庄内の防災ー庄内平野東縁断層帯は発生確率Sクラス。
8月21日、道田町町内会で防災の講演をおこなわせていただきました。この4月24,25日に現地で活動した熊本地震現場の様子を伝えつつ、地域の皆様の防災意識に働き掛けられるようにするには。と結構諸々考えました。
そしていきついたのは、最近になって(8月19日!)リスクの表し方が変わった地震確率が高い場所にある庄内平野東縁断層帯の話。そして昭和39年の新潟地震。更に今年阪神淡路大震災から21年に5000名もの犠牲者の詳細データを分析した結果から導き出した災害実態からの防災対策。熊本地震の現場の倒壊家屋と避難所。テント支援、重機ボランティアなどボランティアの実際の現状。こうしたものを軸に組み立てお話させていただきました。
当日のレジュメは以下です。
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防災講演会 2016.8.21
道田町町内会 資料 草島進一
1)熊本地震の現場より。
・4月14日21時26分、熊本県熊本地方を震央、震源の深さ11km、M6.5の地震発生 熊本県益城町で震度7(日奈区断層帯)
• 4月16日1時25分(28時間後)には、震源の深さ12km、M7.3の地震が発生、熊本県西原村 益城町で震度7(布田川断層帯)
●88名死亡(直接死50名)避難者183,883人 4ヶ月後 1752人
●全壊家屋8,125棟、半壊 28,424棟、一部破損 約13万棟
震度7 2回の益城町 2度目の地震で家倒壊、死亡家族も
2)鶴岡は安全か? 30年確率6% Sランクの庄内平野東縁断層帯。
鶴岡 田川地区 被害想定
建物全壊 8,546人 半壊 1,7083人
死者 446人 負傷者 4,795人
避難者 16,716人
3)思い出してみましょう 52年前 新潟地震 M7.5 震度5の被害
4)阪神淡路大震災から21年からの教訓
(5036名の死体検案書から見えてきたこと NHKスペシャル)
●家屋倒壊 圧死(即死)は7% 窒息死を防ぐ 住宅の耐震化
家屋倒壊、家具転倒による 窒息死を避けるために。
→耐震診断。家具転倒防止 要援護者の家屋倒壊からの近隣の救援を。
●通電火災 対策 感震ブレーカーの普及を
5) 共助 公助 避難所対策 災害ボランティアの実際。 今後の課題
エコノミークラス症候群 2004年中越大震災で7名 熊本地震で1名死亡。
震災関連死を防ぐ。 → テントプロジェクト 貴重品掘り起こし 福祉避難所
要援護者(高齢、一人暮らし、障がい者支援)マップ作り、共有など
▽9月25日 道田町 防災訓練 午後1時〜 ぜひご参加を
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今般、庄内平野東縁断層帯と新潟地震について、改めて調べて気づかされることがたくさんありました。
まず52年前の新潟地震について、私は生まれる直前で体験をしていません。しかしながら道田町の公民館にその日集まった多くの諸先輩方が小学生だったり中学生だったりしており、色々と当時のお話をいただいたのでした。
新潟地震については、当時京田幼稚園で犠牲になったの3名の幼児の慰霊祭には何度か参加させていただいておりましたが、図書館で荘内日報社や山形新聞のの当時の記事や動画を改めて咀嚼しました。庄内地方で9名が亡くなっています。それと以前私の県政報告会でご講演をいただいた高専の澤先生から、「実は新潟地震の際、酒田の方が震度が大きかった」という事を伺っていました。震源は粟島沖。
更に昨日、鶴岡市マリカ東館でおこなわれた「どうする!庄内!最近の災害から防災を考える」市民サロン『活断層が起こした熊本地震 -活断層:庄内平野東縁断層帯は 大丈夫なのか?-』 に参加し、改めてこの地震、酒田市で震度6、そして断層型地震であったことを澤先生の講演から伺いました。
今後の庄内平野東縁断層帯の地震を考える際、新潟地震の記憶をたどることが大変有意義だということを再確認しました。
澤先生 からは、庄内平野東縁断層帯の 30 年地震発生 確率は、0~6%で地震発生確率が高いグルー プに属し、主要活断層 97 のうちワースト 16 位。一方、2016 年熊本地震の震源であ る布田川断層帯の 30 年地震発生確率は、0 ~0.9%でワースト 60 位と庄内の活断層より も低い値ですが地震がおきたの情報が事前のちらしでも発信されておられました。
今般、地震確率の表記がこの8月19日に変わったことも踏まえて、地震への危機管理を強めていくことが大切です。庄内平野東縁断層帯はクラスSに属し。特に庄内南部が30年確率6%と高いのです。
断層帯の資料を詳しく見ていくと北部はほぼ0%、南部は6%とあります。このことを改めて伺うことも昨日できました。要はこの断層帯にたまったひずみが北部は明治27年 1894年の庄内地震の際にリリースされたという推測に基づくのではないか。とのことでした。先生はしかしながら、学会内でこの論点に反論もあることを伝え「だからといって北部で安心出来る問題でもない」とのことでした。
地震災害の備えとしては、外傷性窒息、圧死を来す家屋倒壊を防ぐ家屋の耐震。家具の固定。それから阪神大震災21年目にして明らかになってきた通電火災の対策。 このことを町内でも強く訴えかけさせて頂きました。
他、福祉避難所をはじめ避難暮らしの改善も急務と思います。中越地震の際から実際におこなってきたテントプロジェクや、現地で最も活躍している重機ボランティアについても若干ですがお話させていただきました。避難所の風景はこの21年間どこまで改善されているのかもいつも突きつけられる課題。私達は阪神淡路の体験を下に、プライバシー対策やエコノミークラス症候群対策として、テントを使って頂く試みに中越地震の際から取り組んできました。先般これはBe-pal8月号に掲載頂きました。また、この9月9日におこなわれる「避難所ー避難生活学会」で発表させていただくこととなりました。
地域の防災。最新の知見や経験知を下にしっかりとすすめていきたいものです。
私としては、今後、新潟地震の皆様の体験を集めていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
天皇陛下のお言葉に、憲法を空語にしない姿勢を学ぶ。
8月8日、午後3時。天皇陛下のお言葉を施設で利用者の皆様とともに拝聴しました。
象徴としてのお務めについての天皇陛下お言葉(全文)
戦後70年という大きな節目を過ぎ,2年後には,平成30年を迎えます。
私も80を越え,体力の面などから様々な制約を覚えることもあり,ここ数年,天皇としての自らの歩みを振り返るとともに,この先の自分の在り方や務めにつき,思いを致すようになりました。
本日は,社会の高齢化が進む中,天皇もまた高齢となった場合,どのような在り方が望ましいか,天皇という立場上,現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら,私が個人として,これまでに考えて来たことを話したいと思います。
即位以来,私は国事行為を行うと共に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し,更に日々新たになる日本と世界の中にあって,日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考えつつ,今日に至っています。
そのような中,何年か前のことになりますが,2度の外科手術を受け,加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から,これから先,従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合,どのように身を処していくことが,国にとり,国民にとり,また,私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき,考えるようになりました。既に80を越え,幸いに健康であるとは申せ,次第に進む身体の衰えを考慮する時,これまでのように,全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが,難しくなるのではないかと案じています。
私が天皇の位についてから,ほぼ28年,この
天皇の高齢化に伴う対処の仕方が,国事行為や,その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには,無理があろうと思われます。また,天皇が未成年であったり,重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には,天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これまでにも見られたように,社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,重い
始めにも述べましたように,憲法の
国民の理解を得られることを,切に願っています
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A major milestone year marking the 70th anniversary of the end of World War II has passed, and in two years we will be welcoming the 30th year of Heisei.
As I am now more than 80 years old and there are times when I feel various constraints such as in my physical fitness, in the last few years I have started to reflect on my years as the Emperor, and contemplate on my role and my duties as the Emperor in the days to come.
As we are in the midst of a rapidly aging society, I would like to talk to you today about what would be a desirable role of the Emperor in a time when the Emperor, too, becomes advanced in age. While, being in the position of the Emperor, I must refrain from making any specific comments on the existing Imperial system, I would like to tell you what I, as an individual, have been thinking about.
Ever since my accession to the throne, I have carried out the acts of the Emperor in matters of state, and at the same time I have spent my days searching for and contemplating on what is the desirable role of the Emperor, who is designated to be the symbol of the State by the Constitution of Japan. As one who has inherited a long tradition, I have always felt a deep sense of responsibility to protect this tradition. At the same time, in a nation and in a world which are constantly changing, I have continued to think to this day about how the Japanese Imperial Family can put its traditions to good use in the present age and be an active and inherent part of society, responding to the expectations of the people.
It was some years ago, after my two surgeries that I began to feel a decline in my fitness level because of my advancing age, and I started to think about the pending future, how I should conduct myself should it become difficult for me to carry out my heavy duties in the way I have been doing, and what would be best for the country, for the people, and also for the Imperial Family members who will follow after me. I am already 80 years old, and fortunately I am now in good health. However, when I consider that my fitness level is gradually declining, I am worried that it may become difficult for me to carry out my duties as the symbol of the State with my whole being as I have done until now.
I ascended to the throne approximately 28 years ago, and during these years, I have spent my days together with the people of Japan, sharing much of the joys as well as the sorrows that have happened in our country. I have considered that the first and foremost duty of the Emperor is to pray for peace and happiness of all the people. At the same time, I also believe that in some cases it is essential to stand by the people, listen to their voices, and be close to them in their thoughts. In order to carry out the duties of the Emperor as the symbol of the State and as a symbol of the unity of the people, the Emperor needs to seek from the people their understanding on the role of the symbol of the State. I think that likewise, there is need for the Emperor to have a deep awareness of his own role as the Emperor, deep understanding of the people, and willingness to nurture within himself the awareness of being with the people. In this regard, I have felt that my travels to various places throughout Japan, in particular, to remote places and islands, are important acts of the Emperor as the symbol of the State and I have carried them out in that spirit. In my travels throughout the country, which I have made together with the Empress, including the time when I was Crown Prince, I was made aware that wherever I went there were thousands of citizens who love their local community and with quiet dedication continue to support their community. With this awareness I was able to carry out the most important duties of the Emperor, to always think of the people and pray for the people, with deep respect and love for the people. That, I feel, has been a great blessing.
In coping with the aging of the Emperor, I think it is not possible to continue reducing perpetually the Emperor’s acts in matters of state and his duties as the symbol of the State. A Regency may be established to act in the place of the Emperor when the Emperor cannot fulfill his duties for reasons such as he is not yet of age or he is seriously ill. Even in such cases, however, it does not change the fact that the Emperor continues to be the Emperor till the end of his life, even though he is unable to fully carry out his duties as the Emperor.
When the Emperor has ill health and his condition becomes serious, I am concerned that, as we have seen in the past, society comes to a standstill and people’s lives are impacted in various ways. The practice in the Imperial Family has been that the death of the Emperor called for events of heavy mourning, continuing every day for two months, followed by funeral events which continue for one year. These various events occur simultaneously with events related to the new era, placing a very heavy strain on those involved in the events, in particular, the family left behind. It occurs to me from time to time to wonder whether it is possible to prevent such a situation.
As I said in the beginning, under the Constitution, the Emperor does not have powers related to government. Even under such circumstances, it is my hope that by thoroughly reflecting on our country’s long history of emperors, the Imperial Family can continue to be with the people at all times and can work together with the people to build the future of our country, and that the duties of the Emperor as the symbol of the State can continue steadily without a break. With this earnest wish, I have decided to make my thoughts known.
I sincerely hope for your understanding.
以上 宮内庁HPより引用
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多くのTVで解説がおこなわれており、TBS毎日では午後7時から9時まで特集が組まれていました。皇太子時代、美智子様とともに、孤児院では子供の目線になり、被災地では被災者と目線に合わせて正座して傾聴する姿勢、1964年の東京オリンピックの際に第二回パラリンピックを名誉総裁として努められ、その次の年からの全国身体障害者スポーツ大会のきっかけをつくっておられることが紹介されていました。その後、皇太子殿下として訪れた沖縄、又戦後50年の節目に始まった両陛下の慰霊の旅。長崎、広島、沖縄を経て、60年のサイパン、昨年のパラオに続き、71年を迎える今年、激戦地であったフィリピン戦地を訪れ祈りを続けておられる姿を改めて感じとることができました。
「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました」「天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において,日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共に
というお言葉や、これまでの行動に感じる事は、戦後の「日本国憲法」に定められた「象徴天皇」を「空語」にしない、実践の姿勢を一貫しておられる事ではないかと感じています。
今回語られた生前退位については、国民の意思を踏まえた上での国会での議論になるでしょう。真摯に現憲法を遵守し、象徴天皇への希求と日々の実践をされてこられた天皇陛下の姿勢を決して崩すことなく、その率直なお言葉を受け止めての真摯な議論が必要なのだと思います。
第10章 最高法規