月別ア―カイブ: 10月 2008
明日、結婚式です。
一度、お知らせいたしましたが、私、草島進一 この10月13日に結婚いたします。
最上 バイオマス
最上。バイオマスの取り組みについて現場と役所へ。森林組合へ。
この写真のものは、下はウエルサンピアという福祉施設の暖房などにつかわれているチップボイラー、上は、金山町の森林組合の木材乾燥につかわれている小型のチップボイラー。庄内よりも一歩リードの最上の取り組みを実感した。
最上小国川河床の調査。
最上小国川の河床の調査の報告を県がおこなうとのことで現地へ。漁協、真の治水を考える会の皆さんと一緒に調査手法などを観察する。いままで、ずっと県は「湯脈に影響を与える可能性があるから掘削は絶対にできない」といって、調査をすることすらも拒み続けてきた。しかし、今般、こうした調査ができた事は一歩前進といえる。実際、岩盤の割れ目から水温の高い地下水が湧出するところをみた。熱源に川の水で水圧のかかった地下水が触れてお湯になる。調査された先生方は「現在、コンクリートで蓋をしている場所を観てみないとよくわからない。それを再調査する必要がある。」とおっしゃっていた。
それと、掘削が可能かどうかの最終的な判断は、この調査の報告を待っての話になるわけであるが、この調査の段階でも、この岩盤にいきつくまで相当量土砂が堆積していることがわかった。川辺川の問題でも、人吉市や、相良村流域では川床掘削により随分贈水時の水位が低下したことを聞いているし、滋賀県では県が代替プランを提示して国と闘っている。そうした方向性でいえば、より慎重に、この地域でのダムではない治水の可能性をもっともっと考えてみる事が必要だ。この調査はいいが、判断に至るまで不当なことがおこなわれないように監視していくことが重要だと考えている。
総合防災訓練。
第6学区で総合防災訓練がおこなわれた。トリアージの訓練ははじめて。この訓練はとても重要だ。災害ボランティアも当日受付の訓練をおこなった。みなさんご苦労様でした。
高畠町にて。
2日、総合計画について質疑する その後、ジャーナリストのAさんと有機農業の里、高畠町へ。星さん、渡辺さんを尋ねる。有機、無農薬農法の田圃の稲刈りに横浜の高校生が研修できていた。
米食べ豚ー農業に希望をつくる。
自給率50%を目指して、、、などと新総理も言及しているようだが、実際の現場は、減反で田んぼが放棄され、中山間地にいけば、草ぼうぼうの薮わらに変貌してしまった田畑も増えている。農業にいかに希望をつくるか。飼料米の話は、以前から気にかけていたが、実際に新田社長の話を聞く機会が山大であった。
農工商連携プロジェクトとして国でも評価されているとのことで、米育ち豚のおいしさは、実際東京ミッドタウンの店は、ランチなどでは行列ができているとのこと。
農業に、米作り農家に一つの明るい希望をつくる取り組みを評価したい。
さて、庄内南部について、どうするか。大きな課題だ。
市政施行記念日。合併から3年。
合併から3年。市政施行記念日。朝、八文字屋前にたち、合併から3年を迎えた鶴岡の課題について、諸々お話した。午後、式典に参加す。
合併3年の間に得たもの、失いつつあるもの。諸々言いたい事はある。
現在、真に持続可能なまち、鶴岡に向かうには、諸々の課題がある。
本当のこの地域の資源とは何か。この地域の強みとは何か。
私たちに何ができるのか。14万人市民、みんなで取り組むべき課題とは何か。
市民一人として、無駄な人はいない。それぞれの気づきと力を発揮して、徹底的に納得づめで議論しつつ、希望ある方向に一歩一歩、進めないだろうか。
人口減少時代を迎えた今、大きな発想の転換こそ必要だ。「だもんだ」という習慣から、「本当にそうなのか。」という問いに変えていかないといけない。行政も市民もだ。そのための情報共有、情報公開なのだと信じる。今、それを考えると、まだまだ、一握りの方々の力のみの判断に終わっていないだろうか。
がれきの山と化した神戸で、希望をつくる同様、鶴岡の真の問題を解決し、この地に真の希望をつくりたい。そんな思いでこの古里にもどり、市議となって9年と半年が経過した。日々、その気持ちは変わらないし、むしろ、より大きくなる。未だに、「うわ、なんてもったいないことをしているのか」 と思ってつい指摘してしまう。
きづきあって、互いが成長していく。そして一歩前進する。それが一生つづくのだろう。日常の暮らしも、まちづくりも同じだと思う。停滞や、それを「だもんだ」にしがみつかせようと無理強いしたり、情報の操作でごまかそうとする政治があれば、それこそ、徹底的に改革したい。今、その多くのしがらみを断たなければ未来は開けない。
先日、「おくりびと」という映画を観た。そこにでてくる庄内の四季の風景の美しさに先ず魅かれた。そして、これまでなかなか、きづくことができなかった、納棺師という人の業の美しさに涙した。心を込めてやる仕事に真にありがとうと涙をため、応えてくれる人。偏見と自分の思いとの葛藤。
なんだか僕は、神戸でやったはじめての炊き出しに涙してくださったお年寄りの姿も思い出してしまった。どんな立場での「業」も、この瞬間が希望なのだと思う。
今、市政、行政の仕事でどれだけそんな「希望の瞬間」があるだろう。
ところで、今、「おくりびと」にでてくる「鶴の湯」をたづねて、方々からこられると聞いている。まずは、「おくりびと」を観よう。庄内を、鶴岡を、そして自分の仕事を、暮らしを見直すために。
今年5月に、僕はスウェーデンの「持続可能な自治体」の国際会議に出席した。
スウェーデンでは289自治体ある中の71自治体がエコ自治体を名乗り、持続可能なまちづくりに挑戦している。持続可能なまちづくりの定義とは、
1)地殻から掘り出した物質の量が自然界に増え続けない。
2)人間がつくりだした物質の量が自然界に増え続けない。
3)自然が物理的な方法で劣化しない。
4)人々が満たそうとする基本的なニーズをさまたげるようなことをしてはならない。
という定義である。強調されたのは、これは科学的な原則であるので、この定義を政治が変えるなどということはできないということ。
市政記念日の時、公益文科大学長の黒田先生が、「新しい社会システムの構築に寄与する市民を育む」といった趣旨の事をご講演なさっていた。何か僕はかいま見たスウェーデン社会の事を想起した。
この10年間で8.7%のCo2削減をしておきながら、44%の経済成長を遂げている国、スウェーデン。社会インフラをはじめ、大きなシステム転換をしている現場の多くに、希望を感じた。
さて、鶴岡でいかに持続可能な、希望の社会をつくっていくか。更にみなさんと一緒に考え、行動していきたい。