月別ア―カイブ: 4月 2011
石巻から戻り吉村県知事へ挨拶と提案す。
3月14日、つじ立ちを役所前で石巻へ。
途中、最上、NPOやまなみと日山山荘で取り組んでいる。1Day 温泉脱出作戦の現場へ。大露天風呂の後には結構な炊きだしも用意されていた。でもちょっと人が少なめ。残念ということで現地の状況を探ることに。
日ぶりの石巻。3月19日に訪れた際には車なんてとても通れなかった橋から船やがれきが撤去されて通れるようになっていた。駅前の役所。当日から、罹災証明書の発行がはじまり、役所の中に長蛇の列ができていた。
その後、渡波小学校へ。炊きだしを続けている青年海外協力隊チームに諸々伺う。避難所担当の石巻職員、北海道2名、鳥取県1名にお会いする。聞けば、避難所に寝袋で休んでいるとのこと。鳥取の場合、県と市町村職員が混成チームで派遣しているのだと伺った。それにより一緒に行ったチームでの交流もはじまり、戻ってからも職員間の交流がもてるのだという。
その後、NGOのベースキャンプへ。吉村氏、トール氏ら、おなじみのメンバーらと合流。専修大学 社協ボランティアセンターへ。20日に立ち上げたNGO連絡協議会は石巻災害復興支援委員会となり、毎日午後7時のミーティングは恒例。代表の伊藤さんの司会の下、冒頭で紹介を受け、県議への当選と今後の決意を述べる。街や民家の泥出しをおこなうマッドバスターズ、炊きだし隊、
リラクセーション、移送サービス、など、各チームからの活動報告の発表。課題などを共有。1点、炊きだし関連で、大分暖かくなってきて心配しているのが食中毒などの問題。冷蔵庫などがいるのではないかとのこと。
泥出し隊も感染症などの心配もでてくる。
それと最上町の温泉脱出作戦のバス。長期スタッフでリフレッシュ必要な人に利用を勧める。
本ミーティングの後に各テーマでのミーティング。その後 、ベースに戻り 就寝。
15日朝。午前7時にNGO ベースでのミーティング。渡波小。温泉行きバス。避難所スタッフの積極的な働きかけもあって39名2台で出発できた。その後、湊中学校。匠君らの炊きだし隊に合流。以前はどろとがれきだらけだったフロアを完璧に掃除されていた。なお、スタッフが掃除を続けていた。そこに湊中が母校で、鶴岡→石巻でずっと動き続けていた淳君が合流。 最近、この近所で被災した若手のみんなでバーベキューをやりながら話を聞くと、まずは仕事がなくて困っているという話がでていたとのこと。
準備を若干手伝ってその後、市役所に。 市長に挨拶の後、市の人事担当者、二次避難対応の職員へ行き、話を伺う。人事担当者から伺えば、石巻市役所では職員が48名、行方不明、死亡という状況になっている。他、被災で家を失った職員も多い。ほとんどがフロアに寝泊まりしている状況。
他県、他市町村からの派遣はとてもうれしい。現在20団体、250名ほどの方々に支援をいただいている。今現在も人手が足りない状況で、特に支所などの助けが必要だ と伺った。
隣県である山形県からおこなうとすれば と伺い、担当のH氏へ直接連絡をいただければいくらでも要請させてたいただく とのこと。
どうも伺ってみると、今、現地で活動している自治体の職員の皆さんは「宮城県から要請がないようだけれど、本当に現地にニーズがないのですか」と市に伺っていただき、人手不足に気がついたところから職員派遣が決定されているのだと伺った。要は積極的に現地に伺いをたてるか、それとも指示待ちをしているかの違いなのだと改めて気がついた。
その後、大街道小の炊きだしの現場などを見てから 帰路。そして僕らは高速で山形県庁に向かった。
3時半。突然だったが面会の時間がとれた吉村山形県知事へ、県議会選挙当選のご挨拶。そして早速だが石巻の職員派遣の現状のリストとともに、山形からの派遣について提案した。その後、災害対策本部 危機管理課へ。人事課の派遣担当のA氏、総務部次長M氏とお会いし、資料をお見せしながら県職員の現地への派遣を提案した。
石巻まで距離にして100キロ、時間にして2時間もあれば行ける距離。もっと隣県の山形から職員の派遣も積極的におこなえないものだろうか。確かに、県内にも避難所があり、その対応もしなければならないのはわかる。でも、被災地のめまぐるしくニーズが変わる避難所などの運営の経験を積んだ県職員の方々や自治体職員の方々が一人でも多くいることが、この山形の災害リスクを低くすることにつながるのだと僕は思っている。 できれば、山形県内からも一般ボランティアが行く主要な被災地に県職員もいるようなことができないだろうか。東北の復興をしっかりと支援していくための現場の情報をリサーチする役割を果たすし、現地にはいる県内ボランティアにとっても心強いのではないか。
と思うのだ。
担当の方には、石巻現地の人事担当のH氏の連絡先をお渡しし、まず連絡をとってほしいと伝えた。
その後帰路。8時半ごろ酒田の妻の実家へ。
今後の2次避難の対応についても「積極性」が試されているように思う。
被災地の隣県の山形県人として、何をすべきか。が今、問われている。
とにかく最善の策をしっかりとやっていきましょう。僕もがんばります。
石巻等、被災地へいってきます。
おはようございます。
本日は、朝の会、市役所前、つじ立ち後、石巻等被災地へいってきます。
周辺調査と当初から動いてきたNGOのみんなとの情報交換。そして親類が被災された元芸工大教授のM先生との情報交換もあり、県政としての災害復興支援の課題、又、我が「鶴岡元気村」の今後の方策を考えるためにも現場へいってきます。本日深夜には一端戻ってくる予定。
連絡は090−4388−3872 草島
当選後、たくさんのメールや電話を頂きながら、まだお返事や連絡ができていない方もいらっしゃり、大変申し訳ございません。
戻り次第、ご連絡させていただきます。何卒よろしくお願いします。
当選証書授与式他。
羽黒橋 112 でのつじ立ち。今朝も車の中からガッツポーズをいただいたり。
事務所にもどって。
みんなで獲得した市民の勝利。鶴岡からはじまる、新しい政治、一歩一歩かたちにして参ります。
その後、肩こりがひどくマッサージへ。終了後、出羽商工会 農業部会へ。終了後若干数名とお茶会。
11時すぎに事務所もどりばったり。
おはようございます。
連日多くの電話、電報、ありがとうございます。
昨日は震災後一ヶ月の菅総理の記者会見。
復興については
1)自然災害に強い地域社会
2)地球環境と調和した、社会をシステムを構築する
3)人に優しい、弱い人に優しい社会をつくりあげる。
進め方としては
原則として
1)被災された地域住民を尊重する
2)政界、官界二限らず、学者、NPOなど、英知を結集して
3)未来の夢を先取りする、未来志向の復興を目指す
全国の英知を集めるため、有識者、知事、復興構想会議をスタートした。
6月を目途に復興の青写真を描いてもらう。
予算や法律を国会で成立させることが必要。
青写真をつくる段階から野党の皆さんにも参加してもらいたい。
復興本部については、あり方を含め、今月中に具体的な姿を提案する。
●原子力事故が、福島原子力発電所で起きた。
自動停止したが、非常用電源が作動せず、事故がおきた。
原子力緊急事態宣言 本部たちあげる。
東京電力、原子力安全保安員 原子力安全委員会
放射性物質の外部への放出を試算した結果、暫定評価はレベル7。
一方で、福島第一発電所の原子炉は一歩一歩安定化に進んでいる。
放射性物質の放出も減少に進んでいる。
地震、津波災害、原子力事故。によって避難生活など大変な不便をおかけしている。農政産物の出荷制限もおこなわれている。
ーーーーーーーーーー等、テレビを見つつ把握をしていた。
昨日の午後5時ぐらいからYBCでおととい収録した座談会の模様が流れていたとのこと。見損ねる。
昨晩は、今回の至上最強のコミットメンツ九名で飲み。感謝感謝の夜。
さて、これから、選挙後3日目のつじ立ち。羽黒橋×112へ。出発!
本日は当選証書授与式が午後から。
おはようございます。山形新聞に掲載。
おはようございます。
昨日、山形新聞メディアセンターでおこなわれた新人県議9人の座談会の模様が山形新聞に掲載されています。どうぞごらんください。
党派を超えて、みなさんの情熱がほとばしる座談会でした。
昨日は、この会のためにつじ立ち以降鶴岡を離れておりましたので、たくさんの事務所、携帯への電話にでることができず失礼いたしました。本日は朝、三川橋 112号でのつじ立ち後、事務所や近所におりますのでよろしくお願いします。
昨日の地震の際は山形市にいましたが、鶴岡で震度4。結構大きかったですね。またも原発の近くで6弱の地震で「50分注水が中断」とのことでしたので、結構心配しました。今後、原発関連については情報をまとめていきたいと思っています。
●復興会議
今朝の新聞に」復興構想会議の新設 のニュース。
委員の中にこれまで諸々ご指導いただいた元東北芸工大の赤坂先生や高成田さんがいらっしゃって少し安堵したが、東北独自の文化性や哲学を活かした「人間の復興」のための絵をぜひとも描いていけるように望むし、機会があれば委員の先生方ともお会いし、僕も意見していきたいと思う。
●
さて、つじ立ちに出発。
市民の勝利 12520名の責任
2011.4.10 山形県議会議員選挙結果
鶴岡からはじまる新しい政治。鶴岡市民の勝利!
自粛ムードの中、正直低投票率に心配しましたが、12520名の鶴岡市民の皆様のご支持を頂き、鶴岡市区、二位という快挙! で当選いたしました。
結果
志田 英紀
60
自由民主党・現
12997票
草島 進一
46
無所属・新
12520票
阿部 信矢
64
自由民主党・現
12300票
菅原 元
60
自由民主党・現
10133票
阿部 昇司
60
民主党・現
9600票
笹山 一夫
68
日本共産党・現
8059票
東北の真の復興のためにも、又、人口減少、超高齢社会に突入する山形県、鶴岡の持続可能な発展のためにも、新しい発想で新しい希望の社会のしくみづくりをおこなう新しい政治に全力を尽くす。絶望や悲しみを希望に変えることこそ政治。 こんな時こそ政治が元気の源。
そのような訴えにご賛同いただき、日々、最善を尽くして下さった、最高のスタッフのみんなをはじめ、諸先輩方、同級生、友人、仲間、今般の被災地に一緒に向かった仲間達、企業の皆様などなど、本当に多くの市民の皆様から支えられての手作りで挑んだ選挙戦でした。
山形県では初の全くしがらみのない無所属市民派、まさに、市民のみんなでつくる、新しい政治の勝利です。公職選挙法の関係で、感謝の言葉やお礼を申し上げることができず、大変申し訳ありませんが、これから、山形県議会議員として、命がけで日々、しっかりと仕事をさせていただきます、どうぞこれからもご支援の程、また、ご指導、ご鞭撻の程、何卒よろしくお願い申し上げます。
12
12520名の市民の皆様にご支持いただき、山形県議会議員に。
草島進一です。4月10日山形県議会議員選挙。正直低投票率に心配しましたが、12520名の鶴岡市民の皆様のご支持を頂き、鶴岡市区、二位という快挙! で当選することができました。
東北の真の復興のためにも、又、人口減少、超高齢社会の突入する山形県、鶴岡の持続可能な発展のためにも、新しい発想で新しい希望の社会のしくみづくりをおこなう新しい政治に全力を尽くす。絶望や悲しみを希望に変えることこそ政治。 こんな時こそ政治が元気の源。
そのような訴えにご賛同いただき、日々、最善を尽くして下さった、最高のスタッフのみんなをはじめ、諸先輩方、同級生、友人、仲間、今般の被災地に一緒に向かった仲間達、企業の皆様などなど、本当に多くの市民の皆様から支えられての手作りで挑んだ選挙戦でした。
まさに、市民のみんなでつくる、新しい政治の勝利です。公職選挙法の関係で、感謝の言葉やお礼を申し上げることができず、大変申し訳ありませんが、これから、山形県議会議員として、命がけで日々、しっかりと仕事をさせていただきます、どうぞこれからもご支援の程、また、ご指導、ご鞭撻の程、何卒よろしくお願い申し上げます。
昨日4月10日は、私の親父、草島 進の誕生日でもあり、集まったみんなでお祝いをさせていただきました。ひさびさにいい親孝行ができました。
昨日、石巻で2週間活動し続けていた仲間も駆けつけてくれて、集まったみんなの前で、現地の報告もしてくれました。
本日はこれから午後7時よりいつもの八文字屋前にて、ごあいさつさせていただきます。どうぞよろしくお願いします。
鶴岡から、新しい社会を切り開く、新しい政治を。 動けば、変わる。信念と行動力。
結果: http://www3.nhk.or.jp/senkyo/k/ka/06/skh0603.html