人が手作りで生き方を見つめることだ」
鋭くも優しい目をした、「信念と行動」の、城山さんの言葉也。これぞ真実也。
HATーKZ(ハットカズ)システム
今日、午後1時から国会の論戦がスタートした。事務所でテレビを観ていた。
民主党鳩山氏の指摘はその通りだと思った。それに対する福田首相の答弁は、当局の書いたものの読み上げという感じで、力を感じることはなかった。
あいかわらず言葉が死んでいる。
長妻さんの質問は実に痛快で、よくぞ言ってくれたと涙がでた。
官僚たちの税金収奪システムHATーKZ(ハットカズ)システム。ひも付き補助金(H)天下り斡旋(A) 特別会計(T) 官製談合(K)随意契約(Z)。
これまでブログで、私もことあるごとに指摘をしてきた今の政治のムダや膿の温床を見事に指摘されていた。また、公共事業についても、B/Cが1以上でなければできない事を挙げ、公共事業が開始されてから総額費用が9倍にもなっていた農水相、国交省予算について指摘をした。
生活者の立場からの改革を唱えた民主党、長妻議員。
統治機構。官僚と政治について、もたれあいの構図の自民党型のシステム。
暴走した官に歯止めをかけることが必要だったのに、戦前から、戦後にいたっても、統治機構の見直しもないまま、これまで来てしまった。戦争責任についてもあいまいにしたまま、ここにある。ということ。などなど、胸をすく質問だった。
福田総理の答弁は、官僚の答弁書をよむばかりでのろのろと答えをはぐらかしたものだった。
長妻さんは、戦後60年ずっと続いた自民党の政権の元で狂ってしまった日本の政治の実態を的確に指摘されていたのではないか。と思う。
政権交代で膿を出すこと。まずそれが改革の第一歩だ。
鯉ヘルペス
鶴岡公園の内堀で鯉ヘルペスで鯉が死んでいたことがわかった 毎年子供まつりの際に カヌーを浮かべている池だ 対処策などを聞きにいった
敬天愛人ーーー合併2年の市政施行記念日にて
朝、八文字屋前演説。9月議会のご報告。
午後は、酒田希望ホールでの京セラ社長稲森和夫氏の講演会に行きました。
4時から鶴岡市市制施行記念式典があったため中座しなければならず残念でしたが、貴重なお話をうかがいました。関係者の皆さんに感謝します。
稲森さんには次のようなお話を承りました。
一つは、よいことを想い、よいことを実行する。そうすれば、運命は変えることができる。その因果の法則ということ。
もう一つは、宇宙には全てのものを愛し、良い想念を抱けば通じる。宇宙にはそうした意志があるということ。
残念ながら中座したため、「南洲翁」とのご縁などについては聞くことができませんでしたが、この2つの事については、しっかり受け止めることができました。
「人生の中で、困難に直面したときも、また、良きことに直面したときも、どちらにしても試練なのです。それをありがたく受け止め、万全を期して事にあたることにしてきました」
「よき想いをもってよい事を実行する。そうしたら運命をも変えることができるのです。」
と稲森さんは語ります。
これらの言葉はすごく私の心にひびきました。私自身、神戸で一歩「動いた」ことによって人生が全く変わってしまったからです。私は、神戸の経験を生かして中越で元気村を運営するとき、そして、被災地に入るとき、まさに笑顔を一つつくるために、「動けば変わる」といった想いで私たちは行動してきました。その信念と行動力が活動のベースです。心身ともにコミットできる仲間と方策を練り、実行する。本当の笑顔が一つつくれたら、被災者にもボランティアにもそれはどんどん伝播していく。そんな現場をいくつも体験をしてきました。まだまだ至らないところばかりではありますが。
また「宇宙には意志がある」とは、私が敬愛する作家ケネスブラウアーが書いた「宇宙船とカヌー」の中で登場する宇宙科学学者、フリーマンダイソンがのべていた言葉でもあります。「はあ?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、水について言っても、地下水の事を考えてみてください。自然のフィルターを通じて水が浄化され、私たちは飲むことができます。土の中の微生物たちは、毒を発生するのではなく、動物や植物の命を育むのによい浄化をしているのです。それひとつとっても、地球は神秘に満ちていると思いますし、稲森さんも語った「宇宙の意志」をとらえることができるのではないでしょうか。
それと「宇宙と通じる」ということでえすが、私は、そうした不思議を感じることが特に神戸以降あったように思えます。良いことを思って行動すれば、思いも寄らなかった事を授かったり、恩師といえる方々や本当にコミットできる仲間との、運命的な出会いをいただいたりする。そして新しい動きが始まる。
被災地の救援活動も、ダム反対運動も、ビーチクリーンアップも、そして今の議員としての活動も、全く同じ信念をもって、行動しています。活動自体はなかなか厳しいときもあるし、誤解されることもある。ひとりぼっちの時もある。
でも僕はそうした想いで行動するとき、必ず宇宙の意志に通ずる力のようなものに支えられている気がしておりますし、その意志に背かない行動をやっていきたいと思っています。私はこうした中で活かされてきました。
皆さんの中にも、きっとそのような方がいらっしゃると思います。
残念ながら私は、未だ伴侶には恵まれていないし、今大成功しているわけではありませんが、、、、まだまだ修行が足りぬのでしょう。
その後、合併して2周年を迎えた鶴岡の式典に参加し、その後事務所にもどって一人。
稲盛さんの話を噛みしめつつ、南洲翁遺訓を声をだして読んでみました。
道は天地自然の道なるゆえ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ。
人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くし人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。
命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。此の仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。
いくつか、実に深く心に響く言葉を、改めて受け止めました。
今年、鹿児島の武中と二中の交流事業の席上で、当時、南洲翁に惹かれ、その当時丸々一ヶ月もかけて鹿児島に出向き、こうした教えを実際に南洲翁から受けていた当時の藩主の事を想いました。
そのとき、藩主の方々はただ、勉学をしたかったわけではなかったはずです。西郷さんの教えや哲学や行動をこの地、庄内にいかに活かして、激動の時代を乗り切ろうかと考えていたのではないでしょうか。私は、当時の藩主の方々の、信念と行動力とはなんだったのか。ということを今、もう一度考えています。
新鶴岡市になって2年。先日、議会の討論でおこなったとおり、課題は山積しています。良いことを想い、良いことを行動する。その中で自然につながる人の輪を大事にしたい。そしてその現場から生まれてくる新しい芽を大事に育まねばと思っています。
右肩あがり、計画経済の時代は終わりました。右肩さがりの今、まちづくりに王道はありません。行政が情報を握り、市民との情報格差の中で、住民をコントロールする時代は終わりました。おかしいことは正し、多くの市民の方々とともに、本音の議論を積み重ねていかなくてはなりません。
だからこそ、まずは、情報の公開、情報の共有がまずベースなのだと考えます。
慶応大研究所へ、市税が年間3億も投入されている事については、これだけ巨額な市税投入がおこなわれているにしては、まず、全く住民への説明が足りません。「合併2年」の市の広報にも説明がほとんどありません。また、市政施行記念式典のあいさつの際も、合併して最優先で合併特例債を使い、巨額な市税が投入され続けているこの研究所についてほとんど触れられませんでした。
私は、本当に理解している市民がどれだけいるのか。大いに疑問です。
国際的な研究ならば、それこそ国の予算を使うべきで、ただでも18年度からの増税で家計が厳しい市民の多い地方都市で、更には実質公債費比率19.2%の財政事情の中で果たしてやっていい投資事業なのか。更に疑問が募ります。
「知的産業の集積」と聞こえはいいですが、この地域の資源と結びついていなければ、何の役にもたたないし、今回の「蜘蛛の糸」の研究がいい例ですが、地元に産業は興りません。
今、総合計画の審議会がおこなわ