持続可能な鶴岡ブログ

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月別ア―カイブ: 1月 2016

日本の河川の民主主義


1991年。東京でデモがあった。当時、全国に残るダムのない一本の美しい大河、長良川を守ろう。河口堰建設反対!を訴えるものだった。写真は東京デモの宣伝看板。当時26歳の僕が生まれてはじめて参加した初めてのデモだった。天野礼子さんや椎名誠さん、野田知佑さん、夢枕獏さん、立松和平さん、近藤正臣さん、CWニコルさんらがよびかけていた。僕らはその後、毎年、時には年に数回、長良川現地の河川敷でカヌーデモや大規模集会に結集した。カヌーデモの仲間で長良川や気田川、那珂川を毎週のように下るのが当時の唯一の楽しみだった。 長良川の河口堰は建設されたけれど、この長良川の闘いを教訓に1997年、河川法が変わった。住民参加と環境が加わった。住民投票運動で吉野川の河口堰建設は住民が止めた。いくつかのダム建設は止まった。このときも一人一人の市民の力は微力だったかもしれないが、一つの社会現象をつくりだし、良心のある官僚の心を動かし、頑固な国の政策を変えたのだ。

 しかしながら河川には、原発推進の原発ムラがあるように河川ムラがあるようで、川の民主主義を未だ羽交い締めする。多数工作により科学的真実が未だにねじまがっていて、真実の言葉を排除してしまう政治がまかりとおっている。手遅れになる前に真実を多数化しなければならない。戦後70年の立憲デモクラシーも、平和主義も、今大きなピンチを迎えている。今、空気に流されず、真実を見、信念をもって行動すること。か。

 ちなみにキャンプが得意なカヌーデモ仲間は95年阪神淡路大震災の現場にも当初に駆けつけてくれ、実に頼りがいがあった。災害の立て直しも世直しも同じなのだ。今もかけがえのない仲間だ。写真は今も行動を続けている仲間がUPしてくれた。僕もがんばろう。

 

 


立憲か、非立憲か。しっかり正すべきだ。


立憲か、非立憲か。つまり、これまで70年続いてきた憲法遵守の政治か、憲法を乗り越え、人に立つナチスのような独裁政治か。ということ。安保法制も、1/3の国会議員が求めても年明けまで国会を開かない事も憲法違反。もはや、現政権は旧来の自民党がかかげてきた保守政治ではなく革命政治なのだ。これが問われている。
 
今日(1月5日)の国会論戦。代表質問だから割と一方通行になっているが、野党はいいとこ突いていたと思う。
 
●安保法制 =憲法違反
●国会を開かなかったこと =憲法違反
●1100万人もの高齢者への3万円給付がおこなわれるのが5月か6月の参議院選挙の直前=税金を使った、あからさまな選挙対策では?
●  軽減税率 導入の根拠1兆円の財源の根拠がわからない。
●従軍慰安婦問題=自らの言葉で一切話さない。
 
これに対して安倍総理は答弁していたが、いつもながら論点はずし、答えにならない答弁だったと思う。
 
 
以下、朝日新聞 天声人語1月6日に共感する。
 
▼開幕した通常国会を「未来へ挑戦する国会」と命名し、参院選後の改憲もうかがう。思えば去年も、首相は「戦後以来の大改革の断ログイン前の続き行国会」と位置づけ、立憲主義を壊すとの多くの批判にも耳を貸さず、安保関連法を成立させた。「変える」ことへの前のめりな姿勢は引き続き健在のようだ▼こなた、主催者発表で5千人が昨日の東京・新宿駅西口を埋めた。安保法廃止と立憲主義の回復を求める「市民連合」が催した「新春大街宣」である。老若男女、多様な参加者らが上げた声の基調は、変えることを「止める」だった
▼思想家の内田樹(たつる)さんが語った。政権は国のかたちの大転換を急ぎ、暴走している。人々はあまりに速い変化に不安や危機感を抱いている。いま一番大事なのは「止めること、我々自身も立ち止まることだ」と▼映画作家の想田和弘さんも訴えた。仮に日本でテロが起きた時、「やられたらやり返せ」の声が社会を席巻するかも知れない。「その流れにストップがかけられるか」。これも重い問いだ▼止めるか、変えるか。二つの始動の風景が改めて教えるのは、立憲か、非立憲かという対抗軸である。首相の立憲主義観はいかなるものか。野党は国会論戦を通じて体系的に引き出し、国民に端的に示す責任がある。
 
 
 

新春探鳥会と自然保護運動


2016年1月2日。午前6時。大山 下池。毎年恒例の探鳥会にでかける。太田威さんがおられた。1998年帰郷の際太田さんと一緒に行ったのが下池から流れる小川からの生き物救出作戦だった。その後、都沢湿地7haが加茂新トンネルで造成される事を止めるために立ち上げた尾浦の自然を守る会の活動。その活動の中で私達は日本雁を保護する会の呉地さんや岩渕先生と出会い、ラムサール条約湿地指定の情報を知り、それを市議会ではたらきかけたりした。当時は2800羽のオオヒシクイ(天然記念物)と鴨60000羽。などが特筆すべき野鳥の飛来があり環境省重要湿地100選やラムサール条約指定湿地としても申し分ないものだった。その運動の傍らではじまったのが毎年新春の探鳥会。以前はオオヒシクイが明け方直前に飛び立つのを楽しみに集まっていた。僕は何度か力強い飛翔を見て感激したし、時に寝坊してそれを逃してしまった時は実に悔しい思いをした。

 今日は穏やかな日だった。水野さんやいつもの方々が集まり、それぞれ双眼鏡で野鳥を観察。白鳥が湖面全体に拡がっていて鴨がたくさんいた。「鴨の中に、ミコアイサ、カワアイサが数羽混じっていて見ることができた。お、いたぞ、●●●●」という声に一斉にそちらに双眼鏡をむけるとしっかとそれは視界に収まった。昨年はオジロワシが姿を見せた。今年は暖かすぎて厳しい。残念ながら雁類が力強く飛び立つシーンは無理だったが途中、二羽だけオオヒシクイが湖面を横切ってこれは見ることができた。

太田さんと水野さんに昨今の自然の状況を伺う。太田さんは海洋環境の問題を指摘した。鱗がはがれたようになっているクロダイを何匹も発見したとのこと。太田さんは環境ホルモンやマイクロプラスチックの話題を挙げ海洋環境の変化を指摘された。尤もだなと感じた。また大山周辺の森林伐採の中で貴重な草木が伐採されたりしている事も知ることができた。自然豊かな鶴岡であることは確かだ。しかしこの足下の環境も実は昔ながらの姿がどんどん消滅してしまっているということだ。

持続不可能への道は知らず知らずのうちに進んでしまっているのだということ。

そして、太田さんや水野さんのように実態把握をしっかりと行い、行政施策に対してしっかりともの申すことの重要性を改めて感じた。一度失っては二度ともどってこないのが自然環境なのだ。そもそも僕が志した政治の立脚点はそこにある。

数年前に地元の理解者がでてきたのと、行政担当者も学んでくれたようで、大山下池上池のラムサール条約指定は叶った。湿地公園をワイズユース(賢い利用)するための「ほとりあ」も建設され、今いろんなイベントがおこなわれている。県議時代に生物多様性の地域戦略について諸々行政担当者と意見交換してきた。開発行政の前でなかなか規制や縛りをかけることが難しいことを実感した。しかしながら、今、改めて言いたいのは,愛知会議で決議されたようにこれ以上生物多様性が失われないように、むしろ生物多様性が+にはたらくように行動する事が求められているのだからせめてノーネットロスを大原則にしなければならない。太田さんや水野さんのような先輩が庄内にいたから守られてきた自然環境があるということを改めて感じなくてはならないし、そしてそうした方々の偉業を僕は伝え、そしてその継承をしていかなくてはならないその使命を感じた。

持続可能な地域社会を目指す、みどりの政治の一つの柱は、生物多様性の保全 ノーネットロス。ここに僕は立つ。改めて再認識できた本日の探鳥会だった。


2016 1.1新春に。水の如く


2016年 皆様 明けましておめでとうございます。

大晦日と年明けは出羽三山神社の松例祭。今年は全く撮影だけと思って行ったのでしたが補屋に行くと「今年は?え、走らないんですか?」と諭され、ウケタモウとなり大松明引きの一員に。とにかく一生懸命走りました。まだなんとか走れる自分にちょっと嬉しさを感じつつ終了。新しい年が明け、その後国分神事。穏やかな夜。結構な参拝者がいらっしゃいました。後で伺いましたが観光バス七台も来ていたとのこと。いつもながら素晴らしい祭り。そして3時から合祭殿で歳旦祭に参列、玉串を奉納し今年がスタートしました。

 昨年2015年4月。再選を期した山形県議会選挙で落選。暗中模索の中、介護職員初任者研修を受け、8月から定員12名のデイサービス「ハビビ伊勢原」の管理者・生活相談員として介護現場で修行中。ケアの傍ら戦争体験など、大先輩の皆様からもう一つの鶴岡を学ぶ日々です。

 9月の安保関連法「戦争法」の強行採決。福島が収束しないままの原発再稼働。戦後70年にして、憲法違反の安倍政治の暴挙が続いています。権力が操作する「空気」に支配され、この国は戦争をはじめ、持続不可能な社会へ突き進んでいるように思えてなりません。

この「空気」に対して、私は、改めて水のようでありたいと考えます。

常に真実を流れ、時に熱を冷まし岩をも砕く水に。

今は現場に徹し力を蓄え、自然と共生、いのち優先の持続可能な鶴岡へ、一歩前進して参りたいと存じます。


    今年もどうぞよろしくお願い申しあげます。