鶴岡市上下水道部料金収納等業務委託 プロポーザル選定関連業者の不祥事への対応について 申しいれ
鶴岡市上下水道部料金収納等業務委託 プロポーザル選定関連業者の不祥事への対応について
本日午前8時。以下の申しいれを文書でおこないました。
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2016年11月29日
鶴岡市長様
鶴岡市上下水道部長様
鶴岡市上下水道部料金収納等業務委託
プロポーザル選定関連業者の不祥事への対応について
11月28日付け朝日新聞、NHK、他の新聞報道で、
「水道代を過徴収、無断放水で帳尻も 岡山の検針委託業者」
「水道メーターの検針ミス 発覚防ぐため無断で放水」
の報道がありました。問題をおこした業者は、今年鶴岡市がプロポーザルで選定した同業者「第一環境」(本社・東京)の岡山営業所であります。(7月27日発表)
報道にある「使用量を多く読み取り、料金を過徴収していた。うち2件では、社員が長期不在の契約者宅の敷地内に入り、前回検針で誤った値まで使用量を増やすため、庭の散水栓から水を流していた。前回検針で誤った値に使用量が増えるまで待ったケースも2件あった。」とは、ライフラインとして命を預かる最も重要な公共サービスとしての水道行政に対する国民の信頼を完全に失墜させる極めて悪質なケースであると考えます。それとともに公共サービスとしての水道事業の業務を民間事業者に委託することのリスクを表面化させたケースであると考えます。
鶴岡市民のライフラインとして公的責任をもって運営されてきた鶴岡市水道の水量料金収納業務委託業者として、この社の東北支社の選定が適切なのか、またこうしたリスクが伴う民間委託そのものが適切なのか大いに疑問であります。
先ずは同業者からの市民への説明を求めるとともに鶴岡市上下水道部料金収納等包括的業務委託プロポーザル選定委員会、また鶴岡市行政としての再考を促すものであります。
以上
持続可能な社会へ。定義を踏まえて前進を。
パタゴニアツール会義に参加して、環境保護等の活動家の皆さんや講師の方々と一緒に議論しあい、自分達が抱える問題を深く掘り下げながら戦略を練りました。10年先のビジョンを掲げたとき、多くの団体が「持続可能な地域社会」を掲げていたように思います。私もダム問題を単なる反対運動に矮小化されたくなくて、模索し「持続可能な社会の定義」を産み出したスウェーデンのNGOナチュラルステップに出会いました。
以前、このブログに書いた論考ですが、改めてピックアップし、「持続可能性の定義」を踏まえておきたいと思います。よろしかったら参考にしてください。
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最近、僕はこうした、持続不能な経済に陥ってしまおうとする大きな流れをいかに、本来の流れに再生させていくかの糸口を探り続けてきた。それに、これは月山ダムの水道事業が直面している難問であるが、「人口減少」時代へ大きく舵をきった社会でどうするのか。ということも。
そんな暗中模索の中で、スウェーデンの環境保護団体、ナチュラルステップに出会った。「持続可能な社会」への判断規準を定義づけ羅針盤とするコンセプト。 そのコンセプトというのは、まずは、科学の原則のような話からはじまる。
1) 物質とエネルギーはなくなることはない。
2) 物質とエネルギーは拡散する傾向がある。
3)物質は物質の濃度と構成だといえる
昨年の3月に鶴岡で講演された、ナチュラルステップの理事で、特に、この20年間、スウェーデンのエコ自治体運動に取り組んできたリーダーである、グンナルブルンディーン氏は、
「ガソリンタンクが空になったとしても、それがなくなったわけではなく、大気上に拡散されたのだということ。湯船にいっぱいの水にインクをたらすと、ずっと拡散をしてインクとしては使えなくなる。
この法則は自然の法則なので、これを議会が変えようとしても無理なことなのだ。
でも世界を見ているとこれが変えられると勘違いしている政治家もみられるようだが、、、。 と解説してくれた。
それをふまえた上での以下の4つがナチュラルステップのフレームワークだ。
1)地殻から掘り起こした物質の量が増え続けない
2)人間がつくりだした物質の量が増え続けない
3)物質循環の基盤となる自然が物理的に劣化しない。
4)人々が満たそうとする基本的なニーズを妨げることをしてはいけない。
そして、その4の基本的なニーズ(human fundamental needs )というのを概念化したのが、
マンフレッドマックスニーフというチリの経済学者だ。
彼の論考は次のようなものだ。
開発の目的は基本的な人間のニーズの満足であるに違いありません。(人間のニーズは人類のニーズだけではなく、また、存在のニーズでもあります)。 私たちは、「生計維持」がすべてのための不自由しないほどの収入、栄養、住宅、および仕事で満たさなければならない基本的な人間の欲求であることを決して否定するつもりではありません。
しかし、また、私たちは、保護、愛情、理解、参加、レジャー、創造、アイデンティティ、および自由がまた、基本的な人間のニーズであると考えます。
私たちの窮迫している開発モデルは生計維持に主に関係がありました。 しかし、そのようなモデルが経済効率の宗教と市場の魔法により支配されて、彼らは人類の大部分の災いを犠牲にしていくつかの満足を飽和状態にし過ぎました。しかし、基本的な人間のニーズは満たせているでしょうか? 」
と説いている(オルタナティブ ノーベル賞授賞式での講演にて)
生命維持(食、住宅、仕事)、保護、愛情、理解、参加、レジャー、創造、アイデンティティ、自由 という9つの基本的なニーズを満たすことを人間のニーズとして示したマックスニーフ。
彼は、13年にわたり第三世界の貧困社会の場に身をおいて、「裸足の経済学」としてリアルエコノミーを提唱した経済学者としてスウェーデンなどではよく知られる経済学者なのだと聴いた。
彼の説には、こうした説がある。
「GDPの成長は、経済発展の初期の段階では生活の質の向上をもたらすが、“しかし、ある一定の点(閾値)まで であり、それを越えると経済は成長しても生活の質は低下していく”(Manfred Max-Neef, 1995 Manfred Max-Neef(1995)“Economic Growth and Quality of Life : A Threshold Hypothetis”Ecological Economics 15 pp.115-118 )との「閾値 仮説」である。
日本のような成熟消費社会では、GDPが大きいといえども、自殺率が高かったり、1000兆円もの借金を抱えていたりする。「トリクルダウン」効果を助長するように規制緩和をおこなって、格差社会が広がった今、実際は、人々の幸福や満足との乖離は著しいのではないか。と問う声もある。これを言い当ててるのかもしれない。
今、まず、 僕らは、行政サービスのあり方、つまり公として何をすべきか。といった時の「地域経済」の考え方のひとつにこのマックスニーフの9つの基本的なニーズをきちんととらえ直してみたいと思うのだ
実際、今、欠けている事はなんだろう。そしてマックスニーフは、人間のニーズというのは原則的にこの9つで、これは文明や文化の違いがあっても変わらないのだという。サティスファイアーというそのニーズを満たすことができる手段はそれぞれだが、基本的にはこの9つが満たされるように、妨げる事のないようにすることが肝要と説く。
これは社会的なセーフティネットを張っていこうとするときの指針にも役に立つかもしれない。ベースとしては生活保障をすべきその暮らしにこの9つが成立しているようにしたいということか。
実は、昨年5月の持続可能なスウェーデンエコ自治体会議ではこのマックスニーフの講演を聴く事ができた。改めてサスティナブルな社会変革の先進国であるスウェーデンで重要視され、ナチュラルステップとしてもフレームワークの柱の一つとして定めている彼の「リアルエコノミー」論に注目していきたいと思うし、関心のある方々と情報交換や講演録の整理をしていきたいと考えている。
2009年
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要は、持続可能な社会には定義がある。この4つ。
これを満たす未来を目指して
1)地殻から掘り起こした物質の量が増え続けない
2)人間がつくりだした物質の量が増え続けない
3)物質循環の基盤となる自然が物理的に劣化しない。(生物多様性を守る)
4)人々が満たそうとする基本的なニーズ(生命維持(食、住宅、仕事)、保護、愛情、理解、参加、レジャー、創造、アイデンティティ、自由)を妨げることをしてはいけない。
パタゴニア・ツール会義2016。参加して得れた大きな力
「よきことは カタツムリのように」 辻信一 著 お読み下さい。
一冊の本が届きました。付箋とメッセージ付きの謹呈本。明治学院大学教授 で著書「スローイズビューティフル」やキャンドルナイトなど、スロー文化を提唱する辻信一先生から。鶴岡の食文化や水への取り組みを究極のスローフード ムーブメントとしてご紹介いただきました。秋の峰入り体験談も。え、写真まで、、と、ちょっと恐縮ながらも、感謝感激です。
「よきことはカタツムリのように」はマハトマガンジーの言葉からとのこと。サティシュクマール、ヴァンダナシバ、ヘレナノバーグホッジら、国際的な幸せ経済の騎手らの現在。福祉の町オランダ、エルメローの町、そして、日本のローカルムーブメント。スモール、スロー、愛、民主主義、アウトドア、ローカル、の価値をテーマとし、世界中のスローの現在がちりばめられた実践哲学書といった書。是非ご一読を。
立ち止まる。そして、またゆっくりと動き出す。
TPP あまりにもヒドい強行採決!批准は絶対に認めない!
11月4日。4時30分前の国会。怒号が飛び交う中、TPPを自公が強行採決してしまった。全くひどいの一言。
TPPの問題は県議時代からずっと指摘し続け反対を訴え続けてきたが、今年4月に開催された6000ページ以上の文書を読み込んだTPPテキスト分析チームの分析結果発表会に参加し、その問題の大きさを実感していた。今に至っても、この問題についてどれだけ多くの国民が知っているのだろうか。聖域ゼロ、関税撤廃に向かう農業、医療、保険制度の崩壊、食の安全の問題、主権を米国や多国籍企業に奪われるTPP。自民党や公明党などの質疑ではメリットばかりをひろうのみで肝心の不安要素についてほとんど触れなかった。民進、共産の質疑の中で分析チームが明らかにした問題点がぶつけられたが、政府答弁は答えをはぐらかし、「影響ない」「問題ない」などの一点張り。でも実態はといえばTPP軽自動車税の引き上げや遺伝子組み換え食品の表示の緩和など、現段階でもその影響がじわじわと出ていることが明らかになっている。
いずれにしても、国民の暮らしがどのように変わっていく可能性があるのか。最悪のケースをはじめとしてしっかりと情報提供がおこなわれ、それを国民が掌握するための議論が先ずは必要だ。そしてその問題があまりにも大きく、国民が納得できないとすれば絶対に批准などしてはいけないということだ。今般の国会審議は、問題が指摘されても政府は「問題なし」などと答えて突き進もうとしている。少なからず、国民の生活が変えられてしまうことは確実だ。その時になってまた政府は「想定外」を連発して逃げようというのか。原発問題で学んだ我々は、もう二度とそんな無責任な事は繰り返してはならないと思う。
大きく国民の暮らしを変えかねないTPP。強行採決などとんでもない!先ずは委員会強行採決を取り消しをし、農水大臣を変えた後に徹底審議するべきだ。
11月3日。日本国憲法発布70年の日に。
「憲法が君たちを守る。君たちが憲法を守る」『復刻新装版 憲法と君たち』=佐藤功・著
報道ステーションでもとりあげられていた。読むべし。
今日は仕事の後、「高江ー森が泣いている」という映画を観た。ヤンバルクイナや貴重な野生動物が生息する楽園のような沖縄の自然や住民の暮らしを奪い、軍事演習場、オスプレイが飛来するヘリパッドの工事が強行されている。民意を無視し、住民の非暴力の抗議行動に対して、機動隊で制圧して米国のために工事を強行するその暴力に言葉を失った。
人権や自由を奪う憲法違反そのものではないか。国民を欺き、権力をふりかざし、堂々と憲法違反を犯し、その上で壊憲を成し遂げようとする。これぞアベ政治である。憲法制定70年。来週から憲法審査会が再びはじまるそうだ。
もはや「押しつけ憲法論」は論外。先の戦争の戦犯たちが創りだした虚構であり、全く事実に反している。
「憲法は国民の自由や人権を守るために、権力者達を縛る命令書」たる立憲主義を逸脱する改憲も論外。政府によって都合よく、国民に憲法尊重義務を課し、国民の義務を10項目も増やすような自民党の憲法草案はまさに「改憲ならず壊憲」であり、言語道断だ。
70年前に、二度と戦争を引き起こさないように、狂った社会を日本にもたらさないように、そして二度と個人の自由や人権を奪う事のないように、当時の日本人が情熱と希望とをもって憲法をつくった。そして70年前の今日、多くの日本国民が憲法制定を喜び祝福した。「これで、国民を欺き、多くの国民を徴兵し、そしてその兵士の多くを餓死させ、特攻させ、更に広島長崎への原爆や日本各地への空襲で310万人もの犠牲を強いた戦争の社会から完全に解放され、これからは監視や弾圧がなく、自由に書物を読み、個人の幸せの追求のために暮らし、発言や運動を行うことができる」と。
そうした先輩方を裏切らないようにしなければ。昨年強行採決された「戦争法」は無論、米軍の為に強行される高江ヘリパッドや辺野古の基地も、米国をはじめとする多国籍企業に国家や自治体の主権を奪われかねないTPPも、憲法違反そのものではないか。
憲法に反した、こうした間違った政治を正したい。「憲法が私たちを守る。私達が憲法を守る。」
社会的にも、環境的にも持続可能な社会にするために。