持続可能な鶴岡ブログ

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月別ア―カイブ: 1月 2013

311から何を学ぶか。庄内・鶴岡に何を活かすか。


1/27、大熊孝 新潟大学名誉教授、澤祥 鶴岡高専教授を招き、私の議会報告会 とシンポジウム311から学ぶ 庄内鶴岡の未来 を開催しました。
大熊先生には、「川とは 日本の川の現状とこれからの川とのつきあい方。」澤先生には、「鶴岡の津波対策」をお話いただきました。お二人ともこれまでの経験から最新の知見を交えた大変示唆に富んだお話をいただきました。
私は 冒頭でこの1年の議会報告をさせていただきました。
シンポジウムは羽黒山伏 星野文紘後援会長を交え、私が進行役となり山伏の自然との向き合い方と防災・自然とのつきあい方という軸で実に興味深い話になりました。
 http://www.youtube.com/watch?v=y0WXXwosM6Y に講演を
http://www.youtube.com/watch?v=wQac4eSVuwE ディスカッションを アップしました。

どうぞごらん下さい。

東日本大震災、被災地再訪


21日、22日と岩手県宮古市田老町、宮城県石巻市を訪れる。
田老町の世界一と称されていた防潮堤。10メートルの高さの堤防は圧巻だったが、311の津波はそれを乗り越えた。185名の命が失われている。新規につくった堤防は破壊されていた。
今後の計画を立てているところだそうだが、更に4m高い堤防をつくる予定だと住民から伺ってうーむ。と沈黙。今、こうした防潮堤が、福島県から岩手県北部まで全域にわたって修復もしくは新規で計画されている。
 
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120909/dst12090900300000-n1.htm 産経新聞では国は来年3月末までに、471地区のうち6割の299地区で着工を目指すが、これまでの着工距離は被災した総延長301キロのうちわずか14%だそうだ。

一体全体でいくらかかるのか。国土交通省東北地方整備局に問い合わせたが、担当は各県になっており把握していない。直轄事業だけはわかるが、、、とのこと。

その後、石巻へ。三遊亭京楽さんの落語会を企画しているopenjapan吉村氏、神戸以来被災支援を一緒に行っている徳恩寺さんらと合流。2000世帯の開成仮設住宅。
22日、午前中少しの間だったが、佑ホームクリニック、石巻医療園 健康・生活復興協議会 を訪問。事務局長 園田愛様、塩澤耕平様にお会いして、取組を取材させていただいた。
佑先生の取組は、被災地から、福祉介護と医療の連携をつくる先端の試み。園田さんから、「鶴岡といえば、ネットフォーユーの取組を先日取材させていただきました」と伺い。改めて鶴岡の医療連携を再評価。私も神戸での事を諸々意見交換させていただいた。

その後、京楽師匠らと東松島市の仮設住宅へ。

落語会の席でお手伝いをさせていただきながら、住民の方々から野蒜小、と浜市小学校の避難と被害の差をお話いただいた。
 体育館の中で洗濯機のようになってしまった悲劇と避難した住民に「校舎に土足で結構ですからどんどんはいって、3階に上がって」と校長が指示し、犠牲を出さなかった浜市小学校。「渡辺校長先生が「土足でいいからどんどん上にあがって!」の声は今でも焼き付いている。と語って下さった。
http://www.asahi.com/edu/student/news/TKY201105090120.html
津波、地震の時に学校はどうするか。改めて問われる。

その後、改めて石巻社協を訪れ、阿部さん、大槻事務局長、森岡事務局次長らと意見交換。
在宅医療で有名な佐久市民病院の長先生が、石巻の医療チームに関わるとのこと。

先日訪れた「フェアトレード」は、大臣表彰を受賞しがんばっているようだし、
被災地からモデルをつくりだそうとしている石巻の医療介護ーNPO連携の今後に期待したいし、隣県から、なにかお役に立てれればと思う。
最後に久々に日本財団の黒沢さんを訪れ意見交換。石巻の災害NGOの立役者と言うべき人
山形県内の事なども含めて、諸々情報交換。
神戸から滞在しているのぶさんと一緒に、あいかわらず、がんばっておられた。






木材の漂着について。医療について 他


昨日は112号線の北改良の竣工祝賀会、その後、雇用関連の取材でハローワークへ。最近の動向を伺いました。ルネサス関連の300名の退職はやはりこの時期としては大きな数字とのこと。求人と求職とのバランスがなかなか合わないとのこと。等、諸々。
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●海岸漂着の木材について。 ニュースでも流れていますが、庄内浜に4から5メートル 直径30cmぐらいの木材が流れ着いています。
県によれば16日に合計32本。17日は合計114本。あわせて146本。

新潟では、「村上市吉浦の海岸から山形県鶴岡市の鼠ヶ関海岸までの約30キロ間で木材83本が漂着、沖合にも71本が漂流しているのを発見した。」とのこと。

いずれにしても漁船など船舶で障害のないように気をつけていただきたいと思います。

県担当には、新潟とも連携して、調査にあたられるよう連絡しました。

船からばらけた感じがするのですが、流出元が判明することを祈ります。これ、判明すれば流出元の改修義務。判明しないと漂着自治体の負担になります。

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本日、お問い合わせ頂き、所有している森林が許可なく伐採されているとの案件の相談をいただきました。施業計画の森林整備計画と、実際の所有地の地図にズレがある様子。1.5時間ぐらい情報交換し、庄内支庁に連絡。
森林所有者の境界については「明確化事業」に現在県も取り組んでいるとのこと。これ、今やることがとても大事な事業と改めて認識。
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●本日は鶴岡市医師会の新年会でした。新茶屋。鶴岡の抱える医療の諸問題。諸々先生方と意見交換できた貴重な機会でした。終末期医療の事。ノロウィルスの事。温泉療法の事。看護士不足の事。ネットフォーユーのこと。慶応と取り組んでいるメタボローム解析と健康診療のこと。(血液と尿をメタボローム解析 2800検体ぐらいやっている。)ふむふむ。明日に活かしましょう。


1.17に思う。


1.17、「神戸」から18年目。6434名の犠牲、そしてあの時からの教訓を活かせているか。改めて問われる日です。神戸は私の人生を変えました。3日間のつもりで救援に行った神戸。1月20日西宮。1月23日神戸。当時、3人で新神戸から4時間かけて御影公会堂まで歩いた、その惨状は目に焼き付いています。御影公会堂で、出会ったバウさん。そしてやりはじめた「神戸元気鍋」づくり。必死に鍋を作ってお椀を差し出すと、涙を流して喜んでくれたお年寄り達。で、3日後、「私は残ります」「はあ?」ということになり、結局当時働いていたらでぃっしゅぼーやを辞め、「神戸元気村」は私の仕事になったのでした。副代表としての3年間。バウさんと共に、被災地でゼロから1をつくる。これを真っ正面に据えて、ほとんど寝ることもパンツを替えることも忘れて動き続けた3週間。「太い今」という瞬間。多くの方々と交わした握手。そんなものが私自身を変えていったのだと改めて思います。
 とにかく今を完全燃焼させる。そこには過去も未来もありませんでした。とにかく「今」の連続だったのです。「草島進一」はそのとき、「会社員」から「市民活動家」に脱皮したのでした。

神戸元気村は、阪神淡路大震災後のボランティアの拠点としては最大規模。1番多い時には150名ものテント村を拠点に、被災者のニーズを踏まえ、時にニーズを先取りし、(時にはエラーもしたけどクリーンヒット連発も)2週間で得約30種類ぐるいのプロジェクトを同時におこなっていました。
神戸の人と一緒に生きよう。と、テント生活150日、その後、公園でのコンテナハウス暮らし1年半。ようやくアパート暮らしと思いきや、重油災害発生につき福井での国民宿舎生活4ヶ月、、、などという日々を送りながら、確実に新たしい文化をバウさん、まっちゃん、吉村夫妻、とーる氏、らと作り上げて行っていた。そのCC(カルチャークリエイティブ)といえばかっこいいか。そんな日々をちょっと思い出しました。
 バウさんは「これをやる。と思い切ればやれるもの」という信念の持ち主でした。人生は自ら開く。それを実践していらっしゃり、本当に多くの事を学ばせて頂きました。

 思えば、「草島進一」が社会に目を見開かされたのはこの18年前の1.17でありました。一つの笑顔をつくるために、お金の枠から完全に外れて、動き回っていました。

 全く自信なき、不良会社員だった私は、世にも珍しいボランティア団体の副代表という職業を生きることになったのでした。そこから、不思議な、そして運命的な出会いと絆がたくさん生まれました。今、その多くの方々に支えられ、今の僕があります。政治への志のベースの大きな一つはこの「神戸」にあります。

 

ノロウィルスに注意を!


昨晩名古屋から戻りました。出張中、父の具合が悪いという電話をもらっており、心配していたのですが、どうも宴会の後、下痢が続いているとのこと。「すわっ、ノロか?」とも思い本日、かかりつけの医師にも相談して急患で荘内病院へ。先生からは「ノロだともっと「がおって」くる患者さんが多いので、ノロではないと思いますとのこと。
しかしながら、血圧を診ていただいて「脱水症状がある」とのことで2時間の点滴で水分を回復し、随分元気を取り戻しました。

荘内病院の先生曰く、「ノロ、今はやっています」とのこと。で、ノロウィルスについては、ネット上でも諸々見解があるようですが、「疑わしい場合は病院に行った方がいい」とのこと。
特効薬は未だないので、2日間ぐらいピークアウトするまで安静にしていることが大事だそうなのですが、特に高齢者の方々は、「脱水症状」が危ないのだということ。先生曰く「ノロで亡くなる人はいないが、ノロに起因する脱水症状で亡くなるんです」ということでした。
 結局うちの父の場合は、点滴を受けて順調に回復しているようですが、もし、激しい嘔吐、下痢が続くようでしたら疑ってみていいようです。かかりつけの医師、また病院へ。

ノロウィルスの対策としては、徹底的な手洗いだそうです。外出したらしっかりと石けんで手を洗う習慣をつけましょう。  はーい(本人)

以上。

2013年の元旦のあいさつ


持続可能な 鶴岡・庄内・山形へ 前進!

あけましておめでとうございます。
皆様にとっていい一年である事を心から祈念いたします。
2011年の東日本大震災から1年9ヶ月が過ぎましたが未だ原発事故は収束できず、約15万人の福島県民は故郷にもどれない状況にあります。
また、津波被害の避難者の多くが仮設住宅で不自由な暮らしを強いられています。
国の政治は年末の選挙で自公政権へと政権交代がおこなわれました。脱原発の結集は残念な結果となりました。
 山形県政、私は今年度は、商工労働観光常任委員会、人口減少問題対策特別委員会に所属して活動をして参りました。
 私は一貫して、3.11を教訓とし、持続不可能な社会から、持続可能な社会への転換を訴え、吉村知事の卒原発宣言を支持し、更に、「原子力ムラ」などの既得権と同様の構造のダム問題に取り組み、真に持続可能な社会のインフラづくりを通じての経済、又、生物多様性など 、自然と共生した経済への転換を訴え続けてきました。

 今年度、再生可能エネルギー元年というエネルギーシフトを大きなチャンスととらえ、如何に産業転換し雇用創出できるか。また、足下の自然の資本を活かして観光や農林水産業、食文化、手業の文化を如何に磨き、新たな経済にすることができるか。

環境経済学会、エネルギー関連の政策学習会などで様々な先生方にお会いし、現場を歩き、政策提言を続けて参りました。
 2013年.持続可能な鶴岡、庄内、山形へ。一歩前へ進む政治を心がけ邁進いたします。どうぞご支援の程また、ご指導、ご鞭撻の程、何卒よろしくお願いいたします。

吉村知事 再選にあたり。


吉村知事が再選。予想はしていたが、無投票再選だった。

私は吉村知事を支持し応援していたので、先ずはおめでとうございます。とお伝えしたい。

農林水産業の再生、トップセールスに加え、全国の知事の中で、嘉田知事とともに二人だけ、「卒原発」を唱えて再生可能エネルギーに力を注ぐ姿勢を大きく評価している。
しかしながら、私はこれまで、小国川ダムの問題などについて反対の立場で討論にたってきた。
これまで全国のダム問題の理不尽と、小国川流域の現場の皆さんとここ8年間ぐらいおつきあいさせて頂いて、絶対にダムなどつくってはならない場所だから、そして、こうした「ダムありき」の構造は、「原子力ムラ」と同様の構造で、これを打破することこそ311の教訓なのだ。と考えてきたからだ。
間違いなく、小国川ダム問題は、生物多様性の山形戦略、そして持続可能な開発への転換への砦だと考えている。
 知事には、より流域の住民の真の声に耳を傾けて頂きたいし、良識ある科学者の声にもう一度耳を傾けて頂きたいと、そして、滋賀県で嘉田知事が成し遂げようとしている「流域治水」「総合治水」の流れをぜひお学びいただき、河川ムラ、ダムムラに支配される構造をなんとか打破して、真の治水を叶えていただきたいと思う。

 昨年は、評論家、佐高信先生に出会えたことが、大変大きな励みとなった。9月に新庄で「最上小国川ダム問題を考える」と題して講演会を開催することができ、多くの方々にこの問題の真相をお伝えすることができたと思う。佐高先生は、「荘内日報」「サンデー毎日」にこの問題を執筆して下さった。そして、年末には、元朝日新聞論説委員の高成田享さんと佐高先生とご一緒に登壇していただき「なぜ知事はダムにこだわるのか!?」シンポジウムを開催することができた。

その中でご発言をいただいた高成田さんは。集会の後、WEBマガジンJBpressで、「ダムの建設を中止して、赤倉温泉の再活性化プラン作りに切り替えれば、大きな話題になるとともに、全国から渓流を楽しんだり、「脱ダム」の視察に来たりする人々でにぎわうだろう。自然と共生する思想は、もはや時代が共有する考え方で、民主党も自民党も第三極もないはずだ。」と書いて下さった。

 自然と共生、そして真に住民の生命と財産を守るには。これまでの発想の転換が必要な時なのだと考えている。
 
 僕は、吉村県政のいいところは徹底的に応援して伸ばしていきたいし、同時に正さねばならぬことは、はっきりと正していく。それが真の県政発展につながると考えるからだ。

是々非々で、ひたすらに、自然と共生し、持続可能な社会へ進む政治をとりくみたい。


田中正造、南方熊楠とナチュラルステップ、そして出羽庄内。


私達はどこに向かうべきなのか。
2013年、年頭。改めて、これからは、刹那的な景気浮揚などの成り行きに任せたフォアキャスト的な発想では立ちゆかず、確実に何を目指すか。そのポイントからバックキャストして今からの一歩一歩を行動して、そのポイントに向かう事でなければならない。

深夜。NHKで田中正造と南方熊楠をとりあげた特集の再放送をやっていた。
明治時代に自然との共生思想を説き、時代に闘った二人の思想や行動は今、ポスト311を生きる私達に重要な示唆を与えてくれる。

田中正造は、足尾銅山の鉱害を国会で訴え続け、後に国会に失望し議員を辞職し、その後、谷中村に入り、渡瀬川を歩き、水害調査途中、71才 倒れている。


水は自由に高きより低くに行かんのみ
水は法律理屈の下に屈服せぬ
水は人類に左右されるものでない。
水は誠に神の如きもので
人類 誠にへぼな人類なぞの
きめた事に服従はしない

真の文明は
山を荒らさず
川を荒らさず
村を破らず
人を殺さざるべし

そして南方熊楠は神社合祀令による村の神社の解体、神木の伐採の動きに反対した。

そもそも日本にエコロジーを「エコロギー」と伝えた方だ。

自然と人の心。自然と神との関係性を説いている。

二人とも、あくまで民の側に付き、敢然と政府の自然破壊に立ちむかっている。

二人の意思や目指す日本型エコロジー思想を受け止めつつ、現実として最上小国川ダムについて絶対建設反対、ダムに依らない治水を叶えることことそ、赤倉温泉や流域地域の真の発展の方策だと改めて訴えたい。
ポスト311を乗り切る僕らは、大いにこの思想、行動を受け止め、今を生きる人、次世代に継承せねばらないと改めて感じた。

では一体 どんな社会を目指すべきなのか。


そして、冒頭のバックキャスティング型で考える目標は「持続可能な社会」だろう。改めてこれも示しておきたいが、これには4つの判断基準がある。

1)地殻から掘り出した物質の濃度が増え続けない
2)人間が創り出した物質の濃度が増え続けない。
3)自然が物理的に劣化しない
4)人々が満たそうとする基本的なニーズを妨げない。

である。この判断基準を満たすのが持続可能な社会だ。その方向を考えていったら、原発やダムは明かに論外ということになる。私は、2008年、鶴岡に訪れ、講演をしていただいたたスウェーデンナチュラルステップ ESAM のグンナルブルーンディーンさんらに、実際にこの4つのシステム条件をまちづくりの基本指針に掲げて、その社会を目指している自治体があり、5月にその国際会議があるということを伺った。そして、その会議に鎌仲監督と一緒に訪れたのだった。実際77のスウェーデンの自治体がその羅針盤を持ち、運営している。そしてカナダのウィスラー市など国際的にその動きが広がっていた。
 僕はそのとき一つの確信を得たのだった。我々が進むべき道はこれだ。と。

2011年3月11日の震災と原発事故を受けて、今、改めてそのサスティナブルな社会への道へ、いよいよ持続不可能な社会を持続可能な社会へと転換する。それを今こそやるべきだと。改めて思っている。

環境の3要素、化石燃料からの脱却、化学物質依存からの脱却 生物多様性の尊重は、実は経済を持続可能なものにするために重要な要素だ。ナチュラルキャピタル(自然資本)は改めてカウントされなければならない。

そして社会のあり方として、多くの方々が平等にチャレンジができる社会にするように、人々の基本的なニーズとは 生命維持の他に保護、愛情、理解、自由、参加、創造、休養、アイデンティティ、と全部で9つのニーズがあり、それを満たすことを妨げないことと、ナチュラルステップでは定義づけしている。この9つのfundamental needs はチリ在住の経済学者、マンフレッドマックスニーフによるものだ。

今、ひたすらに、持続可能な社会への転換を訴えたい。

草島進一 2013.1.3




ラムサール条約の下池での野鳥観察会


1月2日早朝はここ毎年恒例で、大山下池に出かけている。尾浦の自然を守る会を立ち上げたときから続く野鳥観察会があるからだ。6時半集合に、10分ほど遅くなったが、観察小屋に近づいたところで、グアグアと声を上げながらオオヒシクイの編隊が飛び立った。その後5回ぐらいに分け50羽程。このオオヒシクイの飛び立ちを初めて観たときはその迫力に大いに感動した。その迫力は今も変わらず、野生の力強さを感じずにはいられない。 先ずはこのオオヒシクイの飛び立ちがメインプログラムなので、なんとかミッション達成。その後、上池のほとりに住んでいらっしゃる太田さんに今年の周辺状況を伺う。白鳥1000羽。今年は特にカモ類が1000ぐらいと少ないのだそうだ。しばらくして、「オジロだ!」との声に双眼鏡を向けるとと、優雅に飛ぶオジロワシ。周辺ではアトリの群舞や、シジュウカラも観ることができた。
 ここは2008年ラムサール条約指定湿地になっている。太田さんをはじめ、尾浦の自然を守る会の皆さんの努力の賜物だ。
 さて、生物多様性地域戦略の策定の委員会が昨年12月25日に初会合としてはじまっている。
ラムサール条約指定湿地のある鶴岡から、生物多様性のモデルを提示していかねばならないという思いからも昨年の9月の予算委員会質疑で取り上げた。
 
豊かな経済を育むためにも、地域の宝である自然を破壊する時代ではない。まさに自然資本(ナチュラルキャピタル)というものに目を向けながら、それを如何に磨き、活かすか、そのところは僕が掲げる持続可能な社会を構成する大きな要素だと考えている。

太田さんとは、安倍政権の不安。311以降の原子力ムラをはじめとする「ムラ」構造からの脱却。御用学者の問題など諸々意見交換。水野さんからは、貴重昆虫、植生についてなど、貴重なご示唆をいただいた。今後ともご指導を賜りたい。

謹賀新年


大晦日、昨年に引き続き、京都大心の未来研究センター教授の鎌田東二先生とともに出羽三山神社の松例祭へ。若い衆と混じり大明綱ひき。国分け神事。その後、午前3時。出羽三山神社の歳旦祭で玉串拝礼し、年が明けました。

2013年。あけましておめでとうございます。

私達はポスト311の新しい社会をつくらねばならない、大きなターニングポイントといえる時を
今、過ごしています。時の政権がどうあれ、地球温暖化、ピークオイル、生物多様性の消失、そして日本では人口減少社会、少子高齢化、景気の低迷。これまでの時代には解らなかった諸課題を乗り越え、いかに持続可能な社会を実現していくか。いかにサスティナブルな社会を実現していくか。が至上命題であると考えます。
 原発事故。大規模な放射能汚染。ハード整備だけでは防ぎきれなかった津波による犠牲。その教訓が生きた社会にしなければ。そしてこの数十年にわたり、日本国土の生物多様性が消滅し続けてきた。その教訓が生きた社会にしなければ。私達の生存さえ、命さえ危惧されるのです。
 そして、経済も、刹那的な、今、一握りの方々だけが、享受される豊かさだけでいいのか、もう一度考えねばなりません。多くの方々が信頼の絆の元で豊かさを享受できる社会、次世代にもツケだけがまわるような事ではない社会を目指す経済を打ち立てていかねばならないと思います。

2013年。お山と向き合うところから、出羽庄内、山形県の真の発展のために、持続可能な未来をつくることを目標に、しっかりと歩み続けることをお誓いし、年頭のごあいさつといたします。
どうぞ今年もよろしくお願いいたします。